12話 琥珀の守護者
琥珀の守護者
「……わかった。部屋に特別な思い入れはないし、鍵を渡してもいいよ。でも、どこにあるんだ? 着替えと一緒に引き出しかな。看護師さんに聞いてみないと」
カズヤがベッド脇のチェストに視線を巡らせ、おぼつかない手つきで探りを入れた時だった。
「相沢くんが、所持をされていた貴重品は……。ふふ、わたしが責任を持って預かっていますよ。相沢くんの『彼女』として。……病院の方には、少しだけ嘘をついちゃいました」
レナは悪戯っぽく舌を少しだけ覗かせ、首を愛らしく傾けて笑った。その細い指先には、既に見覚えのあるじいちゃんの形見のキーホルダーが、チリリと小さな金属音を立てて揺れている。
(あ、あぁ……そういうことか。もともと預かってくれてたのか。悪用するなら、意識のない間に行ってるよな。信用するとか裏切られるとか、そんな心配をする必要すらなかったんだな……)
彼女の用意周到さと、なりふり構わず自分を守り、支えようとしてくれたその真っ直ぐな行動力。カズヤは呆れと同時に、胸の奥をくすぐられるような、むず痒くも温かい感触を覚えていた。
これまでの人生、自分から何かを奪おうとする手はいくらでもあった。けれど、自分の大切な居場所を「預かり、守る」と言ってくれた手は、じいちゃん以外には、目の前の彼女だけだ。
窓から差し込む午後の柔らかな光の中に溶けていくような、レナの透き通るような笑顔。カズヤはその光景を、ただ眩しく、そして少しだけ誇らしい気持ちで、じっと見つめていた。
「……頼んだよ。綾瀬さん」
「はいっ! お任せください。相沢くんが戻られる頃には、とびきり居心地の良い場所にしてみせますから」
弾んだ声が病室の空気を震わせ、これから始まる、想像もつかないような生活の予感に、カズヤの鼓動は再び、確かな生の実感を持って早鐘を打ち始めた。
琥珀の連絡先
「って、信用できる者って言ったけど……。業者に任せるなら、費用は俺が払うよ。一応、じいちゃんが遺してくれた蓄えはあるからさ」
カズヤが無理に体を引き起こそうとすると、レナはたおやかな手でそっと肩を制し、困ったように眉を下げた。その指先からは、微かな花の香りが漂ってくる。
「相沢くんは、今は何も心配せずに安静にしていてくださいね。それと……連絡先の交換をしていただけますか?」
差し出されたのは、あの惨劇の夜、泥の浮いた路地裏に転がっていたはずのカズヤのスマートフォンだった。液晶には傷一つなく、隅々まで丁寧に磨き上げられた跡がある。
「え、あ……う、うん」
受け取る指先が、微かに震える。女子の、それもお嬢様の連絡先を知るなど、これまでの人生で一度もなかった。ましてや、それを自分からではなく、目の前の目が眩むような美少女から請われるなど、到底信じがたい現実だ。
ピロン、という軽い通知音が、静かな病室に波紋のように響く。
「いつでも、何時でも連絡してくださいね。何かあれば、わたしがすぐに駆け付けますので!」
「いや……それはダメだって。またあんな奴らに襲われたら困るだろ。綾瀬さんは、その……美少女すぎるからさ」
口にしてから、カズヤは顔中にカッと熱が集まるのを感じた。柄にもない気恥ずかしい褒め言葉。包帯の下で表情が強張り、視線を窓の外の入道雲へと逃がす。
「え? 美少女ですか……? ふふ、嬉しいです。でも、移動はいつも車で送迎をしてもらっているので、襲われないですよ」
レナは一瞬、驚いたように目を見開いた。そして、熟した果実のように耳朶まで真っ赤に染めると、両手で自分の頬を包み込むようにして俯いた。
「相沢くんにそんな風に言っていただけるなんて……。わたし、あの日、勇気を出して習い事を抜け出して、本当に良かった、かも……です」
消え入りそうな声で、けれど確かな喜びを噛みしめるように呟く彼女。その姿は、病室の白い光に包まれ、神々しいほどに輝いて見えた。
琥珀色の揺籃
「送迎って……そんな、毎回ご両親に手間をかけさせるのは悪いよ。仕事だってあるだろうし」
カズヤは申し訳なさに身を縮めながら、掠れた声で気遣いを見せた。自分のために大人が動くという状況に、どうしようもない居心地の悪さを感じていたのだ。
「ふふ、両親ではないですよ。専属の運転手さんですから。それが彼のお仕事ですし、相沢くんのためなら喜んで引き受けてくれます。ですから、全く問題ないんですっ」
「……綾瀬さん、本当にお金持ちなんだな。運転手とか、ドラマの中だけの話だと思ってたよ」
カズヤの住む、湿り気を帯びた現実とは、前提となる常識があまりにも違いすぎる。住む階層の圧倒的な隔たりを改めて突きつけられたような気がしたが、レナの向ける笑顔には、そんな格差を微塵も感じさせない、陽だまりのような純粋な温もりが宿っていた。
「そう……でしょうか? 他のおうちのことはあまり詳しく知りませんけれど。……でも、来て欲しいことがあれば、どんな時でもすぐに連絡してくださいね。約束ですよ?」
レナの鈴を転がすような澄んだ声と、開かれた窓から滑り込む穏やかな午後の陽光。それらが心地よいゆりかごのように重なり合い、カズヤの鉛のように重たかった意識を優しく包み込んでいく。
治療による抗えない疲労か、あるいは極度の緊張からの解放か。レナの琥珀色の瞳にじっと見守られながら、カズヤはいつの間にか、泥のような眠りではなく、温かな光に満ちた深い眠りの中へと落ちていった。
微睡みの淵で最後に見たのは、カズヤの大きな手を、壊れ物を扱うようにそっと両手で包み込む、レナの白く小さな指先だった。




