10話 琥珀の誓いと波乱の予感
孤独の病室
「昔から……だからさ。綾瀬さんがそんなに怒ることないって。でも、ありがとな。そう言ってもらえるだけで、なんだか救われるよ」
カズヤは照れ隠しに視線を泳がせながら、小さく、けれど心の底からの感謝を口にした。
「……わたしも、相沢くんのお役に立ちたいです。ですから、必要なことがあれば何でも言ってくださいね。……そういえば、ご家族に連絡が取れなくて、病院の方が少し困っていらして」
ふと、レナが琥珀色の瞳を曇らせ、壊れ物に触れるような気遣わしげ(きづかわしげ) な声音で切り出した。身元引受人を探す看護師たちの事務的な困惑を、彼女は病室の傍らでずっと聞き届けていたのだろう。
「あぁ……うん。俺、今は一人なんだよ。色々と事情があってさ」
カズヤはふいと視線を落とし、努めて明るいトーンを作って短く答えた。
母との別離、それから間もなく訪れた数年前に遭った父の交通事故。そして、不器用な自分を最後まで見捨てず、この一軒家を遺してくれた唯一の支え、祖父との死別。それらを語れば語るほど、彼女の澄んだ瞳を同情という名の悲しみで濁らせてしまうだろう。せっかくの美しい笑顔を、自分の湿り気を帯びた暗い過去で塗り潰したくはなかった。
窓の外から遠く聞こえる梢のざわめきが、静まり返った贅沢な個室に、一人の少年が背負う孤独の深さを静かに際立たせていた。
「……一人、なのですか?」
レナの声が、わずかに震えた。彼女の視線が、カズヤの包帯に巻かれた大きな手と、その孤独な背景を静かに結びつけていく。
琥珀の誓いと波乱の予感
「……えっと……どのような事情があるのかは存じ上げませんけれど……相沢くんが、これほどのお怪我を負われて入院されたのですから。やはり、どなたかへのご連絡は必要かと……」
レナの顔が不安げに歪み、その大きな瞳には今にも零れ落ちそうなほどの涙が溜まっていく。彼女にとって、家族という繋がりはあって当然の、温かな揺り籠のようなものなのだろう。その戸惑いこそが、彼女の歩んできた幸福な時間を物語っていた。
「連絡の必要はないよ。その……強がりとかじゃなくて、本当に家族がいないんだ。最後の身内だったじいちゃんも、この間亡くなって……。そういうことだから、あんまり心配するなって。でも、ありがとな。心配してくれる人がいるってだけで、なんだか温かい気持ちになるし、心強いよ」
カズヤは努めて穏やかに、諭すように言葉を紡いだ。けれど、孤独という逃れようのない事実に触れた瞬間、レナの表情から迷いが消え、代わりに凛とした強い意志の光が宿った。
「そ、そうだったのですね。では……これからは、わたしがずっとお傍にいますので、安心してくださいね」
レナは首をコテリと可愛らしく傾け、春の陽だまりで花が綻ぶような満開の笑顔を見せた。
「わたしが、相沢くんの家族の代わり……なんておこがましいですけれど、一番近くで支える存在になりますっ。毎日、絶対にお見舞いに来ますから!」
そのあまりにも真っ直ぐで、濁りのない言葉。これまで拒絶と無関心の中に生きてきたカズヤにとって、それはどこか現実味のない、けれど心の奥底をじわりと溶かしていくような心地よさを伴っていた。
(……家族の、代わり?)
冗談にしては重く、本気にしては眩しすぎる。カズヤは返る言葉を見つけられず、ただ、琥珀色の瞳の奥に宿る揺るぎない決意に、圧倒されるように見入っていた。
琥珀の強襲
「え、あ……う、うん。入院してる間は、そう言ってもらえると心強くて助かるよ」
カズヤは、目の前の眩すぎる善意に圧されながらも、どうにか言葉を絞り出した。病院という公共の場であれば、彼女の厚意を素直に受け取ってもいいだろう。そんな淡い期待は、続くレナの一言で脆くも崩れ去った。
「いえ、帰宅をされても……お一人なのですよね? お怪我をされているのに、身の回りのお世話をする方がどなたもいらっしゃらないのは……とても大変で、おつらいですし、何より寂しいですよね?」
「……ん?」
会話の歯車が、予期せぬ方向へと音を立てて噛み合い始める。カズヤの困惑をよそに、レナはさらに身を乗り出し、確信に満ちた瞳で彼を見つめた。
「ですから、お一人では心配ですので、わたしもご一緒します。ちょうど、わたしも夏休みに入りますから。時間はたっぷりありますよ!」
「いや……俺、じいちゃんの遺してくれた家で一人暮らしだし。それに、年頃の女の子がそんなことしたら、逆に綾瀬さんの方が危ないと思うんだけど。それは……流石にまずいだろ」
一つ屋根の下で男女が過ごす。その言葉が持つ社会的な意味や、自分のような得体の知れない男の家に上がり込むリスク。カズヤが抱いた当然の危惧に対し、レナは事もなげに、どころかどこか誇らしげに薄い胸を張った。
「大丈夫です! わたし、家事は一通り習っていますし、相沢くんはわたしの命の恩人ですから。恩人を放っておくような薄情な真似は、綾瀬家の名に懸けていたしませんっ!」
斜め上の方向に燃え上がる彼女の使命感。その濁りなき瞳に見つめられ、カズヤは自分がとんでもない「天然お嬢様」のストッパーを外してしまったのではないかと、背筋に冷や汗が流れるのを感じていた。




