第五話
「もうすっかり冬だね」
彼女の薄紅色の唇から解き放たれた言葉が、凍り付いて床に転げ落ちる。
季節は冬になっていた。
この月が師走と呼ばれるように、学校の生徒は期末テストやクリスマスやら冬休みのことで、目まぐるしく走り回っている。
そんな世俗とは一線を書き、僕らはボックス内に籠って時間を過ごしていた。
僕一人の情熱で白く曇ったガラスが、外は雪でも降っているかのように見せてくれる。
「遅くまでいると、風邪いちゃうよ」
病気とは無縁の彼女は、いつも僕の生身を心配してくれた。
彼女の温かい気遣いに、僕の体温は上昇する。
「そろそろクリスマスかな?」
時間の感覚のない永遠の死後の世界に住む彼女が、上目遣いでそう尋ねる。
年頃の男女の学生同士が交わす“クリスマス”という単語。
なんてロマンチックで甘美な響きなのだろうか。
「そうだね。あと一週間後だね。クリスマス」
「クリスマスかぁ〜」
夢見る乙女は、首を受信器にもたれながら、素敵なクリスマスという日を思い浮かべていた。
僕もクリスマスという言葉を、口の中で飴を舐めるように転がし、酔いしれてみる。
孤独な僕にとっては、今まで全く縁のなかった欧米の文化だったが、今年のクリスマスは特別な日になると確信していた。
その時期には冬休みに突入している僕は、夜明けまで彼女と一緒にいるつもりだった。
しかしだ、キリストという聖者の誕生日に、死者と生者か親しく祝い合うというのは、神への冒涜なのだろうか?
いや、そんな事を言ったら、なぜ善良な彼女が不幸にも殺されなくてはならなかったのか?
その事実について、神を眼前で正座させ、小一時間問いただしてやりたい。
「この季節になるとね、クリスマスのCMがよく流れるようになるんだよ。それを見ると、あー 冬なんだなーって」
「クリスマスのCM?」
「新幹線のCMなんだけどね。クリスマスの日に、恋人が遠くから新幹線に乗って相手に会いに来るんだ。でもね、携帯とかスマホとかない時代だから、連絡取る手段がなくて。で、雪の降る駅で、彼が電車でやってくるのを、ずっと待ってたりね」
「それは不便だ」
僕だったら彼女を待たせたくないし、待つことも出来ない。
「クラスの友達と出かける時とか、どこの駅で何時に集合って話し合って。間に合わなかったりした時、駅には伝言板があってメッセージ残しておいたりとか、駅員さんに伝言頼んだりとかね」
そう言った彼女はガラスに息をふーっと吹きかけると白く曇り、そこに指で「沖本君へ いつもの場所で待ってます 藤宮」
と、なぞる。
その仕草が僕の心を痛むほど鷲掴みする。
「駅での待ち合わせが正確なんだよね。時計もあるし時刻表はぴったりだし。計画が立てやすいからね、何時の電車に乗れば何時に着くって。お互い家にいる時に電話で話してね」
そんな前世代の不便なはずの話も、彼女は楽しそうに話す。
そして間を置いた後「私も……そんな恋愛、してみたかったなーって」と、消え入りそうな声で呟きうつむく。
もしかして彼女の未練は、それだったのだろうか。
うら若き乙女が無残にも殺害されて、死してなお最後まで思い描いていたこと。誰かが話しかけてくれるのを、ひたすら待つことしかできなかったのか。
白馬に乗った王子様を待つような眼差し。
僕は王子ではないが、彼女にとっての王子様にはなりたい。
きっと彼女の心は、今もどこかの雪降る駅で、寒さに身を縮めながら、何本もの列車を横目でやり過ごしながら、訪ねてくれる人をひたすら待ち続けているのだろう。
「なら、してみる?」
「え?」
彼女の瞳の黒さが一層深くなる。
「クリスマスの日に、ここで会う約束」
「うん! 楽しみ!」
彼女の口調がスキップするように軽くなる。
そして光沢がました唇をせわしなく動かす。
その場で小躍りする彼女の、重力に反した長い黒髪がふわりと宙に浮き、ゆっくりと時間をかけて舞い落ちた。
そして彼女はまたガラスに息を吹きかける。今度はそこに手のひらを当てた。
可愛らしい手形。
僕は慌ててその上から一回り大きい僕の手を重ねた。
こうして僕たちは、ささやかなクリスマス会を開いた。
ボックス内に綺羅びやかな装飾を施して。
小さなツリーも電話機の上に置いて。
靴下なんかもぶら下げて。
普段買うことのないケーキを2つも買って。
ロウソクに灯した明かりが、四方のガラスで乱反射し、まるでこの電話ボックス自体が、公園にそびえ立つ灯籠のように浮かび上がる。
甘い夜を過ごした。
今までクリスマスなんて祝ったこともない。
パーティーに呼ばれたことも、参加したこともない僕が、初めて誰かと過ごしたいと思った。
ここでいい。
ここがいい。
彼女といたい。
触れ合いたい。
無邪気に愛くるしく笑う彼女の姿が、今にも消えそうで僕の体で繋ぎ止めておきたい。
僕の脳内で、地震速報のテロップのように、予期せぬ感情が浮かびあがる。
手を繋ぎたい。
抱きしめたい。
髪を触りたい。
年頃の男子なら、なんら不思議でもない異性への憧れ。
あれほど他者と接点を持ちたくない、触れることに嫌悪感さえ抱いていたこの僕が、きっとこのロウソクの炎の触発されて、赤く破滅的な欲望が心の中で膨れ上がったのだろう。
もっと近くで、話したい。
近くで、ではなく、ゼロ距離で。
好きなんだ。
僕は彼女のことが、
藤宮さんのことが、どうしょうもなく好きなんだ。




