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受話器で繋がる君と僕  作者: 夜狩仁志


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第二話

 藤宮さんとの出会いは、暦では初夏と呼ばれる頃だった。


 そのころ、高校に進学したばかりの僕は、クラスに馴染めないでいた。

 いや、馴染めないのではなく、自ら他者との交流を遮断していたのだった。


 学校では一人だった。

 中学で対人関係で苦い経験をしていた僕にとっては、人間関係は煩わしく危険なものだと認識していた。

 まさか友達だと思っていた人間から裏切られるとは思わなかった。

 なまじ親しかっただけに、僕の性格や弱点などを把握されていたのだから。


 生身の人間は怖い。

 高々16年程度しか生きていない人間だとしても、なにをされるか分からない恐怖。

 一言、投げかける言葉の選択をミスるだけで、関係は悪化する。会話は常にリスクを背負って行わなくてはならない。

 距離感も重要だ。一歩間違えれば、詰め寄られ殴られ、最悪刺されることだってある。


 親しくなること、親密になること、それは相応の覚悟を持って臨むものである。

 生半可に仲良くなりたいとか、好きだからという理由で近づくと、かつての僕の様に酷い仕打ちを受けることに繋がるのだ。


 だから、

 面倒ごとに巻き込まれるくらいなら、最初からかかわらなければいいこと。

 それが僕が導き出した結論。


 友達も作らない。

 親しい生徒など作らない。

 恋人も要らない。

 部活も委員会にも所属しない。


 そうすれば、たとえ得るものがなかったとしても失うこともない。

 でもそれで満足だった。

 高校時代の青春とか、思い出とか、恋愛とか、どうでもよかった。

 単に人生における通過点。

 無難に3年間という学生生活を過ごせればいいのだ。

 

 その日、ホームルームが長引いて下校時刻が遅れてしまった。

 お陰で家からの最寄り駅に付いた時には、既に日も落ち街灯の明かりがおぼろげに灯っていた。

 しかも運悪く夕立にあう。

 駅をでた人々は、見えない敵に雨粒という機関銃の一斉射撃を受け、散り散りに逃げ惑う。

 予報では雨が降るなど一言も言っていない。だから傘なんて持ち合わせていない。

 当たらない予報を偉そうにのたまう気象予報士に文句を言いつつ、家まで走る選択を選ぶが、いっこうに雨は止む気配がない。

 周囲が住宅街であり、雨宿りをする場所すらない。

 すっかりずぶ濡れになり、シャツと肌が一体化して、今さらどうしようもない状態に陥った時、普段は気にも留めない小さな公園が、この辺りに存在していたことを思いだした。

 そこには確か遊具が点在し、ちょうど雨宿りするには最適の場所だった。

 いつもの帰り道から道を右にそれ、駅と家のちょうど中間ほどの距離にあるそこへ立ち寄ることに。


 目の前に現れたのは、まるで異界の森の中かと思うほど薄暗く、薄気味悪い公園。こんな所では子どもすら遊びには来ないだろう。そんな場所だ。


 こんな所に入るのか?と一瞬ためらったが、暗闇の中、一か所くすんだ色の蛍光色が、チカチカと瞬きする直方体の建物があった。

 あれは確か公衆電話と呼ばれる設備だ。

 四角いガラス張りの個室に、備わった電話。

 このスマホが普及した時代、一度も使ったことはなかったが、存在だけは知っていた。

 ちょうどよい雨宿りに適した場所だ。

 風雨が激しさを増す中、考える必要はなかった。

 なりふり構わず電話ボックスの中に、僕は滑り込んだ。


 何ヵ月、何年ぶりの来訪者なのだろうか?

 扉は錆びつき、開けるのに多少力を入れる必要だあった。

 中の空気は果たして吸ってもよいものかと疑いたくなるほど、埃が舞い踊り毒々しい。

 そして、冷蔵庫の中に迷い込んでしまったのかと思うほどの、湿気とヒンヤリとした空気。

 心なしか、家で魚をさばいた時のような、あの、血なまぐさい臭いも漂う。

 公園特有の湿った土と草木の匂いに包まれ、人の使わなくなった屋外の施設とは、こういうものなのかと、勝手に納得しながら、ハンカチで髪や腕を拭う。


 ガラス張りの壁から外を眺めると、さらに風と雨量が増したかのようで、ガラスを打ちつける激しい雨で何も見えない。

 さながら滝の中を下って行く乗り物のアトラクションを彷彿させる勢いだ。


 良かった……。


 ちょうどよく風雨をしのげる個人スペースを確保し、安堵する。


 この雨も一時的なものだろう。しばらく様子を見れば止むはずだ。

 別に急いで帰っても、予定も何もあるわけでもない。

 壁に寄りかかりながら、取り出したスマホで雨雲レーダーを確認する。

 あと20分程度すれば、雨雲は去って行くようだった。



 ルルルルルル



 突然、鳴り始める電話の呼び出し音に、僕の思考がズタズタに引き裂かれた。


 驚きのあまり体がびくりと跳ね上がり、体にまとわりついた水しぶきが舞う。


 自分のスマホから?

 それとも、

 雷?

 と疑ったが、その電話のベル音は、たしかに目の前の電話から発せられていた。


 公衆電話も着信できるのだろうか?

 雨のせいで故障したのか?

 誰かの悪戯か?

 気味悪いから外へ出ようか?


 しかし雨の勢いは増すばかり。

 心なしか電話の音も、次第に大きくなってきているようで、降りしきる雨同様、鳴り止む気配はない。


 誰かの悪戯で、遠くから僕の怖がる様子でも見て、面白がっているのだろうか?

 そう思うと不安よりも、苛立ちが支配していく。


 そうだ、受話器を外しておけば音は鳴き止むはずだ。


 応答するしない関わらず、受話器を外して放置しておけば、なんてことはない。

 取り外した鈍器となりうる重さの受話器は、そのまま僕が手を離したら、自重によって絞首刑の死刑囚の如く、力なく垂れ下がった。


 けたたましい催促音から解放された僕は、そのまま視線を外へと戻し、ガラスに激突しては落下する雨粒の流れを眺めていた。


 雨音に混じって「…………もしもし?」という呼びかける声が微かに聞こえた。受話器の先の相手からの声だろうか。雫がガラスを伝って落ちる音よりも、か細い声。


「ねえ、そこの君。学生服を着た男の子」


 それはもしかして僕のことを言っているのだろうか?

 やはりどこかで監視されているのか?

 どこかに監視カメラでもあるのではないかと、周囲を見渡した。

 すると電話機の上に薄汚れた鏡が設置されていることに気が付いた。


 カメラを仕込むにはうってつけの場所。

 僕は近寄り、写りの悪い鏡を覗き込んだ。

 その鏡に映っているのは、ずぶ濡れの僕の姿……のはずだった。


 違った。


 真っ黒い人影。

 しかも首から大量の赤黒い血が、止めどなく噴き出している。


 周囲の音が聞こえなくなるほどの激しい恐怖が僕を襲った。

 突然屋上から外へと突き飛ばされたような衝撃と、足場のない宙に浮いたような感覚。

 全身の皮膚を、頭部から一気に剥がされたような、血の気が引く感覚に襲われるとともに、上下前後左右の認識が曖昧になる。


 僕しかいないはずの、この場所に何か得体のしれない者がいる。

 振り返るもボックスの外は激しい雨が叩きつけ見えない。

 咄嗟に逃げようとドアを開けようとするが開かない!?

 押すのか引くのか、倒すのか横にするのか?

 そもそも思考と動作に差異が生じ、自分でもこの手の動きが何をしようとしているのかが伝わっていない。

 足ももつれて、結局その場で力なくヘタれ込んでしまう。


「待って! なにもしないから、怖がらないで!」


 迷走する思考の中で、ハッキリと聞こえた女の子の悲痛な悲鳴。


 その声が、逃げる体をさらに硬直させる。


「閉じ込めているわけじゃないから。その扉、建付けが悪くて開けにくいだけで、手前を内側に引けばちゃんと開くから」


 名も知らぬ少女のアドバイスに従い、冷静に取っ手を引くと、


 ギギ、ギギギ


 と、ドアは悲鳴を上げながらもすんなりと開き、大粒の雨が一斉に侵入してきた。

 たまらず扉を閉めると、改めて後ろを振り返り、鏡と受話器を交互に何度も見比べる。


 首の皮一枚でぶら下がった受話器。

 その上に備え付けられていた鏡には、首を切られた黒い化け物……

 ……かと思ったものは、美しく長い黒髪を持ったセーラー服姿の可愛らしい女の子だった。


 存在するはずのない姿で、十分恐怖の対象となるのだが、その美しい容姿から思わず見とれてしまい、そんな感情は隠れてしまう。


 受話器をそっと拾い上げ、観察する。

「もしもし――」

 ここから声が発せられている。

 声の主である女の子がこの公衆電話へと電話をかけているのだろうか?

 ただ、鏡に映った制服姿の女の子は?


 もしかしたら、鏡ではなくテレビ電話のモニター画面の類なのかもしれない。

 僕の知らないところで、公衆電話は進化しているのかもしれない。


 声が弱々しく消え入りそうな声だったことと、鏡に映された女の子が同年代の子で大人しそうな子だったこともあり、なにより直接何らかの危害を加えられるようなことはなさそうだった。

 そう感じ取った僕は歩み戻り、鏡を見ながら受話器を耳にあて、問いかけた。


「えーっと、この電話をかけてるのは、君?」

「うん、そうだよ。私は藤宮。あなたは?」


「僕は……沖本」

「沖本君、初めまして」


 声に反応して鏡の彼女も微笑み、お辞儀をする。


 意思疎通は可能なようで、しかも鏡の姿と声の主は同じようで、反応が一致する。


「よかった~ 本当に久しぶりにお話しすることが出来て」


 藤宮と名乗った彼女は、安堵する吐息とともに、そんなセリフを口にする。


「久しぶり?」

「なかなか、ここに立ち寄ってくれる人はいないからね」


 終始、僕の頭の中には??が飛び交っていた。


「あのね、驚かないで聞いてくれる」

「うん」


 彼女の瞳孔もない、ぽっかりと穴の開いたような黒い目が、僕を見据えている。


「私ね、実はね、幽霊なの」

「…………」


 返答に困り、息がつまった。

 突然そんな愛くるしい顔で幽霊と言われても。

 多少血色の悪そうな子ではありそうだが、僕らが一般的に想像しているような幽霊とは全然違う。

 そもそも、自分は幽霊です、なんて言う幽霊なんているのだろうか。


「幽霊って言われても、証拠が」

「私の姿、鏡にしか写ってないんじゃないかな?」


 たしかにそのようだった。

 これが鏡であれば、の話だが。

 こんなことは手品とかトリックでどうにでもなる。


「信じる信じないは、沖本君の自由だよ。ただ私は……」

「私は?」


「いっぱいお話が出来ればいいかな!」


 自称この幽霊は、幽霊に似つかないほど、陰気や不気味さとはかけ離れた眩しいほどの表情を繰り出してきた。


 どうやら危害を加えてくることはなさそうだった。

 この際、幽霊だろうが誰かの悪戯だろうが、

「ただ話すだけなら」

 と思ってしまい、そう返事をしてしまった。

 彼女の反応や仕草が、いちいち可愛らしく目に映ってしまったからだ。


 僕がこの時にこんな感情を抱き軽率な行動をとってしまったのは、今思い返せば、彼女に呪われた、憑かれてしまったからなのかもしれない。


 別にやることもなかった僕は、可哀想なちょっと変わった女の子の話し相手になるという、軽い気持ちで受話器を握りしめた。


 その後は軽い自己紹介が始まった。


 僕は生まれも育ちもこの街で、今は高校1年生になり立て。駅まで歩いてそこから約1時間かけて学校に行っているということ。

 彼女は高校2年生で、同じくこの周辺で暮していたということ。

 本当かどうか分からないが。


「そっか……30年経ってたんだ」


 今日の日にちを尋ねられたので答えると、しみじみと彼女はそう呟く。

 知らないところで30年も経過していたことに、たった今コールドスリープから目覚めたSF映画の主人公のような、戸惑いと望郷の顔をのぞかせた。

 演じるのが上手い女優さんだな、と僕は思った。

 だから確信を突く質問をしてみた。


「あの、どうして、藤宮さんは、その、亡くなったの?」


 僕の問いに、黒とも青とも表現できない瞳で真っすぐ僕を見つめ返してくる。その色白の肌を一層青くさせ、怖いくらい美しい、そんな彼女の口からは発せられた言葉は一言。


「殺されたの」


 低く冷めた声。


 雨で濡れた体が、寒さで硬直した。


「学校帰り、だったかな。部活で遅くなってね。家から帰る途中で男の人に襲われて。必死で逃げ込んだところが、ここの電話ボックスでね。電話で助けを求めたんだけども……」


 遠い昔を振り返るように、一言、また一言と、重い荷物を小分けにして持ち上げるように、少しずつ紡ぎながら言葉にしていく。


 それを僕は受話器越しに聞き取る。

 彼女の発音する音、一つ一つが僕の胸にぶつかり、錘となってのしかかってくる。

 自分で尋ねたことを後悔しながら、その事に堪えきれず、視線を地面へとそらす。


 そして沈黙。


 この時初めて、大地を叩きつける雨粒の音が途絶えていたことに気がつく


「雨、止んだみたいだねっ」


 彼女の晴れた声が、陰鬱なボックス内の湿気を吹き飛ばした。


「そうだね、そろそろ帰ろうかな」


 僕は帰るタイミングを逃さなかった。


 だが、鏡に映る彼女は、受話器を持ったまま首を傾げる。


「また、来てくれるかな?」


 返答はすぐには出てこなかった。


 ここには雨宿りにきただけ。

 それ以上でも以外でもない。

 また来る必要も義理もない。

 得体のしれない者に関わる必要もない。


 けど、


 クラスでは一人浮いた状態の僕。

 友達もいない。ましてや彼女なんて。

 そんな僕も彼女ほどではないにしろ、久しぶりに会話をしたのだから。


 人と接することが苦手な僕は、彼女ならば……

 自分の胸の中に高揚感が湧き上がっているのが否定できなかった。


「うん。もちろん」


 振り返ってそう返事をすると


「ありがとう、沖本君!」


 と、飛び切りの笑顔で僕を見送ってくれた。


 あまりの恥ずかしさに乱暴に受話器を戻すと、逃げるようにその場をあとにしてしまった。


 ぬかるんだ地面を気にせず走り抜け、公園が見えなくなる場所まで来ると、ようやく立ち止まり、息を整えながら振り返る。


 彼女は本当に幽霊だったのだろうか。

 でも会話を交わしていたという事実だけは残っている。

 その証拠に口の中が乾燥して、パサパサだ。

 恐ろしく奇怪で不可思議な体験をしたというのに、むしろ、心の中にまで降り注いでいた止まない雨が、ようやく晴れたような、すがすがしい気分さえ感じる。

 なぜだろう。

 話をしたからなのか?

 それとも無知で幼気な可愛らしい女の子と話すことができたからか?

 僕の話で、その子があまりにも喜んでくれて、その様子が悦に入ったからなのか?


 彼女の言っていることが本当ならば、無残にもあの場所で殺され、ボックスの外へと飛び立てない呪縛霊なのかもしれない。

 そんな場所に偶然にも僕が入り込んで、しかも話を聞いてあげてしまったと。


 自分的には、困ってる子を人助けをした感じくらいなのだが。


 この時僕はすでに、憑依れていたのかもしれなかった。

 彼女の魅力に。

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