7 あなたは、誰?
「『淡風』!」
私がそう言うと、地面に柔らかい風が吹く。その風は私をふんわりと包み、落下速度を低下させた。地面に立ってから、私は心の中の彼に聞いた。
「よっと!……ね?何も問題はなかったでしょ?」
―――はぁ!?問題あるよ!
「『ある』って何が……?」
―――そ、それは……………
そう聞くと、彼は迷うように唸ってから観念したように答えた。
―――………僕、高所が苦手なんだよ!!
「え………っと、それだけ?」
―――それだけだよ!何か言いたいことでも!?
「……………と、とりあえず探しに行こうか」
私は森へと一歩踏み出した。
「あなたって一体何者?」
私は森を歩きながら彼に聞いた。森には鳥の囀りが響いている。
―――だからぁ、僕は『今は君の味方』だよ
「それは知ってる。そうじゃなくて、名前とか………あの黒い翼がなんなのか、とか」
―――……………。
私がそう言うと、彼は押し黙った。森の中に風が吹き、鳥が羽ばたいた。それが私たちの沈黙を埋める。
―――………………僕は、さ。
「うん」
彼の声は感情を読めない独白のようだった。
―――…………どんな人にも大体友好的だけど。
「うん」
―――……名前だけは『仲間』だって認めた人にしか教えない、そう決めてる。
「え……………」
彼の言葉に、私は思わず立ち止まった。すると、彼が面白そうに言った。
―――今まで仲間だって思ってた?フフッ、賢いと思ったけどやっぱり君、バカだね。
「………っ!」
―――名前も種族もなーんにも知らないくせに信じるなんて、本当にバカだ。
「……………」
彼の声は確かに私を見下すようだったが、そこには自嘲や忠告の思いが滲んでいた。
(一体、彼に何があったんだろう………?)
―――何かあったとして、僕が話すと思う?
「…………さっき、『名前だけは』って言ったよね?種族だけでも教えて。あの黒い翼は何なのか、も」
―――だから、僕が話すと………
「思う。なんだかんだ、あなたは優しいもん」
私はそう言って微笑んだ。
その表情は彼から見えていないかもしれない。彼は何も言ってくれないかもしれない。でも、今まで私を助けてくれたのは嘘じゃなかったと思う。
(嘘、じゃなかった………?)
その時、ジュリアンのあの姿、あの見下すような声が私の脳内を掠めた。
それと同時に私の耳元で誰かが囁いた。
『また誰かを信じてるの?』
「誰!?」
振り返ったそこには、もう1人の『私』が森の中に佇んでいた。
だけど、彼女は黒い翼が背中から生えていて、髪に白い所はどこにもなかった。さらに、彼女の曇ったエメラルドグリーンの瞳は、ジュリアンに剣を突きつけられた時の私と全く同じだった。
『ねぇ、あの時ちゃんと理解したよね?』
「どういうこと?」
そう聞くと、彼女は顔を歪ませて笑った。しかし、彼女の瞳は全く笑っていなかった。
『アッハハハハハハ!………ああもう、本当にあなたは成長しないね』
「え?」
すると、彼女は私の頬に手を添えた。その手はとても冷たく、人間の体温ではなかった。
『いい?あなたは裏切られたの。ジュリアンにもテオにも』
「……っ!」
彼女の声も表情もとても優しく甘いものだった。まるで、私を罠に誘い込む蜜のように。でも、私はその表情から目を離すことができなかった。
『私はね、あなたをこれ以上傷付けたくないの』
「………」
『だから、ね?』
そこで彼女は一旦言葉を切った。森の中はあり得ないほどに静かだった。
『どんな人でも、信じちゃダメだよ』
「……!」
『あなたも信じてきた人に裏切られるのは嫌でしょ?』
「…………うん」
私は小さな声で頷いた。それだけで彼女はもっと優しい笑みになる。その表情は、今の私を肯定してくれている、そう思わせてくれるものだった。
『裏切られたくないなら、最初から誰も信じなければいいの』
「……あ………」
胸の奥の何かが、すとん、と静かに落ちた気がした。
『ねぇ……そう思わない?』
「………おも、う」
私がそう答えると、彼女は満足したように微笑んだ。
強い風が吹いて、彼女の姿が揺らめき、霧のように消えた。手を伸ばしたが、触れることはなかった。
「あ………」
―――おーい!聞こえてる!?
「え………うん」
彼の焦ったような声で、私は我に返る。
―――びっくりしたよ。またあの時と同じように閉じ込められたから。………なんかあった?
「………いや、なにも」
私は何もなかったように、取り繕って歩き出す。なぜか、あれは誰にも言ってはいけない気がした。
―――ふーん、ま、いいけど。それよりも、僕の種族は………
「やっぱり、言わなくていい」
―――え?
勝手に口が動いていた。彼は驚いたのか間抜けな声を出した。
―――いいんだ、言わなくても。じゃあ、言わなーい。
(本当は言うつもりだったのかな……?でも、別に知らなくてもいい。)
―――……………。
私は森の中をさらに歩いていく。
「………あれ?」
―――どうかした?
私は辺りを見回しながら言った。
「……………ここ、どこ?」




