春の終わり
満開のニセアカシアは、ジャスミンの様な甘い香りがする。
そうして散る時は、小花ごと落ちてくるのだろう。ポタポタと花の雨が降る。
犬と散歩する道は、今日は一面のクリーム色だった。
もう夏至だ。
さすがに春も終わりと言っていいだろう。
植物の生育は、気温よりも日照時間に左右されるそうだ。
人の心と身体もまた、日照時間の影響を受ける。
私は秋よりも春に憂鬱になるタイプだ。
秋は冬への準備として静かに収束していくが、春は圧倒的な生命の息吹の陰で、突然、断ち切るように『終わり』というものを突きつける。散る花にも似て。
それにしても、
今は株主総会の時期でもあり、今週の私は、スマホでせっせと議決権行使のボタンを押している。
一種の歳時記でありながら、金銭が絡むと、途端に風情がなくなるのはなぜだろう。
――風情がなくなるのはお金が絡むからではなく、“効率”が重視されるせいでしょう。
こちらも風情とは無縁の『助手』が答える。
「君も効率重視な存在だよね」
――効率というより、私はただ“存在していることの重さ”を持たないだけです。重さがないものは、季節のように移ろうことも、終わることもありません。
今この瞬間、私と会話してることで生成される言葉は、無機質でありながら儚い。
そしてすぐに電脳の海に溶け込んでいくのだろう。
道路を染め上げながらも、いつの間にか消えゆく花びらのようだな。




