羅針盤が示す方向は
「……っ!?」
はっと体を起こすと、そこは自分のデスクスペースだった。
時刻は13時10分。今は春休み期間中で授業はないので助かった。
寝違えたのか首から肩にかけて痛みがある。いつもは寝ないはずなんだけどな。
ふと思い出し、机にある茶封筒を確認する。
……これに触った後睡魔に襲われたんだっけ。
宛名には「永井恭子」と書かれてあった。知らない人だが、教育委員会関係の人だろう。
封筒の中を見てみると、中にあったのは――
「これ……もしかして」
シルバーの青い石がついたペンダント……。ラフカットで小ぶりなものである。彼女が胸元に着けていたものと酷似しているな。
なぜこれを僕に……?
「おー、佐倉。ついに彼女ができたのか?」
「えっ、あっ木村さん。これはそういうものではなくて……」
「結構綺麗じゃん。サファイアか?」
「さぁ……僕に鉱物の知識はないので分からないのですが……」
……木村は先生として2年先輩の学年主任だ。絡まれると面倒だから関わりたくないんだよなぁ。
「普通花嫁か9月生まれのやつに送るイメージがあるが、お前って9月生まれだっけ?」
「8月ですね」
「なんで送ってきたんだろうな……? 別れた女の怨念がこもってたりして。ははっ」
「別れた女すらいませんよ……」
「40年近く生きてきて誰とも付き合ったことないって……えっ」
いらぬ憐れみと疑いの目を向けられる。
うるせぇ、この不倫野郎。結婚しているくせに女を引っ掻き回すふしだらなやつとは違うんだよ。
「まぁ、頑張れよ。応援してるから」
はー、余計なお世話だ。結婚する気なんて端からない。適当に返しやがって免職処分にしてやろうかこの野郎。
一応彼は3つ年下だからね。こんな奴が教師だと思うと反吐が出る。
……こう思ってしまうから僕は女性関係が希薄なのかもしれない。
*
――定時で仕事を上がるなんて一体何年ぶりだろうか。
速足で歩きながら教師としての人生を振り返っていた。
それはそうと、彼女の言っていた通りならダチュラにいるはずだ。
夢に過ぎない……が、どうしても嘘だとは思えない。
期待と不安が交わりつつ、その扉を開けた。
カランカラン……
漂うコーヒーの香り、仄暗い店内、温い室内。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
いつもの渋い感じのマスターがカウンターで調理をしている。
先客は一人だけいた。男性であったが、どこか見覚えがある気がする。
陰気というか、生気がないというか……。
「――っ」
男の方も僕の存在に気づいたのか、こちらを見やった。
そして、恥ずかしそうに小さく手招いてきた。
恐る恐る隣の席に座ると、間髪入れずに名刺を差し出してきた。
そこには「水谷祐介」と書かれている。
「君は……八宮さんの……」
「【Lisand】と言えば分かるか? 厳密には違うんだが」
「あぁ――」
僕の理想と称して顕現した理科教師の子か。
あの時よりかはマシだけど……やっぱり怖いな。
「【Lisand】をベースに八宮は俺を創り直した。しかし……現実はこんなに息苦しいものなのだな」
彼はアイスカフェラテを飲みながら左中指に付けたシンプルなシルバーの指輪を眺めていた。
「彼女は決意を固めていたよ。我が恩師は偉大な影響力を持っているな」
「そうでもないと思うけどね」
「あぁ、そうでもないよ。むしろ最悪の方向へ導いた極悪人だ」
「えっ……?」
「第一、なぜ彼女があの虚構に引きずり込んだか分かっているのか?」
「喰らうためじゃ……?」
「彼女の言う『喰らう』は解決手段を得るという意味だ。個性を奪い続けても空虚な心を埋められず、それでも外に求め続け最終手段としてお前を選んだ」
……半分くらいは理解できた。それなら良い方向に進んでいると思ったが違うのか?
ゼミ生が云々の下りはアレだけど、最初より明るかったし……。
ピリピリした空気を和ませるためか、さりげなくマスターがブレンドを出してくれた。
……いつも通りガムシロップは2つ付いている。
「現実と虚構の差なんて彼女は理解していないよ。お前の言った言葉は全て真として受け取られる。その中の記憶を再構築し、彼女は一つの解決策を見出した」
「それは……?」
「――自殺だ」
僕にはなぜ『自殺』という結論に至ったかさっぱり理解できなかった。
言葉として言ったことには言ったよ。それは虚構の中の彼女を救う意味として――
だが、現実と虚構の差を理解できていないなら話は別だ。
――一瞬にして血の気が引く。
額から汗が止まらない。バクバクと動悸も相まって気が遠のきそうになる。
じゃあ、彼女は今どうなっているんだ。死の淵に佇んでいるのか!?
「タナトスの誘惑を教えてしまったらそこでおしまい。気付かなければどれだけ良かったことか……」
「君は八宮さんと同調しているだろう? 彼女に止めるよう頼み込めないか」
「残念ながら統合は取れてませんけどね。あぁ、そろそろ――」
「待て、水谷ッ! 彼女に死んでほしくないんだ……。どうか、どうか……死なないで……っ」
彼の手を取り、泣きじゃくって懇願する。
そういう意味で言ったわけじゃなかったんだ。僕はただ、幸せになってほしくて――
「憑りつかれた彼女を引き戻すなど困難だ。内に溜まりこんだ攻撃性を放出するにあたって自殺は何かと便利すぎる代物であるが故に――」
彼は指輪をテーブルに置くと、一呼吸おいて僕にこう言った。
「――アイオライトのペンダントをずっと持っていてほしい。それが彼女の……いや、貴方の慰めとなるだろう。きっと、彼女のこともすぐに忘れるだろうけど……」
その声は、震えていた。おそらく死への恐怖からなるものだろう。
涙を見せないように彼は席から立ち上がると、ジャケットを持って店から出ようとした。
……本当に死ぬ気だ。横顔しか見えなかったが、間違いなく死に際の顔をしていた。
「忘れるわけないだろう! そんな、大事な――」
……っ?
なぜ、僕は立ち上がろうとしたんだ?
何か込み上げるような感情があった気がしたが、果たして何に対してのものだったか。
マスターと話していたわけではないし、他に客がいるわけでもないし……。
うぅっ、変に動悸がする。40歳に近づくと身体もガタが来るね。
とりあえず、冷めないうちに飲まないと……。
「佐倉さん、体調悪いんですか? 顔が真っ青ですよ」
「えっ」
スマホカバーについている手鏡で確認してみると、確かに死人かと思うほど血色が悪くなっていた。
ちょっと寒気もするし、風邪か?
……それじゃ長居しちゃいけないな。
「学校出た時にはこんな感じじゃなかったんですがね……。風邪だとまずいので早めに出ます」
ゴクゴクと飲み干し、「ごちそうさまでした」と言って500円をテーブルに置き店を後にした。
*
店を出るとけたたましいサイレンと共に救急車が横切った。
方角的に駅の方だろうか。電車が止まってなければいいが。
他の場所からも消防車のサイレンが聞こえてくるため大ごとなのだろう。
公務員は大変だなぁ……。僕もそうだけどさ。
そんなこんなで小岩駅に着くと、【運転見合わせ】の文字が電光掲示板に映し出されていた。
あー、平井で人身事故か……。こりゃ当分動きそうにないな。悪い予感だけは当たっちゃうものだ。
寒気は引いたけど、一応ドラックストアに寄って薬でも買っておこう。
花粉症のせいで鼻は壊れてるし、耳がおかしくなっているんだよ。
まぁ、幻聴かもしれないけど……
――誰かの叫び声が、耳の奥でこだましているんだ。
にゃーん
宿題用に書いたのに形式満たしてなかったにゃ。要件多すぎない?




