顕現された魔性
もう、この中学に着任して3年か。
不祥事さえ起こさなければ、大体3の倍数のスパンで学校を異動することになっている。
おそらく、僕は異動かかるだろうなぁ。前の学校も3年しかいなかったし、その前だって3年間しかいれなかった。全然教師間と馬が合わないから仕方ないか。ははは。
僕は今こうやって生徒を指導している立場であるが、昔は会社員であった。
そこではうまくやっていたよ。ただ、零細企業だったせいか吸収合併されちゃってね……。その後少し働いていたけど、立場なんてあったもんじゃないから辞めちゃった。
教職は楽しいかって? 決して楽しくはないよ。子供は好きだが親が憎たらしい。変な文句つけてくるからやってらんないよ。成績下がる時期だって必ずあるんだから……。
そもそも、東京は筆記だけだから受験楽でいいじゃないか。僕が住んでいた千葉なんて学力試験に面接、作文まであるんだからもっと大変だよ?
あっ、ちなみに僕は江戸川区で教えてるけど、千葉ではないからそこはお忘れなく。あるゲームをやっていると舞浜市扱いにされているが……。
まぁ、それはともかく、早く研究課題を終わらせないとなぁ。一応、教職は教材研究と授業研究がメインだからね。無駄な会議が入ると全然できない悲しみよ。教頭は何を考えているんだか。
「さてと、帰るか」
最近は18時に学校を出れればマシな方だ。これでも9年はやっているから地位としては上になっちゃうんだよ。始末が面倒だ。
まだ妻がいれば疲れが吹っ飛ぶんだけどね。残念ながら独身の魔法使いだ。
……今日は小岩にある行きつけのカフェにでも寄って帰るか。なんとなく寂しくなったときはいつも行っている。通り道だから行きやすいしね。
*
3月末とはいえ、まだまだ夜は寒い。薄手のジャケットでは冷えが凌げない。
だからといい日中は20度を超えるし、ピーコートを着て歩いていたら都会の人に笑われる。
難しい季節だよなぁほんと。世の男性陣はどのようにして過ごしているのだろうか……。
そんなことを考えているうちに目的のカフェ「ダチュラ」に辿り着いた。
名前の由来は鉢植えで育てている花が由来だそうだ。夏ごろに白い花が咲いているのは記憶にある。
カランカラン……
ドアについているベルが心地よく鳴った。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
声をかけてきたのはいつものマスターではなく黒縁眼鏡をかけた若い女性であった。
コーヒーカップを拭きながら、こちらをちらちらと見ている。
しかし、この時間帯で誰もいないなんて珍しいな。
真ん中から少し左に逸れた位置に腰掛ける。真ん中じゃ……ちょっと恥ずかしいし、端というのも店員さんを動かすことになるから申し訳ないし。混んでなければ大体この位置に座っている。
ジャケットを畳みながら壁にかけてあるメニュー表を眺める。
今日はどうしよっかな。ブレンドとカレーライスでもいただこうか。ここの飯物はうまいからね。
「すみませーん」
「はっ、はい」
「ブレンドとカレーライスいただけますか?」
「……かしこまりました」
女性は緊張しているのかどこかおぼつかない態度だ。新人なのかな?
でも、どこか訝しんだ顔をしている。何か僕やらかしちゃった?
そう思いつつ、GoogleScholarで教育現場のレポートを読んでいた。
日本も落ちぶれたよなぁ……読んでいるとだんだん質が下がっているのが目に見えて分かる。事務作業に追われて時間が割けないのが原因なんだろうけど。
現在行っているいじめの対処なんて意味ないのに。綺麗事並べて阿保らしいったらありゃしない。あんなの暴行罪で少年院にでも突っぱねるのが最善策だ。僕らの仕事じゃない。
僕が学生だった頃と大して変わってないじゃないか。あの先生がいなかったら僕だって死んでたと思う。
「……ブレンドです」
「あぁ、ありがとう……ってなんで?」
「えっ?」
なんと、ソーサーの横にちゃんと二つガムシロップが付いていたのだ。
これは甘党だと知っているマスターしか知らないはず。今日、初対面だよな……?
「いや……ガムシロップが……」
「あっ、今日は一つで良かったですか?」
「そうじゃなくて、なんで知ってるのかな……?」
あっ、と小声で呟き、目を逸らしたあとバツが悪そうな表情を浮かべた。
「マ、マスターがおっしゃっていたので……」
「僕は確かに常連だと思われていたけど、君が当てる道筋って……」
「まぁまぁ、いいじゃないですか佐倉さん何か都合が悪いことでもおありで?」
――ゾクゾクっと背筋が一瞬にして凍る。
初対面で何も情報を与えていないのに、この女に全てを見抜かれているような気がする。
マスターが言った? それだけで僕の名前を当てられるはずがない。第一、行く日はランダムだし時間もバラバラだ。
「まだ分からないんですか? 私のこと」
ニタリと笑った後、彼女はおもむろに眼鏡を外した。
そして、腕をまくって僕に見せつけてきた。
「あぁ……君は――」
だいぶ大人びているが、脳裏にしっかりと残っている。
あれは――8年前にいた葛飾区の学校の子だ。
彼女は僕が担当する数学だけは全部100点を取っていた。
その人に好かれるよう変幻自在に態度を変える。
その魅力に抗えず皆堕ちていく。恐ろしき魔性の女。
その麗しき黒髪に、煌めく星のような瞳には誰も叶わなかった。
「Odi et amo」……それが彼女の口癖であり、左腕の外側に彫られていた文字だった。
君のことを片時も忘れちゃいないよ。後にも先にも、君を超える人材はいない。
『八宮真梨』――それが彼女の名前だ。




