風鈴
「いらっしゃい!」
店に入ると、椎名の涼しげな声が出迎えてくれた。それと同時に、『チリィ~~ン』という何とも涼しげな音が……。
「きれいな音色だな? 風鈴?」
俺は聞いた。
「ええ、早い時間に烏丸さんが南ちゃんと来られて、お土産にって。デートの途中みたいでしたよ」
そう言いながら、椎名が指さす方向を見ると、渋い緑色の風鈴の短冊が、エアコンの風を受けてヒラヒラと揺れている……。この音、どこかで聞いたことがあるんだよな……。
「鉄製?」
俺は聞いた。
「南部鉄だって。ガラスより、音の余韻が長い気がするんだよな……」
今度は大将が言った。
「確かにな……。 あ、椎名、ビール」
今日は、椎名の『浴衣デイ』二回目。厳密には椎名が浴衣で店に立つのは三回目だが、前回とは違う柄のお披露目の日だ。店は結構混んでいる。こうなることを予想してか、原田さんを始めとする週末の常連の姿はまだない。既に帰ったのかもしれないけど……。大将も椎名もせっせと仕事をこなしている。
間もなく椎名がビールとグラスを持ってきた。カウンターの中では大将も椎名も忙しそうなので、俺はビールを飲みながらテレビを見ていた。
「はい、これ! 夏の特別メニュー」
しばらくして大将が出してきたのは、鮎の塩焼きだ。初夏の風物詩ってことか。店に入った時、メチャメチャ良い匂いがしたけど、こいつがその正体だったんだな……。
「あ、熱いから気をつけてね……」
店が忙しくても、大将はこういう気配りは絶対に忘れない。俺は、箸で身の一部を崩してから一口……。美味すぎる。しかし、とにかく熱い。炭火の遠赤外線効果ってやつか……、全然冷めない。塩焼きには何やら緑色のソースがかかっている……。何だろ? これ……。今忙しそうだし後で聞くことにしよう……。
料理の美味さと熱さが手伝って、あっという間に一本目のビールがなくなった。
「椎名、ビールもう一本!」
俺は言った。
「はぁ~い!」
涼しげな声で元気良く答えてビールと新しいグラスを持ってくる椎名。ちょっと汗ばんでいる……。
「はい、どうぞ」
椎名がビールとグラスを俺の前に置いたので、新しいグラスにビールを注いで言った。
「暑いだろ? それ飲みな」
「あ、ありがとうございます! 実は喉カラカラで……」
「うん、見ていたらそうだろうなって思った」
「じゃ、遠慮なく頂きまーす」
椎名はニッコリ笑ってグラスを持ち、一気にビールを流し込んだ。グレイトな速さだ……。
「ああ、美味しい! ありがとうございます!」
そう言い残して、食器を洗いに戻った。今、店にいるお客さんは、そろそろおひらきのタイミングらしく、順番に店を出ていく。大将は、そのお勘定に忙しそうだ。椎名は帰ったお客さんの食器を引いている。洗い物は、既にシンクの銀色部分が見えないほどの量……。椎名の浴衣効果、恐るべし……。
暫くして、他のお客さんはみんな帰り、店の客は俺だけになった。
「さあて!」
椎名は小さな声でそう呟くと、今度は怒濤の洗い物が始まった。素晴らしい手際で見る見る洗い物の山が消えていく……。この店の名物が始まった。
「あれだけは、絶対に勝てないんだよ……。超人的速さだろ? しかもピッカピカなんだよ」
大将が俺に小さな声で言った。確かに……。しかも、感心するのは、殆ど食器の音がしないところだ。いや、僅かにしているのかもしれないが、水道の流れる音とテレビの音で十分にかき消されるレベルだ……。椎名の手際に見とれているうちに、間もなく洗い物は片付いた。
「ふぅ!」
椎名は手を拭きながら、一息ついた。俺は、さっきのグラスにもう一度ビールを注いだ。
「お疲れさん! ほら!」
そう言って、グラスを少し椎名の方へ押した。
「わあ! ありがとうございます! じゃ、頂きまーす!」
今度はちょっとゆっくりと味わうように飲み干した。
「ああ、美味しい! 生き返りました!」
嬉しそうに笑う椎名。浴衣もバッチリ似合っている。
「大将もどうですか?」
俺は大将に声をかけた。大将は大将で、調理場の片付けの真っ最中だ……。
「あ、ありがとう。後で頂くよ……。そろそろ次の常連さんがやってきそうだし、下準備だけでもしておきたいから……。それと……」
そう言いながら、たっぷり氷と透明の液体が入ったビアジョッキを持ち上げた。
「八木さんからのがまだ半分以上……」
大将は持ち上げたジョッキの液体を一口飲んだ。
「ファンからのプレゼントみたいです……」
「女性?」
「ええ、いつもは平日に来られるお客さんなので、私はあまりお会いしたことがないのですが、熱烈な尾田さんのファンらしいです」
椎名が笑いながら言った
「あれ、焼酎?」
俺は聞いた
「ええ、八木さんも同じものを飲まれますよ」
「すごい量じゃない?」
「あ、でも元々は氷が殆どなので、焼酎は普通の二杯分くらいです」
「でも、今は水割り状態……」
「それがあの飲み方の楽しみらしいです。最初強烈で、段々薄くなってくるから、自分のペースで楽しめるらしいです。ずっと冷たいし。量も減らない。私は面白いと思いました」
椎名は笑いながら言った。
「なるほど……。八木さんか……知らないな……」
「さっき、向こうの端で飲んでられた方ですよ」
椎名はそう言って、カウンターの反対側を指さした。確かにさっき女性がいたな……。
「周りのお客さんからは、『メリー』って呼ばれていますけど」
椎名は言った。
「どうして?」
「八木さんだからじゃないですか?」
「いや、『メリーさんの羊』だけど……」
「あら、本当ですね……」
椎名は笑った
「そもそも、『メリー』は羊の名前でもないし……」
俺は言った。
「そう言えば、条件反射を起こした人が、『パブロフ状態だ!』って言うのに似てますね……」
「うん、条件反射を起こしたのは、犬だからね」
そんなくだらない話をしながら二人で笑っていると、店の玄関が開き、風鈴が涼しげな音を立てた。
「椎名~」
最初っから鼻の下伸びまくった状態で横田さんが登場。その後ろから原田さん……、月野さん、和久井さん……、ってオールキャスト? あ、エドワードがいないか……。
「エディは、後から来るって! あ、いつもので」
「俺たちはビール」
今日も月野さんは浴衣姿だ。
「あ、今日もきれいな浴衣ですね!」
椎名は言った。
「椎名こそ……」
月野さんが返す。確かに二人とも良く似合っている。第一回の時と雰囲気が違う。椎名の浴衣は俺が作為的にそう考えて選んだのだが……。月野さんの浴衣はすごくしっとりしていて、古風な感じが魅力的だ。なんだろ……、貫禄があるんだよな……。
「実はこれ、和久井さんの奥さんのをお借りしたんだ。この前の時に和久井さんから……」
月野さんは嬉しそうに言った。和久井さんはベレー帽を少し下げて照れている。
「いや、光ちゃんが着るのであれば、持って帰りなさい。他にも何着かあるが、もうずっと箪笥の肥やしになっとるからな……」
和久井さんはそう言った。月野さんは、静かに頷いた。
「ところで、今日の椎名の浴衣の柄は……。お、風鈴かい? いいねぇ……」
横田さんは興味津々だ。
「『風鈴』ってのは、どういう意味だっけ……。カタログに載っていたっけ……?」
原田さんが言った。
「『風鈴』は『これが良い』と言われて即決で選んだものです。柄の意味とかは無いみたいです」
椎名はそう言って、俺をちらりと見た。
一同の視線が俺に注がれる……。ちょっとやりにくい。
「確かに良い選択じゃな……」
和久井さんがそう言って、焼酎を一口飲んだ。一同フンフンと頷く。
「あ、良かったです。ご期待にお応えできたようですね……」
椎名はそう言って、ペコリとお辞儀をした。髪のトンボ玉の青いガラス玉がキラリと光った。
「その、なんて言うの……。まさにイメージにぴったりって言うか……」
月野さんが言った。またもや一同頷く。その時、また玄関のドアが開いてエドワードが入ってきた。
「コンバンワ! 椎名! 光! 来タヨ!」
エドワードがそう言った瞬間、店の風鈴が涼しげな音を立てた。
「ワオ! コレハ風鈴デスネ? 涼シク優シイ音色デスネ! 椎名ノ『イラッシャイ』ト同ジネ!」
エドワードはつるしてある風鈴を手にとって、興味深そうに見ている。
「エディ、見事に言い当てたわね! そうなのよ、私もこの店に入ったとき風鈴の音色が椎名の声に聞こえたのよ」
月野さんは言った。
「ソウデスカ? ソレヨリ光! 今日モマタトテモ美シイデスネ! 益々『ベッピンサン』デス!」
どうも、エドワードの月野さん好きは原田さんと同等のレベルになっているようだ。原田さんもエドワードの肩を叩いて、頷いている。月野さんは、少し照れながら手を挙げて応えている。
「しかし兄ちゃん、そこまで見越してこの柄を選んだってことかい? さすがに椎名のことよくわかっているなぁ……」
原田さんが言った。横田さんも頷いている。
「いえ、正直、今のエドワードや月野さんの話で、自分も気付いた感じです」
いきなり注目の的になって、椎名は少し照れている。
「確かに椎名の『いらっしゃい』は、胸がスッとするものな……」
横田さんが言った。一同頷く。椎名は段々赤くなってきている……。
「『1/Fのゆらぎ』って感じかしら」
月野さんが言った。うまいこと言うな。本当にそんな感じだ。
「何だい? それ?」
原田さんが聞いた。
「ん~、専門的な説明になると長くなっちゃいますが、要は本能的に心地よい声ってことです」
月野さんは言った。
「烏丸さんと南ちゃんに頂いたんですよ」
精一杯の力で話題を変えようと椎名が言った。
「烏丸さんたちも同じことを思ったんだろうなぁ……」
月野さんは言った。
「そう言えば、烏丸さん、最近少しシュッとしてきたよな……」
鮎の塩焼きを人数分運んできた大将が言った。椎名が一人一人に『熱いですよ』って注意しながら配っている。
「彼女ができたからじゃないですか?」
俺は言った。ようやく注目の的から外れて、椎名はホッとしたような表情になった。大将が助け船出したんだな。
「ワオ! コレハ何デスカ? 良イ匂イガシマス!」
エドワードのテンションが一気に上昇した。
「鮎の塩焼きだよ。鮎は川に住む魚だよ」
大将は説明した。
「美味シソウデス!」
エドワードはそう言って、上手に箸で身をほぐして一口……。
「ワオ! トテモ美味シイデス! コノ店ノメニューハ全テ美味シイデス!」
そう言って、芋焼酎をゴクリ……。
「椎名! コレハ冷酒ガ飲ミタクナリマス! 冷酒ヲ下サイ」
何て日本の心がわかっているアメリカ人なんだろう……。確かにベストチョイスだ。
「エドちゃん! 相変わらずわかっているねぇ。確かに冷酒はバッチリだぜ!」
原田さんはエドワードに親指を立てた。
「良いなぁ、私も冷酒飲みたくなってきた。椎名、私にも!」
月野さんが言った。
「ワオ! 光モ一緒デスカ? 是非一緒ニ飲ミマショウ! ソレニシテモ……」
エドワードが複雑な表情に変わる。
「どうしたの?」
月野さんが聞いた。
「コノ緑色ノソースハ何デスカ? 今マデ食ベタコトガアリマセン」
エドワードは大将に聞いた。それ、俺も気になっていたんだよな……。
「それは、蓼酢だよ」
大将は答えた。
「『蓼食う虫も好きずき』の『蓼』ですか?」
俺は聞いた。
「紅色のやつはお刺身についているから見たことあるでしょ?」
大将はそう言って、お刺身のツマが入った小鉢を俺たちに見せてくれた。
「コレガコノソースノ材料デスカ?」
エドワードが聞いた。
「いや、蓼酢に使うのはこっちの方だよ」
大将はそう言って、緑色の葉っぱを見せてくれた。
「これをすり鉢ですりつぶして、酢と水を半々に割ったものに混ぜるんだよ」
銀色のボウルに入った蓼酢の作り置きを見せてくれた。
「米粒を入れておくと、色変わりが遅くなるんだよ」
大将は言った。
「そうなんですか? 勉強になります!」
椎名が今のプチ情報に食いついた。早速メモを取っている。本当に熱心だな……。
「『蓼食ウ虫モ好キズキ』ハ、ドウイウ意味デスカ?」
エドワードの質問は続く。
「辛い蓼を食べる虫もいるように、人の好みはそれぞれってことだよ」
大将は説明した。
「私なんかでも、原田さんとエディだけは、『べっぴんさん』って褒めてくれるでしょ? そういうことよ」
月野さんが笑う。
「光ハ、誰ガ見テモトテモビューティフルデス! 苦クアリマセン! ベリースィートデス!」
エドワードがあまりにも強い調子で否定したので、月野さんは真っ赤になって何も言えなくなってしまった。
「さすがのべっぴんさんもここまでストレートに来られると、対処できねぇな」
原田さんが笑う。月野さんは原田さんを一瞬睨んで、カウンター下で原田さんをパシパシと……。
「今日もいっとくかい?」
空気を察したのか、横田さんがセカンドバッグからまたカメラを取り出して言った。
「良いねぇ!」
一同同意! また楽しく飲みながらの撮影会が始まった。
今回、エドワードと月野さんのツーショットは月野さんは全部下を向いた写真になっていたけど……。




