冒険者の証
「それでは、ヴァンさん。いくつか確認させていただきますね」
「は、はい!」
思った以上に大きな声が出た。
受付の女性が申請書を机に広げる。その何気ない仕草を見ただけで、ヴァンの背筋はぴんと伸びた。
とうとう始まる。
六年間、憧れ続けた冒険者になるための手続きが。
(……何を聞かれるんだろう)
名前も年齢も、住所も書いた。何度も見直したから、間違いはないはずだ。
でも、もし難しい質問をされたら?
答えられなかったら、登録を断られるんだろうか。
「ふふ。そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ」
「えっ?」
「まずは、申請書の内容を確認するだけですから」
「あ……はい」
どうやら、顔に出ていたらしい。
女性は優しく微笑み、書類に目を落とした。
「お名前は、ヴァン・エンデリオンさん。十六歳。お住まいは……こちらの酒場で間違いありませんか?」
「はい! 住み込みで働かせてもらっています」
「では、緊急時の連絡先に書かれているバルドさんは?」
「店の主人です。えっと……僕の保護者でもあります」
「そうなんですね」
さらさらとペンが走る。
今のところ、問題はなさそうだ。
ヴァンがこっそり息をついた、そのとき。
「冒険者としての活動経験は……なし、ですね」
「……はい」
途端に、声が小さくなった。
わかっていたことだ。
それでも、改めて言葉にされると胸が痛む。
「でも、剣の稽古はしています!」
気づけば、身を乗り出していた。
「六年間、毎朝欠かさず! 酒場に来る冒険者の方たちにも教えてもらっていて、それに魔物のことも本で勉強して……」
「あっ……」
途中で我に返る。
聞かれてもいないことを、必死になって喋ってしまった。
「す、すみません……」
「謝らなくても大丈夫ですよ」
女性は少しも困った様子を見せなかった。
「六年間も続けてこられたんですね。それは立派なことだと思います」
「……ありがとうございます」
「ただ、稽古と実際の依頼は違います。どれだけ準備をしていても、思いどおりにならないことはありますから」
その言葉に、ヴァンは膝の上の手を見つめた。
六年間、剣を振ってきた。
魔物の特徴も、習性も、できる限り覚えた。
それでも。
本物の魔物を相手に剣を抜いたことは、一度もない。
(……僕なんかが、本当に冒険者になれるのかな)
さっきまでの高揚が、少しずつしぼんでいく。
「ヴァンさん」
「は、はい」
「最初から経験のある方ばかりではありませんよ」
顔を上げると、女性は穏やかに続けた。
「だからこそ、自分にできることを知って、無理をしないことが大切なんです」
「……はい」
その言葉を、ヴァンは胸の中で繰り返した。
自分にできること。
それがどれほどあるのか、まだわからない。
けれど、知ることはできる。
今日、ここで。
「では、冒険者として活動するための説明に移りますね」
女性が机の下から小さな冊子を取り出した。
表紙には、冒険者ギルドの紋章が刻まれている。
「まず、冒険者のティアについてはご存じですか?」
「はい! ⅩからⅠまであって、Ⅰに近いほど上位の冒険者ですよね」
「そのとおりです。ティアは実力や実績などを総合して認定されます。依頼をたくさん達成すれば、それだけで上がるというものではありません」
「なるほど……」
「新しく登録する方は、原則としてティアⅩから始まります」
ティアⅩ。
一番下のティアだ。
けれど、ヴァンにはその響きが少しだけ特別に思えた。
今までの自分には、ティアすらなかった。
冒険者になりたいと願いながら、ギルドの扉を開けることさえできなかったのだから。
(……ティアⅩかぁ)
ふと、昨夜の光景が浮かぶ。
酒場を訪れた、白い鞘の少女。
エリシア・アストレイン。
淡い青銀色の髪に、静かな佇まい。
自分より一つ年上なだけなのに、彼女はすでにティアⅥだという。
(……すごいよなぁ)
四つも上。
いったい、どれだけの冒険をしてきたんだろう。
どんな場所を見て、何を発見してきたんだろう。
考え始めると、次々に知りたいことが浮かんでくる。
「ヴァンさん?」
「……あっ、はい!」
顔を上げると、女性がこちらを見ていた。
「何か気になることでも?」
「い、いえ! 大丈夫です!」
慌てて首を振る。
危ない。
また余計なことを考えてしまった。
「では、次はステータスについてです」
「はい!」
「こちらもご存じですか?」
「筋力や俊敏性、魔力などの能力を、アルファベットで評価するものですよね?」
「ええ。評価はFからSまで。ただし、ステータスとティアは別のものです」
女性は冊子の一頁を示した。
「特定の能力が優れていても、それだけで高いティアになるわけではありません。逆に、すべての能力が高くなくても、自分の得意なことを活かして活躍する冒険者はいます」
「……なるほど」
本で読んだことはある。
けれど、こうして正式に説明されると、急に自分のこととして感じられた。
「それでは、次に……」
「あ、あの!」
思わず、女性の言葉を遮ってしまった。
「はい?」
「その……ステータスって、今日測るんですか?」
「はい。登録時に確認しますよ」
「そ、そうなんですね……」
ヴァンは自分の手に目を落とした。
何度も剣を握ってきた手だ。
六年間、毎朝稽古を続けてきた。
それでも、自分がどれくらい強いのかなんて、わからない。
(……全部Fだったら、どうしよう)
いや。
むしろ、十分ありそうだ。
酒場の冒険者たちには、いつも敵わなかった。
(……六年もやって、全部Fだったら……)
想像するだけで肩が落ちる。
「ふふっ」
小さな笑い声に顔を上げた。
「あっ、何かおかしかったですか?」
「いえ。結果が気になって仕方ないんですね」
「……はい」
どうやら、また顔に出ていたらしい。
「でも、安心してください。登録時のステータスだけで、将来が決まるわけではありません」
「そう……なんですか?」
「もちろんです。冒険者として経験を積めば、能力も変わっていきますから」
女性は冊子を閉じ、ヴァンの目を見た。
「大切なのは、今の自分を知ることです。何ができて、何ができないのか。それを理解することが、無事に帰ってくるための第一歩になります」
「……帰ってくる」
また、その言葉だ。
冒険者になる。
未知の場所へ行く。
まだ誰も見たことのない景色を、自分の目で見る。
そんなことばかり考えていた。
けれど、冒険には帰る場所がある。
自分には、バルドの待つ酒場がある。
「……はい。覚えておきます」
ヴァンが頷くと、女性は微笑んだ。
「では、説明は以上です。続いて、ステータスの確認に移りましょう」
「……はい!」
ヴァンの心臓が、大きく跳ねた。
とうとうだ。
六年間、毎朝剣を振ってきた。
本を読み、冒険者たちの話を聞き、自分なりに努力を続けてきた。
その六年間が、初めて目に見える形になる。
怖い。
もし、思っていたよりずっと低かったら。
もし、自分には何の才能もなかったら。
それでも。
(……知りたい)
今の自分が、どれくらいなのか。
何ができて、何ができないのか。
「こちらへどうぞ。測定の場所までご案内します」
女性が席を立った。
ヴァンも慌てて立ち上がる。
腰の短剣に、そっと手を触れた。
いつもと変わらない感触。
けれど今日は、その重みが少し違って感じられた。
(……よし)
小さく息を吸う。
まだ怖い。
それでも、足は動いた。
ヴァンは受付の女性の後を追い、カウンターの奥へと歩き始めた。




