最初の依頼
案内されたのは、カウンターの奥にある石造りの小部屋だった。
中央に、古びた石の台座がある。表面には、見たこともない文字が刻まれていた。
「ギルドの古い遺物です。古代の人々が作ったもので、現代では同じものを作れません」
女性は穏やかに言った。
「これが測定装置です。人にも、魔物にも使えます」
「魔物にも……?」
「ええ。すべての生き物には、星譜と呼ばれるものが存在するんです」
「星譜……」
「生まれながらに持っている、その人だけの『存在の証』です。この装置は、それを目に見える形にすることができるんですよ」
ヴァンは、改めて台座を見つめた。
古代の人々が作ったという、不思議な装置。
自分の中にも、そんなものがあるのだろうか。
「それでは、上着を脱いで背中をこちらへ向け、台座に触れてください」
「は、はい」
言われたとおりにして、ヴァンは台座に手を当てた。
ひんやりとした石の感触。
次の瞬間、背中に淡い光が広がった。
熱くはない。
けれど、何かが皮膚の上をなぞっていくような、不思議な感覚がある。
(……なんだろう、これ)
光は、すぐに静まった。
「終わりました。少し、そのままでいてくださいね」
女性がヴァンの背中を確認する。
「……はい。きちんと刻まれています」
「あの……僕の背中、どうなってるんですか?」
「星譜の紋様が浮かんでいます。その周りには、能力を表す古代文字も刻まれていますよ」
「古代文字……?」
「ええ。ただ、ギルドでも古代文字のほとんどは読めません。能力の評価を表す部分だけは、長年の研究で読み取れるようになっているんです」
女性はヴァンの背中に刻まれた文字を確認し、手元の記録と照らし合わせた。
「他の文字は、研究している学者の方でも、わかっているのはほんの一部だそうですよ」
「そうなんですか……」
(古代の人たちは、これを全部わかっていたのかな……)
気になる。
けれど、今はそれ以上に気になることがあった。
(……僕のステータス、どうだったんだろう)
「確認できました。上着を着て大丈夫ですよ」
「は、はい!」
ヴァンは慌てて上着を着た。
女性は記録をまとめると、銀色の小さな札を差し出した。
「こちらが、冒険者証です」
表には、ヴァンの名前と、小さく刻まれた文字。
Ⅹ。
裏には、測定の結果が書かれていた。
筋力 E
俊敏 E
耐久 F
魔力 F
感知 D
制御 E
(……やっぱり、そうなんだ)
Fが二つ。
覚悟はしていたけれど、実際に見ると、胸にくる。
「新人としては、立派な結果ですよ」
「えっ?」
「Eが三つもある方は、あまりいらっしゃいません。毎日の訓練の成果だと思います」
「……そう、なんですか」
「それと、感知のDですが」
女性は、そこで言葉を切った。
「登録時にこの評価が出るのは、珍しいです。気配や周りの変化に気づく力ですね。思い当たることはありますか?」
「えっと……酒場で働いていると、お客さんの様子には、つい気がつくんですけど」
「ふふ。それかもしれませんね」
(でも、感知がDだなんて、何かの間違いじゃ……)
「記録に間違いはありませんよ」
「えっ」
「顔に出ていました」
女性は、いたずらっぽく笑った。
「数値がすべてではありません。無事に帰ってこられるかどうかは、別の話です。それをどう活かすかは、ヴァンさん次第ですよ」
「……はい」
浮かれかけた胸が、すっと落ち着いた。
けれど、嬉しさは、消えなかった。
(……僕の六年間、ちゃんと、どこかに残っていたんだ)
「これで、登録は完了です。ヴァン・エンデリオンさん。本日から、冒険者ギルドの一員になります」
「……!」
実感が、遅れてやってきた。
胸の奥が、じわりと熱くなる。
(僕、本当に……冒険者になったんだ)
「さっそく、依頼をお受けになりますか? それとも、今日はここまでにしますか?」
「えっ」
考えていなかった。
登録だけで精いっぱいで、その先のことなんて、頭からすっぽり抜けていた。
「あの……掲示板を、もう一度見てきてもいいですか」
「ええ、もちろん。気になる依頼があれば、書類を剥がしてお持ちください」
ヴァンは頭を下げ、掲示板の前へ向かった。
ーーーー
壁一面に、依頼書が貼られている。
さっきは、見ているだけだった。
今は違う。
この中から、自分が受けるものを選ばなければならない。
(ティアⅩが受けられるのは……)
端から順に目を走らせる。
『西の鉱山跡 小型魔物の討伐 ティアⅨ以上』
『街道巡回の補助 ティアⅧ以上・要経験』
『廃坑内の調査 ティアⅦ以上・同行者三名以上』
『北方遺跡・未調査区画の探索 ティアⅤ以上』
(北方遺跡……さっきの通路の話の依頼だ)
行ってみたい。
でも、ティアⅤ以上。今の僕には、まだずっと先の話だ。
「……だめだ、全部足りない」
どれも魅力的に見える。
けれど、条件の欄で、あっさり弾かれてしまう。
ヴァンは少し下の段へ視線を移した。
『倉庫の荷運び補助 ティア不問』
『屋根の修繕資材の運搬 ティア不問』
『薬草カレンタの採取(東の森) ティアⅩから可』
最後の一枚で、手が止まった。
(これだ。ティアⅩでも受けられる、森の依頼)
カレンタは、傷薬の材料になる薬草だ。
本で何度も読んだ。葉の形も、生えやすい場所も、よく覚えている。
(東の森なら、街から日帰りで行ける。採取なら、魔物と戦わなくて済む)
そこまで考えて、ヴァンは小さく息をついた。
(……戦わなくて済む、って真っ先に考えるあたり、僕らしいな)
苦笑が漏れる。
けれど、悪い判断じゃないはずだ。
初めての依頼で、いきなり魔物と向き合う必要はない。
知っている薬草で、行ける距離で、できることから始める。
隣の紙にも目をやった。
『解毒草シスリカの採取 ティアⅩから可』
(シスリカも受けられる。でも、生える場所の条件が細かくて、日帰りで探すのは難しそうだ)
何より、今の自分には、森のほうが想像がつく。
「……うん」
ヴァンは、カレンタの依頼書に手を伸ばした。
指先が、紙に触れる。
そのとき、ふと、森の奥で群れを作る魔物の姿が頭に浮かんだ。
灰牙狼。
最近、浅い場所でも見かけられているという話を、酒場で聞いたことがある。
(……大丈夫、かな)
手が、止まった。
やっぱり、やめておこうか。
荷運びなら、危険はない。
街の中で、確実にこなせる仕事だ。
(でも)
ヴァンは、冒険者証をぎゅっと握った。
荷運びも、立派な仕事だ。
それは、わかっている。
けれど、六年間、自分が思い描いてきたのは、街の外の景色だった。
怖い。
でも、気になる。
そのふたつを、天秤にかける。
答えは、すぐには出なかった。
だから、まず、聞いてみることにした。
カレンタの依頼書を剥がし、受付へ戻る。
ーーーー
「東の森の薬草採取ですね」
受付の女性は、依頼書に目を通した。
「ティアⅩから受けられる依頼です。ただ、受ける前に、受注条件について説明しておきますね」
「お願いします」
「依頼には、ティアによる制限があります。それとは別に、内容に応じて、必要な資格や経験が指定されることもあります。この依頼は、ティアⅩで問題ありません」
「はい」
「ただし、条件を満たしているからといって、危険がないわけではありません。特に魔物が関係しそうな場所では、事前に最新の情報を確認してください」
ヴァンは、ごくりと唾を飲んだ。
「あの……依頼書に書いてある場所って、いつも安全なんですか?」
「安全が保証されているわけではありません。ギルドでも可能な限り情報を集めていますが、現地の状況が変わることはあります」
「……そうですよね」
「何か、気になることが?」
少しだけ迷ってから、ヴァンは口を開いた。
「最近、東の森の浅い場所でも、灰牙狼が目撃されているって聞いたことがあって。採取の場所は、大丈夫なのかなって」
女性の表情が、わずかに引き締まる。
「東の森ですね」
手元の資料をめくり、少し間を置いた。
「そちらについては、現在、情報を確認しているところです。確かなことは、まだお伝えできません」
「そう、ですか……」
「ですので、無理のない範囲で行動してください。奥には入らず、街道に近い場所で採取を。少しでも異変を感じたら、依頼を中断して戻ること。依頼の失敗より、無事に帰ってくることのほうが、ずっと大切ですから」
また、その言葉だった。
帰ってくること。
ヴァンは頷いた。
けれど、頭の中では、別のことが気になり始めていた。
灰牙狼は、基本的に森の奥で群れを作る魔物だ。
縄張り意識も強い。
それが、どうして浅い場所にまで出てきているんだろう。
餌が減った?
それとも、別の理由が?
(……何か、あったのかな)
知りたい。
怖い話のはずなのに、疑問が浮かぶと止まらなくなる。
「……ヴァンさん?」
「はっ!」
顔を上げると、女性が少し困ったように笑っていた。
「ずいぶん熱心に考えていましたね」
「あ……すみません。どうして浅いところに出てくるのか、気になっちゃって」
「魔物に詳しいんですね」
「い、いえ! 本で読んだだけですから!」
慌てて手を振る。
「でも……知らないことがあると、どうしても気になってしまうんです」
女性は少しだけ目を丸くして、くすりと笑った。
「好奇心が旺盛なんですね。それは、冒険者にとって大切なものかもしれません。未知のものに興味を持つからこそ、見つかるものもありますから」
「……!」
胸が、少し弾んだ。
けれど。
「ただし、危険な場所で考え込むのは禁物ですよ」
「……あっ」
魔物を目の前にして、どうしてここにいるんだろう、なんて考えていたら。
(……僕、真っ先に食べられそうだ)
背筋が冷たくなった。
「き、気をつけます!」
思わず背筋を伸ばすと、女性は楽しそうに笑った。
「では、この依頼、お受けになりますか?」
ヴァンは、もう一度だけ依頼書を見た。
東の森。
薬草カレンタ。
街道に近い場所で、奥には入らない。
無事に帰ってくる。
「……はい。受けます」
「承知しました」
カチ、と小さな音が響く。
依頼書に、受領の印が押された。
「ヴァン・エンデリオンさん。ティアⅩ、薬草カレンタの採取。受注、受理しました」
その言葉が、胸に落ちた。
初めての、依頼。
「日没までには、お戻りください。カレンタの葉の見分け方は、ご存じですか?」
「はい。縁が少しぎざぎざしていて、裏側が白っぽい葉です」
「お見事です」
女性は、小さく笑った。
「では、いってらっしゃい。お気をつけて」
「……はい! いってきます!」
大きな声が出た。
ギルドの中の何人かが、ちらりとこちらを見る。
ヴァンは顔を赤くして、慌てて頭を下げた。
扉へ向かう足は、不思議と軽かった。
出口の前で、ふと立ち止まる。
(……その前に)
やるべきことが、一つあった。
酒場に帰って、バルドさんに伝えること。
最初の依頼を、受けることにしたと。
ヴァンは、冒険者証を大事に握りしめ、ギルドの扉を押し開けた。




