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東の森

東の門をくぐると、街の音が、少しずつ遠ざかっていった。

石畳が土の道に変わり、人の声が風の音に変わる。

振り返れば、城壁がまだ見えている。

それなのに、もう別の場所へ来たような気がした。

(……街の外だ)

ヴァンは、足を止めて深く息を吸った。

草と土の匂い。

遠くで鳥が鳴いている。

何度も眺めてきた景色だった。

けれど、今日は違う。

誰かに連れられているわけでもない。

自分で選んだ依頼のために、自分の足で歩いている。

(本当に、来たんだ)

胸が、どきどきと鳴る。

怖さとは違う。

もっと、くすぐったくて、落ち着かない感じ。

「……よし」

小さく呟いて、ヴァンは街道を歩き出した。

ーーーー

東の森は、街道が少し下ったところから始まっていた。

森の入口は、思っていたよりずっと穏やかだった。

背の高い木々の間から、柔らかな光が降りている。

地面には苔が広がり、湿った土の匂いがした。

(本で読んだとおりだ)

葉の形。

木の幹の模様。

足元に咲いている、小さな白い花。

ひとつひとつが、本の挿絵と重なる。

知識として知っていたものが、目の前で本物になっていく。

(すごい……)

思わず、しゃがみ込んで花を覗き込んでしまった。

花びらの筋、茎の細かな毛、葉の裏の色。

気づけば、見入っていた。

「……はっ」

我に返って、ヴァンは慌てて立ち上がった。

(また考え込んでた。受付の人に、言われたばかりなのに)

頬が熱くなる。

けれど、同時に、少し可笑しくなった。

(でも、仕方ないよな。だって、本物なんだから)

ヴァンは、気を引き締め直した。

街道から離れない。

奥には入らない。

それが、約束だ。

ーーーー

カレンタは、思ったより早く見つかった。

街道から少し入った、木漏れ日の当たる斜面。

縁が細かくぎざぎざした葉が、地面近くに広がっている。

手に取って、裏を返してみる。

(裏が白っぽい。縁のぎざぎざ。間違いない)

「あった……!」

思わず、声が出た。

自分の声が、森に響いて、慌てて口を押さえる。

(静かに、静かに)

そっと葉を摘み、傷つけないように、袋へ入れていく。

根は残す。

次の分が育つように、全部は採らない。

本に書いてあったとおりに。

一枚。

また一枚。

袋の中が、少しずつ重くなっていく。

(できてる。ちゃんと、依頼をこなせてる)

初めての仕事が、形になっていく。

それが、嬉しくてたまらなかった。

ーーーー

陽が高くなったころ、ヴァンは倒木に腰を下ろした。

荷物から、布の包みを取り出す。

まだ、ほんのり温かい気がした。

開けると、見慣れたパンと、焼いた肉。

「……いただきます」

一口かじると、慣れた味が口の中に広がった。

いつもと同じ、バルドの味。

森の中で食べているのに、まるで酒場の厨房にいるようだった。

(バルドさん、今ごろ何してるかな)

仕込みをしているだろうか。

それとも、あの人は、ジョッキを拭いているだろうか。

出かけるとき、手が止まっていたことを思い出す。

(……心配、してくれてたのかな)

考えてみれば、バルドは何も言わなかった。

でも、ちゃんと送り出してくれた。

夕飯を作っておく、と言って。

(早く、帰らなきゃ)

食べ終えて、包みを丁寧にたたむ。

袋の中身を確かめると、依頼に必要な量の、半分ほどが集まっていた。

(もう少しだ)

水を一口飲んで、ヴァンは立ち上がった。

ーーーー

陽が、少しずつ傾いていく。

袋は、だいぶ重くなっていた。

(バルドさんが言ってた。日が傾いたら切り上げろって)

木々の間から差し込む光が、さっきより橙色を帯びている。

そろそろ、切り上げる時間だ。

袋の中を覗くと、必要な量まで、あと数枚。

(これだけ採ったら、すぐ帰ろう)

ヴァンは、しゃがみ込んで、最後の群生に手を伸ばした。

そのとき。

ふと、手が止まった。

(……あれ)

何かが、おかしい。

でも、何がおかしいのかは、わからない。

ヴァンは、ゆっくりと顔を上げた。

静かだった。

さっきまで聞こえていた鳥の声が、どこにもない。

風も、止まっている。

葉のざわめきさえ、遠くなったような気がした。

(……鳥が、鳴いてない)

背筋が、すっと冷えた。

気のせいだろうか。

たまたま、鳥が飛び去っただけかもしれない。

けれど、胸の奥の何かが、小さく警告していた。

ヴァンは、息をひそめて、周りを見回した。

木々の間。

茂みの陰。

斜面の向こう。

動くものは、何もない。

何も、見えない。

それでも。

(……なんだろう、この感じ)

誰かに、見られている。

そんな気がした。

指先に、冷たい汗が滲む。

心臓の音が、やけに大きく聞こえた。

(落ち着け。まだ、何も見てない)

酒場で、冒険者たちから聞いた話を思い出す。

魔物は、人の気配を、遠くから嗅ぎ取る。

慌てて動くと、かえって気づかれる。

ヴァンは、ゆっくりと袋の口を閉じた。

音を立てないように、膝を伸ばす。

そのとき。

森の奥で、枝の折れる乾いた音がした。

ヴァンの動きが、止まる。

茂みの向こう。

薄暗い木々の隙間で、何かが、小さく動いた。

灰色の毛並み。

低い位置で、じっとこちらを見ている、二つの光。

(……まさか、灰牙狼(アッシュファング)?)

喉が、からからに渇いた。

ヴァンは、袋を握りしめたまま、一歩も動けなかった。

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