第七章
休みの日、ヤナは昼前に市庁へ着いた。
正面の石段には人が行き来していた。入口脇の掲示板には、先日見た請願審理の紙が残っている。
中へ入ると、係の者に二階の広間を案内された。
傍聴席は半分ほど埋まっていた。商人らしい男、買い物籠を足元に置いた女、年配の夫婦が並んでいる。前には長机が三つ置かれ、中央に審理をする者たちが座っていた。壁際には真偽魔法の術者が二人立っている。
ヤナは後ろから三列目に座った。
書記が立ち、今日扱う請願の名を読み上げた。
「発言するのは請願人と、あらかじめ呼び出された者です。順に問います。真偽魔法は発言中、継続して使用します」
〈発言するのは請願人と、あらかじめ呼び出された者です。順に問います。真偽魔法は発言中、継続して使用します。〉
書記は紙を一枚めくった。
「請願人は、なんでも浄化魔法の販売をいったん停止し、販売者に黒い粉の危険解析を行わせることを求めています」
〈請願人は、なんでも浄化魔法の販売をいったん停止し、販売者に黒い粉の危険解析を行わせることを求めています。〉
前方の席に、ハウフがいた。
あの講義のときと同じ上着だった。隣にはヤナの知らない男女が三人座っている。
名前を呼ばれ、ハウフが立った。
机の上に小瓶が置かれた。中には黒い粉が入っていた。
「市内で販売されている刻印具から出た粉です。この中には、第七類未同定残滓が含まれています」
〈市内で販売されている刻印具から出た粉です。この中には、第七類未同定残滓が含まれています。〉
ハウフは紙を一枚持った。
「同じ残滓を用いた試験で、動物に食欲の低下と活動の減少が出ています。条件を変えた試験でも異常が出ました」
〈同じ残滓を用いた試験で、動物に食欲の低下と活動の減少が出ています。条件を変えた試験でも異常が出ました。〉
審理席の一人が尋ねた。
「人への影響については、どう考えていますか」
「長い年月、繰り返し触れた場合、人にも害が出ると私は考えています」
〈長い年月、繰り返し触れた場合、人にも害が出ると私は考えています。〉
ヤナは両手を膝の上で重ねた。
審理席の者が別の紙を見た。
「確認された人体への呪害例を示してください」
〈確認された人体への呪害例を示してください。〉
ハウフは少しも間を置かなかった。
「確認された症例はありません」
〈確認された症例はありません。〉
書記の筆が動いた。
「あなたと同じ見解を持つ者は、ほかにいますか」
「私を除いて十四名の研究者が、長期の害を疑っています」
〈私を除いて十四名の研究者が、長期の害を疑っています。〉
「十四名の見解は、いずれも同じ解析結果に基づくものですね」
〈十四名の見解は、いずれも同じ解析結果に基づくものですね。〉
「はい。同じ試料と、そこから得られた解析結果を見ています」
〈はい。同じ試料と、そこから得られた解析結果を見ています。〉
審理席の者が書記へ顔を向けた。
「では、一件として記録してください」
書記が一行を書いた。
ハウフは座った。
次にフィオレが呼ばれた。
市場で見たときと同じように、髪を後ろでまとめていた。机の前へ進み、渡された紙を読んだ。
「当該商品について、確認済みの人体呪害はありません」
〈当該商品について、確認済みの人体呪害はありません。〉
続けて次の行を読む。
「当社の解析・試験の有無を確認し、その結果を確認した上で、当社が実施した解析・試験により人体への危険性を示唆する情報を保有していません」
〈当社の解析・試験の有無を確認し、その結果を確認した上で、当社が実施した解析・試験により人体への危険性を示唆する情報を保有していません。〉
フィオレは紙の下へ署名した。
審理席から声がかかった。
「貴店では、黒い粉の危険解析を行っていますか」
〈貴店では、黒い粉の危険解析を行っていますか。〉
「行っておりません」
〈行っておりません。〉
「分かりました。お掛けください」
フィオレは礼をして席へ戻った。
そのあと、利用者が順に呼ばれた。
最初は食堂を営んでいる男だった。
「三年使っていますが、何も起きていません」
〈三年使っていますが、何も起きていません。〉
次は仕立屋の女だった。
「毎日店で使っています。手で払っていますが、何ともありません」
〈毎日店で使っています。手で払っていますが、何ともありません。〉
三人目の女は家で使っていると言った。
「うちは子どもも触りますが、変わりありません」
〈うちは子どもも触りますが、変わりありません。〉
最後は荷運びの男だった。
「前の仕事場でも使っていました。誰も何も言っていませんでした」
〈前の仕事場でも使っていました。誰も何も言っていませんでした。〉
一人が終わるたび、書記は別の行へ書いた。
四人は互いに話すこともなく、それぞれ元の席へ戻った。
ヤナは前の机を見た。
自分も毎日使っていた。
ミルカも使っていた。
二人とも、頭が重くなった。食べられなくなった。眠れなくなった。
前の列の端に、案内をしていた係の者が立っていた。
ヤナは席を立たず、身を寄せて小さく呼んだ。
係の者が近づいた。
「私も、話せますか」
「今日ですか」
「はい」
係の者は声を落とした。
「証言できるのは、請願人と呼び出された方だけです」
「そうですか」
「請願を出すなら、一階で用紙を受け取れます」
「分かりました」
係の者は元の場所へ戻った。
ヤナも背を椅子へ戻した。
机の上では、書記が四人分の紙を重ねていた。ハウフたちの紙は別の束に置かれている。
ヤナの名前は呼ばれなかった。
ミルカの名前も呼ばれなかった。
審理席の者たちは手元の紙を確認した。
しばらくして、一人がハウフを見た。
「ハウフさん」
「はい」
「あなたが本気でそう考えていることは真偽魔法が保証しています」
〈あなたが本気でそう考えていることは真偽魔法が保証しています。〉
ハウフは黙って聞いていた。
「しかし販売停止を正当化する確認済み被害はなく、現状維持を支持する独立した一次証言が多数です」
〈しかし販売停止を正当化する確認済み被害はなく、現状維持を支持する独立した一次証言が多数です。〉
書記が最後の一行を書いた。
「以上により、本件請願は棄却します」
〈以上により、本件請願は棄却します。〉
ハウフは一度頭を下げた。
「承知しました」
〈承知しました。〉
それで審理は終わった。
人々が席を立ち始めた。
ヤナも立った。
廊下へ出ると、後ろから次の審理を待つ者たちが入ってきた。ヤナは階段を下り、市庁を出た。
帰り道は市場を通った。
なんでも浄化魔法の店先には客が二人いた。
フィオレは市庁から戻ってきたばかりらしく、上着を脱いで店の奥へ掛けていた。
客が棚の刻印具を一つ手に取る。
フィオレが包み紙を広げた。
ヤナは道の向こうからそれを見た。
荷車が間を通った。
車輪が石畳を鳴らし、店先が見えなくなった。
ヤナはそのまま屋敷へ向かった。




