第三章
朝の台所で、ヤナは水差しの口を布で拭いた。茶器を箱へ収め、蓋を閉じる。家令が戸口から顔を出した。
「支度はできた?」
「はい」
今日はエギルが市庁へ出る日だった。今月は市の裁きの長を務める番で、家の使用人を一人伴うことになっている。ヤナは水差しと茶器を抱え、玄関へ向かった。
台所ではミルカが皿を並べていた。ヤナの代わりに刻印具を使うため、袖を肘まで上げている。
「いってらっしゃい」
「夕方には戻る」
馬車の中で一度だけあくびが出た。口元を手で隠す。朝のパンは半分残していた。
廊下には当事者らしい人が何人か待っていた。紙を胸に抱えている者もいれば、椅子に座って靴先を見ている者もいる。ヤナが茶器の箱を運ぶと、戸口の役人が脇へ寄って道を空けた。
市庁の部屋には、屋敷の食堂より幅のある机が置かれていた。エギルは奥の高い席へ座った。脇に書見台があり、その下で書記が紙を揃えている。壁際には、冬の登録更新で見たのと同じ濃紺の襟章をつけた術者がいた。
ヤナの場所は書見台の横だった。水差しを置き、茶器を並べる。当事者が立つ場所は正面にあり、顔も、その前に出る文字もよく見えた。
書記が最初の紙を開いた。
呼ばれたのは、借家の修繕代をめぐる二人だった。貸し手は帳面を抱え、借り手は帽子を手に持っていた。
借り手の男が言った。
「修繕代はもう払いました」
〈修繕代はもう払いました〉
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
男は空中の文字を見た。書記は顔を上げなかった。
「半分は払いました。残りはまだです」
〈半分は払いました。残りはまだです。〉
貸し手が帳面を開いた。前に受け取った分の欄を指で示す。エギルは書記に日付を読ませ、残りを払うよう命じた。
「分かりました」
男は帽子を持ち直した。貸し手も帳面を閉じた。二人が戸口を出ると、次の者が呼ばれた。
二件目は壺だった。
買い手が両手で壺を抱えていた。白い釉の縁に細い欠けがある。売り手は空の布袋を腕に掛けていた。
「品を検めてから買いましたので、傷がついたのはそのあとです」
〈品を検めてから買いましたので、傷がついたのはそのあとです〉
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
買い手は壺を抱いたまま字幕を見た。
エギルが顔を上げた。
「検めずに買ったのですね」
「はい」
〈はい。〉
売り手は傷が店にあったかどうか分からないと言った。買い手も、いつ欠けたかは分からないと言った。
エギルは壺を買い手へ返した。検めずに受け取った品なので、代金はそのままとした。
買い手は何も言わずに壺を抱え直した。売り手と並んで出ていった。
ヤナはエギルの茶を替えた。湯気が少なくなった茶碗を下げ、新しいものを置く。
昼の鐘の前に、金物商のケラーが呼ばれた。向かいにはイサクという男が立った。
机の上には革の小袋が一つ置かれていた。口は紐で二重に巻かれている。
ケラーが袋を指した。
「この金貨は私のものです」
〈この金貨は私のものです。〉
「イサクが店から持ち出しました」
〈イサクが店から持ち出しました。〉
イサクは袋を見たまま答えた。
「この金貨は俺のものだ」
〈この金貨は俺のものだ。〉
「ケラーが俺に罪を着せている」
〈ケラーが俺に罪を着せている。〉
術者は壁際に座ったままだった。
エギルはケラーとイサクを順に見た。書記の紙には、それぞれの言葉が一行ずつ書かれていた。
「証人を」
戸口の役人が外へ出た。
最初に店番の女が一人で入った。ケラーにもイサクにも近づかず、決められた位置で止まった。
「今朝、その袋を帳場の引き出しに入れました」
〈今朝、その袋を帳場の引き出しに入れました。〉
書記が一行書いた。
女が部屋を出た。戸が閉まり、しばらくして別の男が入ってきた。向かいの靴屋だった。
「イサクが袋を抱えてケラーの店から出てくるのを見ました」
〈イサクが袋を抱えてケラーの店から出てくるのを見ました。〉
靴屋が出る。次は通りの水売りだった。肩から下げていた空の革袋を外し、足元へ置いた。
「同じころ、イサクが走っていくのを見ました」
〈同じころ、イサクが走っていくのを見ました。〉
水売りが出ると、隣の家の男が呼ばれた。
「ケラーが大声で人を呼ぶのを聞きました」
〈ケラーが大声で人を呼ぶのを聞きました。〉
男が出ていった。
書記の紙には四行が並んだ。ヤナは水差しを持ち上げ、エギルの茶碗へ少し足した。
エギルはイサクへ向いた。
「あなたの側に、見た者や聞いた者はいますか」
イサクは首を横に振った。
「いない」
〈いない。〉
エギルは机の上の袋へ手を触れなかった。
「両方とも、本気でそう言っているのは分かります。ケラーの側には独立した証言が四つあり、イサクの側にはありません。ケラーの主張を認め、イサクの訴えを退けます」
〈両方とも、本気でそう言っているのは分かります。ケラーの側には独立した証言が四つあり、イサクの側にはありません。ケラーの主張を認め、イサクの訴えを退けます。〉
書記が裁定を書き留めた。
役人が革袋をケラーへ渡した。ケラーは口を開いて中を確かめ、紐を結び直した。
イサクは役人に促されて戸口へ向かった。抵抗はしなかった。
ケラーは袋を懐へ入れた。イサクはその動きを最後まで見ていた。怒鳴ることも、机を叩くこともなかった。役人が肩の近くへ手を出すと、その方向へ歩いただけだった。
戸の前で一度だけ振り返った。
「これは俺のものだ」
〈これは俺のものだ。〉
戸が閉まる前に、書記が隣の術者へ顔を寄せた。
「あの男はいつもああです」
術者は紙を一枚めくった。
昼の休みになった。
ヤナは廊下の端に腰を下ろした。包んできたパンを食べる。半分ほどで手が止まり、布を巻き直した。水を飲んで、空になった杯を膝の脇へ置いた。
午後、ヤナは茶器を洗い、水差しへ水を足した。エギルが書記の紙を確かめ終えるまで、壁際で待った。
市庁を出るころには、窓から入る光が薄くなっていた。
馬車の中でエギルは書類を読んでいた。ヤナは茶器の箱を膝に置いた。車輪が石畳の継ぎ目を越えるたび、中で器が小さく鳴った。
屋敷へ戻ると、ヤナはそのまま台所へ下りた。
ミルカが流しの前に立っていた。皿に刻印具を当てる。汚れが消え、縁に黒い粉が残った。
「おかえり」
「ただいま」
ヤナは箱から茶器を出した。
ミルカが皿を傾け、粉を布で払う。
ヤナは水を張った鉢へ茶碗を入れた。
台所の窓は少し開いていた。外から荷車の音が入ってくる。ミルカは次の皿を手に取り、同じ場所へ刻印具を当てた。
ヤナは市庁で使った茶碗の縁を指でなぞり、布へ置いた。水が冷たかった。袖を少し上げ、もう一つの茶碗を沈めた。




