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仮面の軍神は恋を知らない ~三年前に捨てた元部下が、わたしを離してくれない理由~  作者: 春野まゆき


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第9話 元部下、帰る気がない

 白瑶(ハクヨウ)は薬箪笥からいくつかの薬材を取り出すと、薬茶を煎じ始めた。

 量る。

 刻む。

 合わせる。

 湯を注ぎ、火加減を調整する。

 ひとつひとつの所作が、異様なほど繊細で正確だった。

 分量も、温度も、時間も。

 ほんのわずかな狂いさえ許さない。

 虹(コウ)は卓の向こうから、そんな白瑶をじっと見ていた。

「何だ」

「いえ」

「さっきから見るな」

「……先輩、本当に女なんですね」

「そうだ」

「ちょっと、まだ処理できてなくて」

「何を処理する必要がある」

「こっちにも、いろいろあるんですよ」

「そうか」

 興味がないらしい。

 白瑶は再び薬茶へ視線を戻した。

 細い指が茶器を扱う。

 その手を。

 コウは知っている。

 剣を握る手。

 弓を引く手。

 傷口を縫う手。

 何度も、自分を助けてくれた手。

 けれど。

 こうして自分のために茶を煎じてもらうのは、初めてだった。

「……先輩に茶を入れてもらう日が来るとは思いませんでした」

「茶ではない。薬茶だ」

「違うんですか?」

「違う。本来、私が煎じるのは病人に処方するときだけだ」

 コウが瞬いた。

「では、なぜ僕に?」

「疲れているだろう」

「…………」

 ハユはこともなげに言った。


 ――どの口が、言うのか?

 顧虹(コ・コウ)は思わずまじまじと蘇白瑶(ソ・ハクヨウ)を見つめた。

 いったい誰のせいで疲弊していると?

 怒りを通り越して、あきれてしまう。


「顔色が悪い。血色も以前より落ちている。先ほど脈も見たが、少し乱れていた」

「いつ見たんですか」

「手首を掴んだときだ」

「…………」

「眠れていないだろう」

 返事ができなかった。


 ――だから、それは誰のせいで。

 言葉を呑み込む。


 ハユは煎じた薬茶を茶漉しへ通す。

「お前は昔から、何でも器用にこなす」

「褒めてます?」

「事実を言っている」

 白瑶は湯気の立つ茶碗をコウの前へ置いた。

「だから、逆に危なっかしい」

「……僕が?」

「ああ」

 白瑶の淡い菫色の瞳が、まっすぐコウを見る。

「限界まで動けてしまう。周囲にも悟らせない。自分でも大丈夫だと思っているうちに、突然倒れる類だ」

「…………」

「少し休め」

 コウは、目の前の薬茶を見つめた。


 ――だから!

 眠れないのも、疲れているのも、これほど苛立つのも。

 誰のせいだと思っているのか?


 三年間。

 探した。

 龍影衆の間諜を大陸中へ放った。

 わずかな噂も拾った。

 白銀の髪。

 異常に腕の立つ男。

 薬草に詳しい旅人。

 似た情報があれば、自ら確かめに行った。

 何度、別人だったか分からない。

 それでも探した。

 暗殺対象である人間に。

 自分が三年かけて懐へ入り込んだ人間に。

 何も告げずに逃げられて、たまるものか。

 ――そう思っていた。

 任務だ。

 天鱗核を探すためだ。

 龍国へ持ち帰るためだ。

 だから、探した。

 そういうことにしていた。

「……三年ですよ」

「何がだ」

 白瑶が問う。

 コウは顔を上げた。

「あなたを探していた期間です」

「…………」

「三年間。ずっと」

 白瑶は黙っている。

「それなのに、見つけた途端に『少し休め』ですか」

「ああ」

「誰のせいでこうなったと思ってるんです?」

 思ったより低い声が出た。

 白瑶の目が、わずかに見開かれる。

 コウはそれを見て。

 すぐに笑った。

「――なんて」

 いつもの、人懐こい笑顔。

「冗談ですよ」

「…………」

「いただきます」

 薬茶を口に含む。

 少し苦い。

 そのあとに、かすかな甘みが残った。

「どうだ」

「……美味しいですよ」

「そうか」

「僕の好み、覚えてたんですか?」

「いや」

「…………」

「今のお前の状態に合わせただけだ」

「…………そうですか」

 コウは笑った。

 この人の好みの味も。

 茶を飲む温度も。

 嫌いな食べ物も。

 眠るときの癖も。

 疲れたとき、無意識に左肩を回すことも。

 ほとんどすべて知っている。

 自分ほど蘇白瑶を知る人間はいない。

 ずっと、そう思っていた。

 けれど。

 この人は。

 一度でも。

 己が拾って、己が捨てて置き去りにした少年のことを思い出すことがあっただろうか。

 そう、思うと。

 ひどく、不愉快で腹立たしかった。


「それで」

 茶を出しながら、奏(カナル)が尋ねた。

「どうしてここが分かったの?」

 青年――虹(コウ)は湯呑みに手を添えた。

「探しましたから」

「三年間?」

「ええ」

「ずっと?」

「ずっと」

 白瑶は薬草を選別している。

 こちらを見もしない。

「ハユ先輩」

「なんだ」

「僕が三年間探していたと聞いて、何か言うことはありませんか」

「ご苦労だった」

「…………」

「姉さま!」

「何だ」

「もうちょっとあるでしょ!」

「何がだ」

 虹は笑った。

 そうだ。

 この人はこういう人だった。

「先輩が僕を捨てて軍を出たとき」

「捨ててはいない」

「何も言わず消えましたよね」

「おまえを捨てたわけじゃない」

「僕には同じことです」

 白瑶の手が止まった。

 ほんの一瞬。

 虹はそれを見逃さなかった。

「……悪かった」

 小さな声だった。

 コウが目を見開く。

 白瑶は視線を薬茶へ落としたまま続けた。

「急ぐ必要があった」

「何があったんです?」

「言えない」

 即答だった。

「…………」

 コウの目が細くなる。

 それ以上説明するつもりはないらしい。

 薬箪笥を開け、いくつかの薬材を取り出した。

「安神茶だ。気を鎮めて、眠りを助ける」

「…………」

「多めに調合してやる。持って帰れ」

 その言葉に。

 コウがゆっくり顔を上げた。

「……僕を帰す気ですか?」

「帰らないのか?」

 あまりにも当然のように訊く。

 ――まったく。

 まったく、まったく、このひとは。

 イライラする。

 なのに、その苛立ちがなぜなのか、自分でもよく分からない。

「帰りませんよ」

「なぜだ」

「なぜ?」

「お前は今、第一白虎隊の将軍なのだろう」

「ええ」

「なら軍はどうする。上官のくせに、部下を放っておく気か」

「…………」

 コウはしばらく白瑶を見つめた。

「突然、黙って軍を去った人がよく言いますね」

「それについては謝った」

「今ので?」

「謝っただろう」

「……まあ、いいです」

 これ以上追及しても、たぶん無駄だ。

 コウは息を吐いた。

「僕は、あなたに拾われた身です」

「知っている」

「だから、ずっとあなたについてきた」

「恩返しなら、もう十分だぞ」

「当たり前です」

 返事が早かった。

「どれだけ僕があなたの世話をしてきたと思ってるんですか」

「…………」

「食事を作って、荷を持って、剣を手入れして。戦場では背中を守って。挙げ句の果てには、あなたが放り出した第一白虎隊まで引き継いだんですよ」

「なら、なおさらだ」

「何がです?」

「恩は返し終わっている」

 白瑶は真顔だった。

「もう私についてくる理由はないだろう」

「…………」

 コウの笑みが消えた。

 ほんの一瞬だけ。

「……先輩」

「なんだ」

「僕が3年もあなたを探し続けたのは、恩返しのためだと思ってるんですか?」

「違うのか?」

「…………」

 この人は。

 本当に。

 何も分かっていない。

「なら、なんで帰らないんだ」

 コウはしばらく黙っていた。

 やがて、いつもの人懐こい笑顔を浮かべる。

「休暇中だからです」

「休暇?」

「ええ。久しぶりにまとまった休暇を取りました」

「いつまでだ」

「さあ?」

「将軍がそれでいいのか」

「僕の休暇ですから」

 コウは薬茶を一口飲んだ。

「どこで過ごそうと、何をしようと、僕の自由でしょう?」

「それはそうだが」

「ですから」

 茶碗越しに、深い青緑の瞳が白瑶を見る。

 笑っている。

「しばらく、ここにいます」

「…………」

「よろしくお願いしますね」

「なぜ私に言う」

「ここ、先輩の家でしょう?」

「宿ではない」

「知ってます」

「客室もない」

「床で寝られます」

「食事は出さないぞ」

「僕が作ります」

「…………」

「昔と同じですね」

 白瑶が黙った。

 コウは笑った。

 ――帰るつもりなど、最初からなかった。


お読みいただきありがとうございます!

三年間、大陸中を探し続けたコウ。

ようやく見つけたハユからは、

「少し休め」

「薬茶を持って帰れ」

「もう私についてくる理由はないだろう」

と言われました。

……帰す気満々です。

ですが、もちろんコウに帰る気はありません。

恩返しなら、とっくに終わっている。

それでも三年間探し続けた理由を、ハユだけがまったく分かっていないようです。

そして始まる、元上官と元部下の奇妙な同居生活。

客室はありませんが、本人は床で寝る気満々です。

次話もよろしくお願いします!

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