第8話 3年探したのに「誰だお前?」
青年は、二十を少し越えたくらいに見えた。
簡素な旅装をまとい、肩には小さな荷を背負っている。
すらりと背が高い。
細身ではあるが華奢ではない。適度に広い肩から長い手足が伸び、何気なく立っているだけなのに姿勢がいい。旅人の格好をしていても、どこか育ちのよさが滲んでいた。
顔立ちは端正だった。
すっきりとした輪郭に、細くまっすぐな鼻梁。薄い唇は血色がよく、口角がわずかに上がっているせいか、整った容貌のわりには近寄りがたい印象がない。
目は横に長い切れ長。
けれど鋭すぎず、笑えば目元まで柔らかくほどける。
瞳は、深い青緑色。
澄んだ深い青を基調に、光を受ける角度によって碧が混じり、ときおり微かな金さえ揺らめいて見える。
そして何より目を引くのが、髪だった。
青みを帯びた艶のある黒髪。
長くはない。
少し無造作に整えられた髪が額や頬へ落ち、襟足が首筋へ軽く触れている。
その黒の中。
額の片側へ落ちる一房だけが、暗い紅に染まっていた。
根元は黒。
それが毛先へ向かうほど赤みを増し、最後には深い血の色になる。
まるで。
漆黒の髪に、一筋だけ血が流れ落ちたようだった。
昔から変わらない。
彼の、最も分かりやすい特徴。
奏はその顔を知っていた。
忘れるはずがない。
幼い頃。
ハユの代理として、玄国の病児院へ、何度も自分を訪ねてきた青年。
「……コウ兄さま?」
青年の深い青緑の瞳が、カナルを捉えた。
ふっと。
その目元がほどける。
「久しぶりだね、カナル」
「コウ兄さま!?」
きゃああ、と叫んで、カナルは青年の首に抱きついた。
戦ばかりで留守がちだった姉のかわりに、足しげく病児院に通い、自分を気にかけてくれたのは、この青年である。
姉が出征していた先で、行き倒れていたところを拾われたと聞いていた。
その恩に報いたいと言って、そのまま軍に居着いてしまったのだ。
白瑶が青年を見る。
青年も白瑶を見る。
三年。
互いに何も言わなかった。
いや。
青年の方は、言えなかった。
ずっと探していた。
どこへ消えたのか。
なぜ何も言わず軍を辞めたのか。
生きているのか。
何度も考えた。
そしてようやく。
見つけた。
蘇白瑶。
かつて白い白虎面をつけ、戦場を駆けた軍神。
自分が追い続けた人。
青年の唇がわずかに動いた。
「ハユ先――」
「誰だ、お前」
沈黙。
鳥が鳴いた。
カナルが姉を見た。
青年の笑顔が固まった。
「……はい?」
ハユは青年を上から下まで見る。
三年という歳月は、少年をすっかり大人に変えていた。
記憶の中にある顧虹は、もっと線が細くて小さかった。
かつてはハユの肩ほどしかなかった目線が、今は見上げねばらないほど背が伸びていた。
細かった身体にはしなやかな筋肉がつき、肩も広くなっていた。
少年の頃にはまだあどけなさの残っていた輪郭も、今では顎の線がすっきりと鋭くなり、精悍な青年のものになっている。
「・・・もしかして、今、誰だ、って、言いました?」
コウは嫌味を込めてゆっくりと言った。
――いや。
ハユは淡紫の瞳を細めた。
違う。
昔より、笑うのが上手くなった。
それが妙に気に障った。
人懐こそうに細められた目も、従順そうにわずかに下げた顎も、昔の少年そのものに見える。
けれど、立ち姿には隙がない。
重心はわずかに前。右手は自然に垂らしているように見えて、いつでも懐の刃を抜ける位置にある。
そして何より。
笑っているのに、目の奥がひどく冷たい。
「コウはもっと小さかった」
「……三年経っていますからね」
「肩もこんなに広くなかった」
「成長しましたから」
「声ももっと澄んでいた」
「先輩が僕を捨てて軍を出た頃は、まだ声変わりのさなかの少年でしたからね」
笑顔のまま、さらりと棘を刺してくる。
ハユは確信する。
「……やはりコウか」
「どこで確認してるんですか」
カナルが吹き出した。
「ふふっ……」
「カナル」
「だって……姉さま、本当は分かってたでしょ」
――姉さまが、コウ兄さまを忘れるばずない。
カナルがひとりくすくすと笑う。
青年はこめかみを押さえた。
三年探した。
気が狂うほど探して、ようやく見つけた。
最初の言葉が。
――誰だ、お前。
さすがだ。
この人は三年前から何も変わっていない。
「ハユ先輩」
青年が呼んだ。
ハユの眉が、わずかに寄る。
「その呼び方を、お前に許した覚えはない」
「カナルに許可をいただきましたよ」
「私の許可は?」
「いりませんね」
「いる」
「もう!」
奏が割って入った。
「ねえさま、とっくに軍は辞めたでしょ。さんざんお世話になっておいて、今さら『白瑶様』とか『白将軍』とか呼ばせるつもり?」
「序列がある」
「もう軍じゃないってば!」
長く戦場にいたハユにとって、それは簡単に捨てられるものではなかった。
軍において、序列は絶対だ。
上官と部下。
将と兵。
たとえ寝食をともにし、幾度背中を預け合おうとも、その一線を曖昧にしたことはない。
まして――「ハユ」は特別だった。
白瑶、という名を幼い奏がうまく発音できず、いつしかそう呼ぶようになった。
だからそれは、単に名を呼び捨てにされるよりも、ずっと近い。
妹だけに許した呼び名だった。
「そんなに『ハユ』と呼ばれるの、嫌ですか?」
コウが笑う。
「なら、軍の序列に従いましょうか」
「そうしろ」
「ですが――」
そこで、コウの笑みが深くなった。
「今の僕は、《第一白虎隊》の将軍ですよ」
「…………」
「先輩が放り出していった、あの隊の」
ハユの目が、わずかに細くなる。
「僕が引き継ぎました。兵をまとめて、訓練して、戦って。三年間、先輩の代わりにね」
「……そうか」
「ええ」
穏やかな声だった。
笑顔も崩れていない。
なのに、嫌味だけは隠す気がまるでない。
「どこかの誰かさんが、何の引き継ぎもせず、無責任にも突然いなくなってしまいましたから」
「…………」
「大変だったんですよ?」
「すまなかった」
「謝ってほしいわけじゃありません」
返事が、妙に早かった。
白瑶がコウを見る。
「では、何だ」
「…………」
一瞬。
コウの笑みが止まった。
「それが分からないから、あなたは三年前、僕を置いていけたんでしょうね」
白瑶が眉を寄せる。
「コウ?」
「――まあ、いいです」
次の瞬間には、いつもの人懐こい笑顔へ戻っていた。
「というわけで、今の僕は将軍です。階級を理由に『ハユ』と呼ぶな、という理屈はもう通りませんよ」
「いや、通る」
「通りません」
「私の方が先に将軍になった」
「だから『先輩』をつけてるじゃないですか」
「…………」
「完璧でしょう?」
「どこがだ」
白瑶は心底納得がいかない顔をした。
奏はそんな二人を見比べて、こっそりため息をついた。
お読みいただきありがとうございます!
三年間、大陸中を探し続けて。
ようやく再会したハユからの第一声は、
「誰だ、お前」
でした。
コウ、報われません。
とはいえ、三年前には少年だったコウも、今では立派な将軍。
変わったものもあれば、変わらないものもあるようです。
そして、何も告げずに去ったハユと、置いていかれたコウ。
三年ぶりの二人の時間が、ようやく動き始めます。
次話もよろしくお願いします!




