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仮面の軍神は恋を知らない ~三年前に捨てた元部下が、わたしを離してくれない理由~  作者: 春野まゆき


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第78話 目覚めたモノ

 

 支度を終えた白瑶(ハクヨウ)は、朧(オボロ)に先導され、祭祀殿の奥へと進んだ。

 長い回廊には、等間隔に燭台が置かれていた。

 石壁には古い龍の文様が彫り込まれ、足元には見慣れぬ文字が幾重にも刻まれている。

 白瑶は、それらを横目に見ながら歩いた。

 ――妙だ。

 王との謁見にしては、警護の兵が少なすぎる。

 いや、少ないのではない。

 ――見えないのだ。

 回廊の曲がり角。柱の陰。閉ざされた扉の向こう。

 気配はある。

 だが、誰も姿を見せようとしない。

「……ずいぶんと奇妙な警備だな。遠巻きに観察しているようだ」

 白瑶が言うと、朧は振り返った。

「陛下のいらっしゃる場所でございますから」

「そのわりに、兵の姿が見えぬ」

「お目障りにならぬよう、離れて控えさせております」

「……なるほど」

 白瑶は、それ以上尋ねなかった。

 ここで騒ぎを起こすわけにはいかない。

 まずは、虹の無事を確かめる。

 それが先だ。

 やがて、回廊の突き当たりに、大きな扉が現れた。

 黒い木扉には、二匹の龍が絡み合うような彫刻が施されている。

 朧が、その前で足を止めた。

「こちらにございます」

「……龍王は?」

「中でお待ちでございます」

 白瑶は、扉を見つめた。

「虹(コウ)も、いるのか」

「はい」

 朧は静かに微笑み、恭しく頭を下げる。

「どうぞ、お入りくださいませ」

 重い扉が、ゆっくりと開いた。


 ◇ ◇ ◇


 広い室内だった。

 高い天井を支える石柱には、古い龍紋が刻まれている。

 壁際には、幾本かの蝋燭が灯されていた。

 だが、その頼りない炎では、広い室内を照らしきれない。揺らめく灯火が石壁に長い影を落とし、奥の方は深い闇に沈んでいた。

 白瑶は、しばらく目を凝らした。

 次第に闇に慣れた目が、室内の様子を捉え始める。

 正面には祭壇。

 その奥には、王のために設えられたらしい玉座があった。

 だが。

 そこに、龍王の姿はなかった。

 代わりに。

「……コウ?」

 白瑶は、思わず声を上げた。

 祭壇の前に、一人の青年が座り込んでいた。

 顧虹(コ・コウ)だった。

 両手で顔を覆い、俯いたまま、荒い息を繰り返している。

 衣は乱れ、額には汗が浮かんでいた。

「コウ!」

 白瑶は、駆け寄ろうとした。

 そのとき。

「それでは、わたくしはこれにて」

 ギイ、と扉の軋む音がした。

「待て!」

 白瑶が一歩踏み出す。

 だが、扉は閉じられた。

 重い音が響く。

 がたん。

 続いて、外側から閂の下りる音がした。

「……!」

 白瑶は、すぐさま扉へ駆け寄った。

 押す。

 動かない。

 肩をぶつける。

 びくともしない。

「……朧!」

 返事はなかった。

 代わりに、扉の向こうから、かすかな笑い声が聞こえたような気がした。

 白瑶は、舌打ちした。

 ――罠か。

 こんな場所に閉じ込めて、いったい何を企んでいる。

 白瑶は、室内を素早く見回した。

 窓は高い位置に二つ。

 祭壇の脇には、薄い帳を垂らした小部屋がある。

 四隅には香炉が置かれ、甘く重い香りが漂っていた。

 そして。

 ふと、足元に目を落とした白瑶は、眉を寄せた。

 ――何だ、これは。

 石床に、何かが描かれている。

 薄暗さに紛れて、先ほどまでは気づかなかった。

 幾重にも重なる円環。

 その内側を縦横に走る、複雑な線。

 ところどころに刻まれた、見慣れぬ文字と龍の紋様。

 白瑶は、一歩退いた。

 そこで初めて、その全貌が見えた。

 巨大な方陣だった。

 床一面を覆うほどの円形の陣が、祭壇を中心に広がっている。

 そして、その中央に。

 コウがいた。

「…………」

 白瑶は、息を呑んだ。

 ――結界か?

 いや。

 単に何かを封じ込めるためのものにしては、構造が複雑すぎる。

 幾重にも重なる円環は、それぞれ異なる役割を持っているように見えた。

 何かを呼び寄せるためのものか。

 あるいは、何かを目覚めさせるためのものか。

 術に通じているわけではない白瑶には、判断がつかなかった。

 ただ、一つだけ分かった。

 これは、謁見の間などではない。

 何らかの術式を発動させるために設えられた、祭儀の場だ。

 そして。

 その中心に置かれたコウこそが、この儀式の要なのだ。

「……コウ!」

 白瑶は、青年のもとへ駆け寄った。

 膝をつき、肩を支える。

「しっかりしろ。私だ」

「…………」

「コウ!」

 青年の唇が、かすかに動いた。

「……せん、ぱい……?」

「そうだ。迎えに来た。怪我はないな?」

 そのとき。

 虹は、突然、白瑶の腕を掴んだ。

「……逃げて……」

「何?」

「……先輩……早く……」

 声が、ひどくかすれている。

 白瑶は、青年の顔を覗き込んだ。

「何を言っている。お前を置いて行けるか。一緒に戻ろう」

「……だめ、です……」

 虹は、苦しげに首を振った。

「……ここに、いては……」

 どくん。

 青年の身体が、大きく震えた。

「……っ!」

「コウ?」

 白瑶は、反射的に額へ手を伸ばした。

 熱い。

 異様なほどの熱だった。

「……何を飲まされた?」

 問いかけても、答えはない。

 虹は、胸元を押さえ、荒い息を繰り返している。

 そのときだった。

 石床に刻まれた文様が、淡く光り始めた。

 一本。

 また一本。

 古い文字をなぞるように、七色の光が走っていく。

 香炉の煙が、風もないのに渦を巻いた。

「……!」

 白瑶は、すぐに虹の身体を抱え起こした。

「立てるか。ここを出るぞ」

 だが。

 虹の身体は、びくともしなかった。

 どくん。

 再び、激しく震える。

「……ぐっ!」

「コウ!」

 青年が、苦痛に顔を歪めた。

 そして。

 ゆっくりと、顔を上げた。

 白瑶は、息を止めた。

 瞳の色が、違う。

 見慣れた青緑の瞳ではない。

 赤。

 青。

 金。

 紫。

 幾つもの色が、虹のように重なり合っている。

「……コウ?」

 青年の口元が、ゆっくりと吊り上がった。

『――見つけた』

 低い声だった。

 虹の声なのに、虹の声ではなかった。

『我の、贄(にえ)はお前か』

 七色の瞳が、白瑶を捉える。

 その視線が、ふと止まった。

『……む?』

 男が、わずかに目を細める。

 見つめているのは、白瑶の顔ではなかった。

 結い上げられた銀髪。

 そこに挿された、一本の銀の簪。

 三日月をかたどった繊細な銀細工が、蝋燭の光を受けて淡く輝いていた。

『……この気配は』

 男の唇から、低い声が漏れた。

『玲月(レイゲツ)……』

「……何?」

 白瑶は、眉を寄せた。

 聞き覚えのない名だった。

 だが、男は答えなかった。

 七色の瞳が、簪をじっと見つめている。

『……忌々しい女よ』

 その声には、先ほどまでの愉悦とは異なる、暗い響きがあった。

『我を十月十日、その胎に閉じ込めた女……』

 男が、低く嗤った。

『龍たる我を、人の子として産み落とした』

 白瑶は、息を呑んだ。

 ――何を、言っている?

『神たる我が、人の身に生まれ変わるとはな。なんたる屈辱よ』

 男は、ゆっくりと自分の手を持ち上げた。

 五本の指を開き、握る。

 まるで、その身体の感触を確かめるかのように。

『この血も、この肉も、あの女から与えられたもの……』

 男の口元が、歪んだ。

『だが、それも今日までよ』

 七色の瞳が、妖しく輝いた。

『この身を縛る枷も、まもなく砕ける』

 男は、白瑶へ視線を戻した。

『贄の血をもって初契を成せば、我は再び目覚める。人の器に囚われた、哀れな魂としてではない』

 低い笑い声が、祭祀殿に響いた。

『古の龍神としてな』

 白瑶の背筋を、冷たいものが走った。

 ――誰だ。

 目の前にいるのは、間違いなく虹だ。

 だが。

 この眼差しを、自分は知らない。

「……コウ。しっかりしろ」

 白瑶は、青年の肩を掴んだ。

「私を見ろ」

『見ておるとも』

 男が、低く嗤った。

『ようやく、この目でな』

 次の瞬間。

 白瑶の手首が、強く掴まれた。

「――っ!」

 驚くほどの力だった。

 白瑶は、即座に身を引こうとした。

 だが、遅かった。

 身体を強く引き寄せられる。

「コウ!」

『その名を呼ぶな』

「何?」

『我を、その名で呼ぶな』

 男が、ゆっくりと立ち上がった。

 七色の瞳が、暗い室内で妖しく輝いている。

『その名は、この人の器に与えられたもの。我の名ではない』

 男が、白瑶を見下ろした。

 白瑶は、目を細めた。

「……お前は、誰だ」

『我か?』

 男の唇が、ゆっくりと歪んだ。

『我が名は――煌淵(コウエン)』


ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


ようやくハユが見つけたコウ。しかし、再会を喜ぶ間もなく、彼の内に眠っていたものが目を覚まします。

母・玲月の名を忌々しげに口にし、自らを「煌淵」と名乗った存在。

コウの身に、いったい何が起きているのでしょうか。

次話、二人の運命が大きく動き始めます。

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