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仮面の軍神は恋を知らない ~三年前に捨てた元部下が、わたしを離してくれない理由~  作者: 春野まゆき


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第72話 双璧の双子

 祭殿の石床には、幾重もの円が描かれていた。

 その内側を埋め尽くすのは、緻密な古代文字と複雑な紋様。

 ジウは床に膝をつき、最後の一線を引いていた。

「……そこ、三分ほどずれておるぞ」

 翠蓮が、横から口を出す。

「ずれてねえよ」

「ずれておる」

「スイレン、俺の術式に口出すなって」

「口を出さねば、まともに完成せぬではないか」

「これで合ってるんだよ!」

「ならば、その南の線は何じゃ!」

「……あ」

「ほれ見ろ!」

「うるせえな!今直すところだったんだよ!」

「言い訳だけは一人前じゃのう!」

 ハユは、そっとネネに耳打ちした。

「……本当に大丈夫なのか、あれは」

「うーん」

 ネネも、少し困ったように首を傾げた。

「でも、ジウって、術はすごく上手なんだよ」

『うむ。それは間違いない』

 テンテンが、珍しく同意した。

『あの小僧、口も態度も悪いが、術式を組む腕だけはなかなかのものじゃ』

「……褒めてんのか、それ」

『無論じゃ』

 やがて、ジウが立ち上がった。

「よし。できた」

 翠蓮は、術式をひと回り眺めた。

「……まあ、及第点じゃな」

「百点満点だろ」

「六十点じゃ」

「厳しすぎるだろ!」

「残り四十点は、わらわが補ってやらねばならぬの」

「……まったく、恩着せがましいんだよ」

「何か申したか?」

「別に」

 ジウは、術式の東側に立った。

 翠蓮は、西側へ回る。

 中央には、ネネが静かに座っていた。

「ネネ。目を閉じて」

 ジウの声が、ふっと変わった。

「少し身体が温かくなるかもしれないけど、心配しなくていい」

「うん」

「テンテンも、勝手に動くなよ」

『分かっておるわ』

「前もそう言って暴れただろ」

『あれは暴れたのではない。久方ぶりに身体を得た喜びを表したまでじゃ』

「同じことだろ!」

「ジウ!」

 翠蓮が、鋭く呼んだ。

「始めるぞ」

 その一言で。

 祭殿の空気が、変わった。

「……ああ」

 ジウが、静かに頷く。

 先ほどまでの軽薄な笑みが消え、目つきが鋭くなる。

 翠蓮もまた、すっと背筋を伸ばした。

 二人は、互いに目を合わせなかった。

 それなのに。

 同時に、印を結んだ。

 ――ぱん。

 二人の手が、まったく同じ瞬間に打ち鳴らされる。

 石床に刻まれた術式が、淡く光り始めた。

 ジウが、右足を半歩引く。

 その瞬間、翠蓮は左足を半歩進めた。

 ジウが指を二本立てれば、翠蓮は三本。

 右へ。

 左へ。

 前へ。

 後ろへ。

 まるで鏡に映したように、二人の動きが噛み合っていく。

「……すごい」

 ネネが、小さく呟いた。

 ハユは、目を細めた。

 不思議だった。

 先ほどまで、あれほど激しく言い争っていた二人が。

 術式の中では、一度も相手の動きを確かめようとしない。

 次に何をするのか。

 どこへ足を運び、どの印を結ぶのか。

 すべて、最初から分かっているかのようだった。

 ジウが、低く祝詞を唱え始める。

 翠蓮の声が、そこへ重なった。

 異なる言葉。

 異なる旋律。

 それなのに、二つの声は不思議なほど美しく調和していた。

 ジウの足元から、金色の光が走る。

 翠蓮の左目に刻まれた翠紋が、翡翠色に輝いた。

 二つの神気が、術式の中央で交わる。

 ――どくん。

 石床が、かすかに震えた。

『……ほう』

 テンテンが、感心したように呟いた。

『これは……』

 金色の光が、翡翠色の光へ流れ込む。

 翠蓮が、わずかに手首を返した。

 すると、ジウはそれに応じるように印を変える。

 いや。

 違う。

 翠蓮が動くより、ほんのわずかに早く、ジウの指が動いていた。

 まるで、彼女の意図を先に読み取っていたかのように。

 今度は、ジウが歩を進める。

 その足が床に触れるより早く、翠蓮が次の位置へ移っていた。

 二人の動きが、少しずつ速くなる。

 それに伴い、術式の光も強まっていった。

 金色と翡翠色。

 二つの光が、互いを追いかける。

 絡み合う。

 やがて、境目が分からなくなった。

『……なるほどのう』

 テンテンの声に、先ほどまでの軽さはなかった。

『双子の巫覡か』

 ハユが、ちらりと宙を見上げた。

「……何だ、それは」

『双子というのは、もともと神気の波が近いものじゃ。まして、この二人は、同じ緑龍の血を引いておる』

 テンテンは、感心したように続けた。

『普通の巫覡が二人で術を組めば、互いの呼吸を合わせるだけでも大仕事よ。わずかなずれが、神気の流れを乱すからのう』

「……ああ」

『じゃが、この二人は違う』

 ジウが、印を結ぶ。

 翠蓮が、祝詞を重ねる。

 二人の足が、同時に石床を踏んだ。

 ――どん。

 光が、ひときわ強くなる。

『相手に合わせておるのではない』

 テンテンが、低く言った。

『最初から、同じ拍子で動いておるのじゃ』

 ハユは、息を呑んだ。

 確かに、そうだった。

 相手の動きを見てから応じているのではない。

 次に何をするかを、予測しているのでもない。

 互いの神気が、互いを導いている。

 そして、術式が高度になるほど、その結びつきは強くなっていった。

 ジウの金色の光が、翠蓮の翡翠色を押し上げる。

 翠蓮の光が、それを受け止め、さらに大きな流れへと変える。

 その流れが、再びジウへ戻る。

 一度、巡るたびに。

 二人の神気が、少しずつ研ぎ澄まされていく。

 祝詞の声が重なった。

 今度は、異なる旋律ではなかった。

 まったく同じ音。

 まったく同じ間。

 息を吸う瞬間も。

 吐く瞬間も。

 指を動かす瞬間さえも。

 寸分違わず、重なっていた。

 ――まるで、一つの魂が、二つの身体を動かしている。

 ハユは、そう思った。

 そのとき。

 術式の中央で、金色と翡翠色の光が弾けた。

 ネネの胸元から、柔らかな光が立ち上がる。

『おお……!』

 テンテンの声が、弾んだ。

『これは、なかなか心地よいぞ!』

 光は、細い糸のように空中へ伸び、ゆっくりと龍の形を結んでいく。

 小さな角。

 金色の鱗。

 雲のような鬣。

 やがて、光の中から、一匹の龍が姿を現した。

『――ほっほっほ!』

 テンテンは、宙でくるりと身を翻した。

『どうじゃ!この堂々たる姿!』

「テンテン!」

 ネネが、嬉しそうに声を上げる。

「本当に出てきた!」

 だが、術式はまだ終わっていなかった。

 ジウと翠蓮は、動きを止めない。

 むしろ、ここからが本番だった。

 顕現させるだけなら、ジウ一人でもできる。

 問題は、その姿を数日間、安定して保つこと。

 天鱗核とテンテンの間に、細い神気の道を残しながら、仮の身体を崩さぬようにする。

 そのためには、二つの術式を寸分の狂いもなく重ね続けなければならない。

 ジウが、両手を広げた。

 翠蓮が、同時に印を切る。

 二人の神気が、さらに強く共鳴した。

 祭殿の空気が、低く唸る。

 床に刻まれた龍紋が、ひとつ、またひとつと輝き始めた。

『……見事じゃ』

 テンテンが、ぽつりと呟いた。

 その声には、珍しく感嘆が滲んでいた。

『これほどの共鳴とは……』

 やがて。

 二人が、同時に最後の印を結んだ。

「――了!」

 声が、完全に重なった。

 金色と翡翠色の光が、一瞬だけ眩く輝く。

 そして、すう、と静まった。

 祭殿に、静寂が戻る。

 宙には、金色の小さな天龍が浮かんでいた。

 その身体は、先ほどよりも輪郭がはっきりしている。

 鱗の一枚一枚まで、鮮やかだった。

『……ほう』

 テンテンが、自分の前脚を眺める。

 尾を動かす。

 空中で一回転する。

『これは、よい』

 満足げに頷いた。

『以前とは、まるで違うのう。神気の巡りが安定しておる』

「当然じゃ」

 翠蓮が、得意げに顎を上げた。

「わらわが加わったのじゃからな」

「……俺が術式を組んだんだけど?」

 ジウが、すかさず口を挟んだ。

「そなたの術式だけでは、数時間しかもたぬであろう」

「おまえだって、俺が道を繋がなきゃ顕現させられないだろ!」

「何じゃと!」

「事実だろ!」

 つい先ほどまで、一つの魂のように呼吸を合わせていた二人が。

 もう、言い争っていた。

 ハユは、呆然と二人を見つめた。

「……おい」

 ネネが、くすくすと笑い始める。

「ねえ、姉様」

「……何だ」

「あの二人、さっきまで、すっごく仲よかったよね?」

「……ああ」

 ハユは、ため息をついた。

「術の間だけはな」

『ほっほっほ!』

 テンテンが、愉快そうに笑った。

『なるほど、なるほど。まことに面白い双子じゃ!』

「面白がるな!」

 ジウと翠蓮の声が、またしても重なった。

 一瞬。

 二人が顔を見合わせる。

「……真似するなよ!」

「そなたこそ、わらわの真似をするでない!」

 再び、言い争いが始まった。

 ネネは、とうとう声を上げて笑い出した。

 ハユも、思わず口元を緩める。

 けれど、その胸の内には、先ほどの光景が強く残っていた。

 あれほど激しく言い争う二人が、術式の中では、互いの呼吸を一度も乱さなかった。

 言葉にせずとも、通じ合う。

 互いの力を引き出し、さらに高め合う。

 それは、単に仲がよいということではない。

 生まれたときから、同じ時を分かち合ってきた二人だけが持つ、特別な絆なのだろう。

 翠蓮が、ふとハユへ向き直った。

「さて。これで準備は整ったぞ」

 その声は、すでに筆頭巫女のものだった。

「天龍の顕現は、三日ほど維持できよう。その間に、そなたたちの禊を終える」


第72話をお読みいただき、ありがとうございます。


顔を合わせれば喧嘩ばかりのジウと翠蓮。けれど、ひとたび術式が始まれば、まるで一つの魂のように息が合う二人です。


互いの力を知り尽くし、言葉を交わさずとも通じ合う。そんな双子ならではの絆と、巫覡としての実力を描いてみました。


そして、ついにテンテンが安定した姿で顕現! 偉大なる天龍も、今回は二人の腕前を素直に認めたようです。


いよいよ始まる、三日間の禊。


ハユたちを待ち受けるものとは――。


次回もお楽しみに!

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