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仮面の軍神は恋を知らない ~三年前に捨てた元部下が、わたしを離してくれない理由~  作者: 春野まゆき


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第71話 穢れ

 緑龍家の屋敷に、慈雨(ジウ)が戻ってきたのは、翌日の夕刻のことだった。

「いやあ、疲れた疲れた!」

 勢いよく襖を開けたジウは、座敷にいる顔ぶれを見渡し、にかっと笑った。

「おう、ネネ。元気だったか?」

「ジウ!」

 ネネが嬉しそうに立ち上がる。

「遅かったね!」

「途中でいろいろあってさ。まったく、首領のお供ってのも楽じゃないぜ」

「……ほう」

 座敷の奥から、冷ややかな声がした。

「帰って早々、ずいぶんと偉そうな口を利くものじゃのう」

 ジウの笑顔が、ぴたりと止まった。

「お前もいたのかよ」

 翠蓮(スイレン)は、腕を組み、じろりと弟を見上げた。

「ようやく帰ってきたか、この放蕩者め」

「帰ってきて第一声がそれかよ」

「当然じゃ。巫覡の家に生まれながら、家の務めをほったらかして、物騒な連中とばかりつるみおって」

「物騒な連中って、龍影衆は王弟殿下直属の――」

「知っておるわ!だから何じゃ」

「だから、立派なお役目だって言ってんだろ!」

「立派な役目なら、まずそのだらしない身なりを何とかせい!何じゃ、その襟元は!」

「おまえこそ、相変わらず口が悪いな!」

「誰のせいじゃ!」

「俺のせいにすんなよ」

 ぎゃあぎゃあと言い争う二人を、ネネが目を丸くして見つめていた。

「……すごいね」

「ああ」

 ハユは、静かに頷いた。

「よくもまあ、あれだけ間を置かずに言い返せるものだ」

 しかも、二人とも一歩も引かない。

 翠蓮が畳みかければ、ジウが即座に言い返す。

 ジウが皮肉を口にすれば、翠蓮はその倍の勢いで切り返す。

 まるで、互いの次の言葉を知っているかのようだった。

「……ところでスイレン」

 ひとしきり言い争ったところで、ジウが急に真顔になった。

「明日から、禊を始めるって?」

「うむ」

「だったら、その前にテンテンを外へ出しておいたほうがいいな」

「……どういうことだ?」

 ハユが、顔を上げた。

「そもそも、禊というのは何をするんだ?」

 ハユの問いに、翠蓮は静かに答えた。

「禊とは、水をもって身の穢れを祓い、本来の清浄な姿へ還るための神事じゃ」

「……穢れを祓う」

「うむ。人は生きておる限り、さまざまなものに触れる。喜びもあれば、悲しみもある。命を授かることもあれば、命を失うこともある。そうして知らず知らずのうちに、身に積もった穢れを清めるのじゃ」

「……なるほど」

「緑龍家では、さらに深く、心と魂を清める。水に身を委ね、己が歩んできた道を静かに振り返るのじゃ」

「……過去を?」

「そうじゃ。幼き日のこと。大切な者との出会い。喜び、悲しみ、悔い……。水は、時に本人すら忘れておった記憶を映し出すことがある」

 翠蓮は、ハユを見上げた。

「しかし、無理に思い出す必要はない。過去を暴くことが禊の目的ではないからのう」

「では、何のために?」

「己が背負ってきたものを、静かに水へ委ねるためじゃ」

 翠蓮は、少しだけ声を和らげた。

「忘れたいことも、忘れてはならぬことも、すべてそなたが生きてきた証じゃ。禊は、それを裁くためのものではない。ただ、今のそなたを、あるがままに清めるためのものなのだ」

 ハユは、納得したように頷いた。

「つまり、通過儀礼のようなもの、ということか」

「うむ」

「だけど、ネネの場合はちょっと事情が違うんだよ」

 ジウが、横から口を挟んだ。

「……天鱗核のことじゃな」

「ああ。禊は、身にまとった穢れを祓うための神事だ。天鱗核そのものをどうこうするわけじゃない。でも、テンテンが中にいたままだと、清めの神気に反応するかもしれない」

『何じゃと?』

 テンテンが、ネネのなかから不満げな声を上げた。

『わしは天龍ぞ。清められるどころか、神気を授ける側の存在じゃ!』

「だから、そこが問題なんだって」

 ジウは、めんどくさそう言う。

「禊の最中に、お前が勝手に神気を動かしたら、せっかく整えた清めの術式が乱れるんだよ」

「うむ。それに、天龍の力が寧々の身体を通して溢れ出せば、ネネの心身に余計な負担をかけることにもなりかねぬ」

 翠蓮が頷いた。

「ゆえに、天龍の意識だけを外へ顕現させておく。天鱗核は寧々の内に残したまま、禊が終わるまで、別の姿で過ごしてもらうのじゃ」

『……何じゃ。わしを邪魔者扱いする気か』

「邪魔者とは言っておらぬ。邪魔をするなと言っておるのじゃ」

『同じことではないか!』

「違うわ、阿呆」

『誰が阿呆じゃ!』

「……スイレン」

 ジウが、呆れたように口を挟んだ。

「神聖な禊の話をしてるんだから、もうちょっと穏やかにやってくれよ」

「そなたが余計な口を挟むからじゃ!」

「何で俺のせいになるんだよ!」

 またしても言い争いが始まりかけたところで、ハユが口を開いた。

「……それで、テンテンを外へ出せば、ネネ様は安全なのか」

「完全に切り離すわけじゃない」

 ジウは、今度こそ真面目に答えた。

「天鱗核は、もうネネの命と一体になってる。核そのものを取り出すなんて、危険すぎる」

「では?」

「テンテンの意識だけを外へ導いて、神気で仮の身体をつくる。天鱗核はネネの中に残したまま、テンテンには外側から禊を見張ってもらうんだ」

 ネネが、くすくすと笑った。

「ねえ、ジウ。前に出してもらったときは、数時間しかいられなかったよね?」

「そうなんだよ。俺一人の術式だと、どうしても限界があってさ」

 ジウは、ちらりと翠蓮を指さして言う。

「でも、今回はコレがいる」

「姉にむかってコレとは何じゃ」

 それから翠蓮は、小さな胸を反らした。

「わらわの神力は、そなたの未熟な術式とは、わけが違う」

「……素直に協力するって言えないのかよ」

「そなたが頼み込むなら、考えてやらぬこともないぞ」

「誰が頼むか!」

「ならば一人でやってみるがよい。中途半端な神降ろしをな!」

「うるせえ!ならおまえの力なんかいらねえよ!」

「ほう!言ったな!」

「……おい」

 ハユが、静かに口を挟んだ。

「二人とも」

「何じゃ!」

「何だよ!」

 声が、ぴたりと重なった。

「……まず、術を始めてもらえないか」


第71話までお読みいただき、ありがとうございます。


今回は、久しぶりに顔を合わせた翠蓮と慈雨の双子が、さっそく大喧嘩。


神聖な巫覡の家に生まれ、優れた神力を持つ二人ですが、どうやら姉弟喧嘩に関しては、どちらも一歩も譲れないようです。


さて、いよいよ始まる三日間の禊。


穢れを祓い、心と魂を清めるという神事ですが、ハユたちにとっては、単なる儀式では終わらないかもしれません。


そして、久しぶりに外へ出られることになった天龍テンテン。果たして、今度はどんな姿で現れるのでしょうか。


次回もお楽しみいただければ幸いです。

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