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仮面の軍神は恋を知らない ~三年前に捨てた元部下が、わたしを離してくれない理由~  作者: 春野まゆき


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第68話 神を映す眸(ひとみ) 

「さて。そろそろ、本題に入るとするかのう」

 翠蓮(スイレン)は、居住まいを正すと、ネネへ目を向けた。

「そなたが、天鱗核を宿した娘じゃな」

「……はい」

「少し、手を見せてみよ」

 カナルは、素直に右手を差し出した。

 翠蓮は、その手首に細い指を添えた。

 しばらく、黙っている。

 その瞬間、周囲の空気が、かすかに震えた。

 庭を流れる水の音が、ふっと遠のく。

 翠蓮の左目を彩る翡翠色の痣――翠紋(すいもん)が、ゆっくりと光を帯びはじめた。

 目尻から頬へと流れる蔓草のような紋様。その一本一本に、淡い緑の光が行き渡ってゆく。

 まるで、暗い水底に沈んでいた宝石が、再び輝きを取り戻したかのようだった。

「……ほう」

 小さな眉が、わずかに動く。

「なるほど。これはまた、ずいぶんと大きなものを抱え込んだのう」

「……何かわかるのですか」

 ハユが尋ねた。

「ふむ。人の身には、いささか過ぎた力じゃ。よくぞ、これまで無事でおったものよ」

 翠蓮は、カナルの顔を覗き込んだ。

「そなた、苦しくはないか?」

「ううん。別に」

「身体が熱くなったり、妙な声が聞こえたりは?」

「あ、声なら聞こえるよ」

「……何?」

「テンテンの声」

 翠蓮の指が、ぴたりと止まった。

「…………」

 その顔から、笑みが消えた。

「……今、何と申した?」

「テンテン。私の中にいるの」

「天龍の、典禅(テンゼン)のことを言っておるのか?」

「うん、そうそう」

 にこにこと微笑みながら、ネネは胸元に手を当てた。

「ねえ、テンテン。聞こえてる?」

『……何じゃ。騒々しいのう』

 ネネが、ぱっと顔を輝かせた。

「あ、いた!」

 ハユは、苦笑した。

「騒々しいって言ってる」

 そのときだった。

「……ほう」

 翠蓮が、低く呟いた。

「誰かと思えば。まだ生きておったのか、薄情者め」

「……え?」

 ネネが顔を上げた。

「翠蓮殿。今、何と?」

 ハユが聞いたが、翠蓮は答えなかった。

 ネネの胸元を、じっと見据えている。

「聞こえておるぞ。こそこそ隠れておらず、返事くらいしたらどうじゃ」

『……む?』

 ネネが、目を丸くした。

『その声は……もしや、緑龍家の巫女か?』

「ほかに誰がおる」

『ほっほっ。懐かしい神気じゃのう。かつて我に説教を垂れておった巫女どもと、よく似ておる』

「当然じゃ。わらわは、歴代の巫女たちの記憶を継いでおるのじゃからな」

『そうかそうか。では、当代の巫女よ。名は何と申す?』

「翠蓮じゃ。緑龍家の筆頭巫女、柳翠蓮(リュウ・スイレン)。わらわの名をとくと記憶に刻め」

『翠蓮か。ふむ……』

 典禅は、何やら感心したように唸った。

『ずいぶんと、ちんまい巫女じゃのう』

 翠蓮のこめかみが、ぴくりと動いた。

「……代々おぬしを祀ってきた緑龍家の筆頭巫女に向かって、ずいぶんな物言いじゃな」

『何じゃ。小さいものを小さいと言うて、何が悪い』

「この阿呆龍め……」

『ほっほっ。よいよい。その気の強さ、実に懐かしい。緑龍家の巫女は、こうでなくてはのう』

「おぬしに褒められても、嬉しゅうないわ」

「えっ、えっ?」

 ネネが、二人を交互に見た。

「翠蓮様、テンテンの声が聞こえるの!?」

「聞こえるとも。わらわを誰だと思うておる」

 翠蓮は、ふん、と鼻を鳴らした。

「……それにしても、面倒じゃのう」

「え?」

「こやつの戯言を、いちいちそなたの侍女に通訳してやるのも骨が折れる。よし、おぬしの耳も開いてやろう」

 翠蓮は、ハユへ向き直った。

「少し、じっとしておれ」

「……何を?」

「案ずるな。人ならざるモノの声が聞こえるよう、耳の通りをよくしてやるだけじゃ」

 そう言うと、翠蓮は右手の指を二本立て、ハユの額にそっと触れた。

 左目を縁取る翠紋が、淡い緑色の光を放つ。

 ひやり、とした感覚が、ハユのこめかみから耳の奥へと抜けていった。

「……っ」

 思わず眉を寄せた、そのときだった。

『おいおい。勝手にわしの声を聞かせるでないわ』

 突然、どこからともなく男の声が響いた。

 ハユは、反射的に身構えた。

「……誰だ?」

『誰とは何じゃ。つい先ほどから、ここにおるではないか』

 ハユは、素早く室内を見回した。

 だが、男の姿など、どこにもない。

「……まさか」

 視線が、ネネの胸元へ落ちた。

『ようやく聞こえたか。まったく、鈍い娘じゃのう』

「……テンテン?」

『典禅(テンゼン)じゃ!こやつといいおぬしといい好き勝手にわしの名を呼ぶでないわ!わしは由緒正しき天龍ぞ』

「・・・由緒正しい天龍が、トカゲのような姿で顕在し、小娘の身体に居候しているとは」

『……む』

 テンテンが、わずかに言葉を詰まらせた。

 翠蓮が、ぷっと吹き出す。

『……まったく。口の減らぬ娘が、また一人増えおったわ』

 ネネは、嬉しそうにハユの袖を引いた。

「聞こえるのね?テンテンの声!」

「ああ。……思っていたより、ずいぶん偉そうな声だな」

『偉いのじゃから、当然であろう!』

 翠蓮は、満足げに頷いた。

「よし。これで通訳の手間が省けたわ」


『翠蓮か。ふむ……』

 典禅は、何やら感心したように唸った。

『ずいぶんと、ちんまい巫女じゃのう』

 翠蓮のこめかみが、ぴくりと動いた。

「……代々おぬしを祀ってきた緑龍家の筆頭巫女に向かって、ずいぶんな物言いじゃな」

『何じゃ。小さいものを小さいと言うて、何が悪い』

「この阿呆龍め……」

『ほっほっ。よいよい。その気の強さ、実に懐かしい。緑龍家の巫女は、こうでなくてはのう』

「おぬしに褒められても、嬉しゅうないわ」

 翠蓮が続ける。

「もっとも、こやつと直接言葉を交わすのは初めてじゃ。歴代の巫女の記憶に、嫌というほどこやつとのやり取りが残っておるのでな」

『嫌とは何じゃ、嫌とは。我ほど気さくで寛大な天龍も、そうそうおらぬぞ』

「気さくで寛大?」

 翠蓮は、呆れたように目を細めた。

「歴代の巫女たちが、どれほどおぬしの気まぐれに振り回されてきたと思うておる。祭祀の最中に姿を消すわ、供物の菓子を勝手に平らげるわ、神託を求められれば『面倒じゃ』と寝たふりをするわ」

『何を言う。供物は神に捧げられたものであろう。我が食べて何が悪い』

「食べるなとは申しておらぬ。祭祀が始まる前に全部食べるなと言うておるのじゃ!」

『細かいことを気にするのう。菓子など、また作ればよかろう』

「……まったく、歴代の巫女が苦労したわけじゃ」

『ほっほっ。そなた、なかなか面白い娘じゃのう』

 翠蓮は、深々とため息をついた。

『それにしても、見事な翠紋の刻まれた左目じゃ。止齢の業を負う巫女に会うのはどれくらいぶりかのお』

 翠蓮は、わずかに顎を上げた。

「そのようなことをしみじみ語る暇があるなら、少しは緑龍家の窮状を案じたらどうじゃ」

『窮状?』

「おぬしが緑龍家から姿を消して以来、わが一族がどれほど苦労したと思うておるのじゃ」

『おお、怖い怖い。また説教か。まったく、緑龍家の巫女というものは、代が替わっても変わらぬのう』

「変わらぬのは、おぬしの無責任さじゃ!」

『無責任とは、聞き捨てならぬのう』

 典禅の声には、少しも堪えた様子がなかった。


第68話をお読みいただき、ありがとうございます。


今回は、緑龍家の筆頭巫女・翠蓮と、天龍・典禅(テンテン)の初対面です。


……もっとも、翠蓮にとっては、初対面という気がしないようです。歴代の巫女たちの記憶を受け継いでいるだけに、テンテンの気まぐれも、食い意地も、無責任ぶりも、すべてお見通し。


一方のテンテンも、久しぶりに現れた小さな筆頭巫女が、どうにも面白くて仕方がない様子。どうやら、この二人は相当な似た者同士のようです。


そして、翠蓮の術によって、ついにハユにもテンテンの声が聞こえるようになりました。これまでネネを通してしか言葉を交わせなかった天龍と、直接話せるようになったことで、今後はどんなやり取りが生まれるのでしょうか。


それにしても、神様というのは、もう少し威厳のある存在だと思うのですが……。


どうぞ、次回もお楽しみに。

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