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仮面の軍神は恋を知らない ~三年前に捨てた元部下が、わたしを離してくれない理由~  作者: 春野まゆき


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第66話 止齢のさだめ

 

 緑龍家の屋敷は、山の懐に抱かれるように建っていた。

 幾重にも連なる青瓦の屋根。苔むした石畳。庭には大小の池が配され、その間を澄んだ水が縫うように流れている。

 水辺には蓮が植えられ、青々とした葉が水面を覆っていた。

「……美しいところだな」

 ハユが呟くと、ネネも嬉しそうに頷いた。

「うん。お水がいっぱい。なんだか落ち着くね」

 案内の侍女に導かれて奥へ進むと、広い座敷で一人の男が待っていた。

 四十代半ばほどだろうか。恰幅がよく、柔和な目元に人懐こい笑みを浮かべている。

「ようこそ、緑龍家へ」

 男は、鷹揚に二人を迎えた。

「緑龍家の当主を務めております、柳景瑞(リュウ・ケイズイ)と申します。虹(コウ)殿下より、お二人のことは伺っておりますよ」

 ハユは、一歩下がって礼をした。

「顧羽悠(コ・ハユ)と申します。こちらは顧寧々(コ・ネネ)様。このたびは、お世話になります」

「いやいや。そう畏まらずとも結構です」

 当主は、にこやかに手を振った。

「それにしても、王弟殿下のお客人にわが館に滞在いただけるとは、光栄でございます。うちの愚息も、王弟殿下の一行にご一緒しておるとか」

「愚息……?」

「慈雨(ジウ)です」

「……ああ」

 ハユは、思わず納得したように頷いた。

「ご迷惑をおかけしておりませんかな」

「いえ。なかなか頼りになる少年です」

「ほう。それは意外な」

「口を開かなければ、ですが」

「はっはっは!」

 当主は、声を上げて笑った。

「まったく、そのとおりですな!で、息子は今どこに?」

「多聞(タモン)とともに、顧家の屋敷に挨拶をしてからこちらに向かうとのことです」

 当主は軽くうなずき、表情を改めた。

「では、本題に入りましょう。こたびの禊ぎについてですが・・・。儀式を執り行うのは、わたしではありません。娘に任せております」

「娘?」

「ええ。緑龍家最上位の巫女です」

 そのときだった。

「父上。客人は、もう来ておるのか」

 奥の廊下から、澄んだ声が響いた。

 現れたのは、小柄な少女だった。

 十歳ほどにしか見えない。

 肩のあたりで切りそろえた艶やかな黒髪を揺らし、淡い緑の衣をまとっている。

 白い頬に、大きな瞳。小さく整った鼻梁に、桜色の唇。

 あまりにも愛らしい顔立ちは、まるで精巧な人形のようだった。

 ただし、その左目の目元には、ひときわ目を引く痣があった。

 深い翡翠色の紋様。

 上下の瞼を縁取るように広がり、目尻から頬へと流れるその紋様は、蔓草にも、水の流れにも似ていた。

 左右で微妙に形を変えながら、白い肌に鮮やかに浮かび上がっている。

 刺青なのか、巫女独特の化粧なのか。

 ハユには、判断がつかなかった。

「おお、翠蓮(スイレン)。ちょうどよいところへ」

 当主、柳景瑞(リュウ・ケイズイ)が、嬉しそうに手招きした。

「ご紹介しましょう。こちらは、わが娘の翠蓮。慈雨(ジウ)の双子の姉でございます。そして、緑龍家の筆頭巫女でもあります」

 ハユは、思わず少女を見つめ直した。

 ジウは、十六歳だと聞いている。

 双子だというからには、当然、この少女も同い年のはず。しかし、目の前の少女は、どう見ても十歳にも満たない。華奢な手足も、丸みを残した頬も、まだ幼い子どものそれだった。

「……ジウの、お姉さん?」

 隣で、ネネも目を丸くしている。

「何じゃ、その間抜けな顔は」

 少女が、ふん、と鼻を鳴らした。

 愛らしい外見からは想像もつかない、ぞんざいな物言いだった。

「わらわは慈雨(ジウ)の姉、翠蓮(スイレン)じゃ。緑龍家の筆頭巫女にして、祭祀を預かる者である。見た目が幼いからといって、子ども扱いするでないぞ」

 そう言って、小さな胸を反らす。

 その仕草だけを見れば、やはり幼い少女にしか見えない。

「驚かれるのも無理はございません」

 青淵は、穏やかに微笑んだ。

「緑龍の血を引く巫女には、何世代かに一人、特別な宿命を持って生まれる者がおります。翠蓮も、その一人なのです」

「特別な宿命……?」

「ええ。止齢(しれい)と呼ばれるものでございます。そうした巫女は、十歳前後、初潮を迎えるよりも前に、身体の成長が止まります。歳月を重ねても、その姿は幼いまま。代わりに、歴代の巫女たちが遺した記憶や神通力を、その身に宿すことができるのです」

「……歴代の巫女の、記憶を?」

「数百年にわたる記憶でございます。もっとも、すべてを自在に思い出せるわけではありません。夢や神託のように、断片となって現れることもある。本人にすら、その意味がわからぬこともございます」

 ハユは、もう一度、少女に目を向けた。

 ――数百年分の、記憶。

 この小さな身体に。

 目の前の少女は、いったいどれほどの歳月を、その内側に抱えているのだろう。

「では、その目元の紋様も……?」

 ハユが尋ねると、青淵は静かに頷いた。

「翠紋(すいもん)と申します。止齢の宿命を持つ娘にのみ現れる、生まれつきの痣でございます」

「……痣?」

「ええ。緑龍家では古くから、神に選ばれし巫女の証として、大切にしてまいりました。神通力が高まると、その紋様は淡く光を帯びるとも伝えられております」


第66話をお読みいただき、ありがとうございます。


今回登場したのは、緑龍家の筆頭巫女・翠蓮(スイレン)。慈雨(ジウ)の双子の姉でありながら、その姿は十歳にも満たない少女のようです。


幼い外見に似合わぬ尊大な物言い。そして、左目を彩る神秘的な翠紋。


「止齢」という特別な宿命を背負い、歴代の巫女たちの記憶を受け継ぐ翠蓮ですが、本人はなかなか気の強い女の子のようです。


さて、この小さな筆頭巫女は、ハユとネネにどんな禊ぎを施すのでしょうか。そして、彼女が受け継いだ古い記憶には、何が眠っているのでしょう。


どうぞ、次回もお楽しみに。

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