第63話 姫の本性
「……玉蘭」
コウが、改めて口を開いた。
「ふたりは、わたしの客人だ」
「存じておりますわ」
「その身の安全については、わたしが責任を持つ」
玉蘭は、柔らかく笑った。
「存じております。けれど、先ほども申し上げましたとおり、これはわたくし個人の判断ではございませんの」
彼女が目配せすると、従者が文箱を開いた。
中には、龍王の印璽が押された正式な命書が収められている。
玉蘭は、それを両手で受け取った。
「コウ様には急ぎ王都へご帰還いただき、天鱗核の保持者とその随行者は、入都前に緑龍家にて禊ぎを受けること」
澄んだ声が、静かな室内に響いた。
「その手配は、黄龍家が責任を持って執り行うよう、仰せつかっております」
玉蘭は、命書を閉じた。
そして、コウを見上げた。
「まさか、コウ様」
花がほころぶように微笑む。
「陛下のご命令に、背かれるおつもりではございませんわよね?」
コウは、答えなかった。
兄王。王位。忠誠。そして、与えられた使命。
そのすべてが、一瞬にして脳裏をよぎった。
――蘇白瑶を籠絡せよ。
――叶わぬならば、排除も厭わぬ。
あのときは、迷わなかった。
命じられたことを、果たせばよかった。
兄王の疑念を招かずに済む。
それが、自分にとって最も合理的な選択だった。
けれど。
今は、違う。
「……玉蘭」
「はい、コウ様」
「陛下には、わたしから申し上げる」
玉蘭の眉が、わずかに動いた。
「……何を、でございますか?」
「ハユとネネのことだ」
「…………」
「禊ぎが必要だというのなら、わたしも緑龍家へ同行する」
玉蘭は、黙った。
ほんの一瞬。
その瞳から、温かな光が消えた。
けれど、すぐに微笑みを取り戻す。
「……コウ様のお気持ちは、よく分かりました」
優雅に膝を折る。
「ですが、王都では陛下が、コウ様のお帰りを心待ちにしておいでです。まずはご帰還いただきませんと」
「だからそれは――」
「殿下」
それまで黙って成り行きを見守っていたハユが、静かに口を開いた。
「どうぞ、龍王のご指示に従ってください」
コウが振り返った。
「ネネ様のことは、わたしが責任をもってお守りいたします。禊ぎが済み次第、必ず顧家へお連れいたしますので」
「しかし、先……」
コウは言いかけて、口をつぐんだ。
ひどく不服そうな顔をしていたが、しばらくして、諦めたように息を吐いた。
「……わかった。では、連絡を待つ。禊ぎが済んだら、わたしが迎えに行こう」
「お迎えでしたら、黄龍家から差し向けますわ」
すかさず玉蘭が口を挟んだ。
「コウ様のお手を煩わせるわけにはまいりません。わたくしの名にかけて、お二人には何ひとつご不自由のないよう、丁重におもてなしいたします」
にこりと微笑む。
どこまでも優雅で、どこまでも譲らない。
コウは何か言い返そうとしたが、結局、口を閉じた。
「……承知した」
ようやく、不承不承といった様子で頷く。
ハユはそんなコウを眺めながら、内心で小さく息をついた。
――まったく。いつから、こいつはこんなに心配性になったのやら。
数年前まで、自分が守ってやらねばならなかった少年は、もうどこにもいないらしい。
まさか、こちらが守られる側になるとは。
妙なものだ。
もっとも、ハユとしても、緑龍家という場所には少々興味があった。
天鱗核。
禊ぎ。
龍国に古くから伝わる祭祀の数々。
そこには、まだ自分たちの知らない何かがあるのかもしれない。
ひょっとすると、カナルの身体から天鱗核を分離する手がかりが見つかる可能性もある。
ならば、行ってみる価値は十分にあった。
それに――。
ハユは、ちらりと玉蘭へ目を向けた。
蜂蜜色の髪を結い上げた美しい姫君は、相変わらず非の打ちどころのない微笑みを浮かべている。
どうにも、ただの世間知らずな姫君とは思えなかった。
――何を企んでいるのやら。
ハユは何食わぬ顔で、再び頭を下げた。
◇ ◇ ◇
馬車へ戻った玉蘭は、しばらく何も言わなかった。
向かいに座った侍女が、静かに口を開く。
「……姫様」
「何?」
「よろしかったのでしょうか。殿下は、あの方々をずいぶん大切にしておられるご様子でしたが……」
「……だから?」
声が、変わった。
つい先ほどまでの、鈴を転がすような柔らかな声音ではなかった。
侍女は、わずかに眉を上げた。
若くして黄龍家の侍女長となったこの女の名は、朧という。
玉蘭の乳母の娘で、幼い頃から玉蘭と姉妹同然に育った女である。
玉蘭より四つ年上で、現在は筆頭侍女として黄龍家を取り仕切り、時に主の護衛の任も担う。
必要とあらば、ありとあらゆる汚れ役も引き受けてきた。
主の気性も、癖も、機嫌のよしあしも、誰よりよく知っていた。
もちろん、そのすさまじい口の悪さも。
玉蘭は、ゆっくりと手袋を外した。
白い指。美しく整えられた爪。
その指先で、膝の上の絹をなぞる。
「……あの女」
ぽつりと呟いた。
「何者なの?」
「顧羽悠と名乗っておりますが、詳しい出自までは、まだ」
「顧姓まで与えるとはね」
玉蘭は、鼻先で笑った。
「傭兵上がりの護衛風情が、ずいぶんと出世したものだこと」
「殿下のお気に入りとあらば、そういうこともございましょう」
「……朧」
「はい」
「おまえ、どちらの味方なの?」
「もちろん、姫様の」
朧は、すました顔で答えた。
玉蘭は、ふん、と鼻を鳴らした。
第63話をお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、ついに玉蘭の本性がちらりと顔をのぞかせました。
龍王の命書を盾に、一歩も引かない玉蘭。コウも必死に抵抗しますが、当のハユは意外にもあっさりと緑龍家行きを受け入れてしまいます。
ハユにしてみれば、カナルの天鱗核について調べる絶好の機会。けれど、コウにとっては、そう簡単に割り切れる話ではないようです。
そして、馬車の中で一変する玉蘭の口調。完璧な淑女の仮面の下には、なかなか激しい気性が隠れているようです。
今回初登場の侍女・朧も、どうやら一筋縄ではいかない人物。主の機嫌を取っているようで、どこか面白がっているようにも見えます。
さて、この二人が今後どんな騒動を巻き起こすのか。
どうぞ、次回もお楽しみに。




