第62話 微笑みの牽制
ハユとカナルが黄玉蘭と正式に顔を合わせたのは、その日の午後になってからだった。
午前中、コウと玉蘭は宿館の一室にこもり、ずいぶん長いこと話し合っていた。
ときおり、廊下にまで声が漏れてくる。
「だから、それは認めないと言っている!」
珍しく、コウの声が険しかった。
「コウ様。どうか、お立場をお考えくださいませ」
対する玉蘭の声は、どこまでも穏やかだった。
何を話しているのか、詳しいことは分からない。
ただ、どうやら自分たちの処遇をめぐって揉めているらしいと、ハユは察していた。
ようやく扉が開いたとき、先に出てきたコウは、ひどく不機嫌そうな顔をしていた。
「……先輩」
「どうした。ずいぶん長かったな」
「ええ。少々、面倒なことになりまして」
コウは小声でそう言って、背後を振り返った。
そこには、蜂蜜色の髪を美しく結い上げた娘が立っていた。
淡い黄金色の衣。繊細な金細工の髪飾り。白い肌に、琥珀色の瞳。
立ち居振る舞いの一つひとつに、長い年月をかけて身につけた品格が感じられる。
黄龍家の嫡女、黄玉蘭。
コウの、生まれながらの許嫁である。
「お初にお目にかかります」
玉蘭は、優雅に膝を折った。
「黄龍家の黄玉蘭と申します。羽悠さまと、寧々(ネネ)さまでございますね。コウ様より伺っております」
カナルは、朱国の孤児、コウの義妹。偽名は寧々(ネネ)。
ハユは、寧々付きの護衛兼侍女。
そういう設定だ。
「ふたりはすでに顧家が抱える者だ。丁重な待遇を」
「承知しております」
玉蘭は、花がほころぶように微笑んだ。
柔らかな声音。
礼儀正しい物腰。
非の打ちどころのない淑女だった。
その微笑みを崩さぬまま、玉蘭は本題に入った。
「さて、天鱗核の保持者でいらっしゃるネネ様と、その随行者のハユ様についてでございますが」
その視線が、まずネネへ向けられた。
そして、ハユへ。
「龍国の王都へお入りになる前に、禊ぎを受けていただかねばなりません」
「……禊ぎ?」
ハユが聞き返した。
「はい。天鱗核は、我が国にとって神聖なるもの。外界の穢れを祓い、身を清めることは、古くからのしきたりでございます」
「そうなのか」
「ええ。ご心配には及びませんわ。緑龍家にて、丁重にお預かりいたします」
「……預かる?」
ネネが小さく首を傾げた。
「はい。禊ぎが済むまでの、ほんのしばらくのことでございます」
「ハユ」
横からコウが口を挟んだ。
いつもの「先輩」という呼び方を避け、意識して敬称も敬語も使わずに続ける。
「突然のことで、すまない」
その声音には、あからさまな不満が滲んでいた。
「どうしても必要な儀礼らしい。龍王陛下からのご指示でもある。わたしとしては、すぐにでも顧家へ迎え入れたいのだが」
「すべては王弟殿下のご指示のままに」
ハユは、すっと頭を下げた。
その所作は驚くほど自然で、恭順の意を示す家臣そのものだった。
慈雨と多聞は、思わず顔を見合わせた。
――この女にも、従順な部下を演じることができるのか。
ほんの一瞬、二人の目に驚きが浮かぶ。
もっとも、ハユにとっては、これも敵地で身を偽るための芝居にすぎないのだが。
玉蘭は困ったように眉を下げた。
「これは、わたくし個人の判断ではございませんの。古くからの定めでございます」
「……定め」
コウが呟く。
「それに、コウ様には王族としてのお務めがございます。お連れの方々のお世話まで、ご自身でなさる必要はございませんでしょう?」
「ふたりは顧家の大切な客人だ」
「まあ。お優しいこと」
「玉蘭」
笑顔だった。
だが、声が低い。
玉蘭は、わずかに目を伏せた。
「……失礼いたしました」
ハユは、二人のやり取りを黙って眺めていた。
なるほど。
この娘は、最初から自分たちを引き離すつもりなのだ。
説明しているようで、こちらの意向を一度も尋ねていない。
しかも、緑龍家へ預けるという話をした瞬間、その琥珀色の瞳が、ほんのわずかに笑った。
「……お聞きしてもよろしいですか」
ハユが口を開いた。
「もちろんでございます」
「その禊ぎとやらは、何日ほどかかるのですか」
「通常は三日ほどと伺っております。ただ、お身体の状態にもよりますので」
「では、誰が終わりを決めるのです?」
「緑龍家の祭司が」
「その間、外へ出ることは?」
玉蘭の微笑みが、ほんの一瞬だけ止まった。
「……清めの期間でございますから、当然、外出はお控えいただくことになります」
――なるほど。
ハユは頷いた。
「つまり、預かるというより、閉じ込める、ということなのですね」
空気が、凍った。
「……まあ」
玉蘭が、ゆっくりと微笑んだ。
「そのような物騒な言い方をなさらなくても」
「申し訳ありません。戦場で育った人間なもので」
ハユは、あっさりと言った。
「自由に出入りできぬ場所を、そう呼ぶ癖があるのです」
慈雨が、思わず吹き出しかけた。
隣にいた多聞が、すかさず肘で小突く。
玉蘭は、微笑みを崩さなかった。
「……ご心配には及びませんわ。緑龍家は、我が国でも由緒ある祭祀の一族。決して、粗略に扱うようなことはございません」
ハユも、穏やかに答えた。
「安心いたしました。ただし、ネネ様に危害を加えるような輩には容赦いたしませんので、そのおつもりで」
「もちろんでございます」
二人は、にこやかに微笑み合った。
第62話をお読みいただき、ありがとうございます。
今回は、ハユと玉蘭の初対面でした。
優雅な物腰と完璧な微笑みを崩さず、言葉巧みに話を進める玉蘭。一方のハユも、相手の意図を素早く見抜き、遠慮なく切り込んでいきます。
同じように微笑んでいても、その内側で考えていることはまるで違う二人。
玉蘭にとっては、思いがけず手強い相手だったのではないでしょうか。
そして、天鱗核を宿すカナルと、その護衛であるハユは、緑龍家へ向かうことになりました。
そこで二人を待っているのは、いったい何なのか。
どうぞ、次回もお楽しみに。




