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仮面の軍神は恋を知らない ~三年前に捨てた元部下が、わたしを離してくれない理由~  作者: 春野まゆき


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第52話 軍人の習性

 

 出立して、三日。

 早くも多聞(タモン)と慈雨(ジウ)は、一つのことに気づき始めていた。

 蘇白瑶(ソ・ハクヨウ)という女は。

 ――少し、変だ。

 いや。

 ・・・すこし?


 最初に気づいたのは、多聞だった。

 二日目の朝。

 野営地を発とうとしていたとき、白瑶が突然、道端にしゃがみ込んだ。

「どうした」

 多聞が尋ねる。

 返事はない。

 白瑶は地面を見ている。

 じっと。

 ひたすら、見ている。

「……何かあるのか?」

 多聞も隣にしゃがんだ。

 慈雨も覗き込む。

 何もない。

 土。

 石。

 苔。

 小さな草。

 その程度だ。

 やがて白瑶が、一本の草を摘んだ。

 葉を裏返す。

 匂いを嗅ぐ。

 そして。

 ぱく。

 口に入れた。

「おい!」

 慈雨が叫ぶ。

 ハユが顔を上げる。

「なんだ」

「なんだじゃねえよ!今、何食った!?」

「草だ」

「得体の知れないモンを食うなよ!」

 ハユは気にする様子もなく、口の中の葉をゆっくり噛んだ。

「……少し苦いな」

「食べられる草なのか」

 多門が尋ねる。

「いや」

 ハユは淡々と答えた。

「毒草だ」

「…………」

 多聞の動きが止まった。

「……何?」

「毒草だ」

「吐け吐け吐け!!」

 慈雨が叫んだ。


「なんの騒ぎだ」

 少し離れたところで馬の支度をしていたコウが、こちらへやってくる。

 慈雨が振り返った。

「首領!!この女、毒食った!!」

「おい妹、水持ってこい!おまえの姉、死ぬぞ!!」

「ええ~?」

 遠くから、ひどくのんびりした声が返ってきた。

 慈雨が目を剥く。

「水だよ!!急げ!!」

 ところが。

 コウはハユの手にある草を見ると、ため息をついただけだった。

「……相変わらず、その癖、治ってないんですね。先輩」

「…………え?」

 慈雨が止まった。

 ハユは平然としている。

「この程度なら問題ない。毒には多少慣れている」

「毒に慣れるって何だよ!?」

「おまえが薬慣れしているのと同じようなものだ。まあ……舌が少し痺れる程度だ」

「痺れてんじゃねえか!」

 そこへカナルがぱたぱたとやってきた。

「姉様、お水持ってきたよー」

 慣れた様子で器を受け取り、ハユは口をすすぐ。

 慈雨は、その一連の光景を呆然と見ていた。

「……お前も、なんでそんな落ち着いてんだよ」

「だって姉様、いつもこんな感じだもん」

「いつも?」

 ハユは摘んだ草を眺めている。

「この地方に自生していることは知っていたが、実物を見るのは初めてだった」

「だから食ったのか?」

「ああ」

「食うなよ!」

 多聞が、まじまじとハユを見る。

「……いつもなのか?」

「うん」

 答えたのはカナルだった。

「珍しい薬草を見つけると、とりあえず匂い嗅いで、ちょっと舐めるよ」

「止めろよ!」

「止めてもやるもん」

「……副作用も確認するか」

 ハユが、残っていた葉をもう一枚口へ運ぶ。

 その手首を。

 ぱし。

 コウがつかんだ。

「駄目です」

「まだ少ししか試していない」

「十分です」

「量によって作用が変わるかもしれない」

「駄目です」

「薬になるかもしれない」

「駄目です」

「コウ」

「駄目です」

 ハユが眉を寄せる。

 コウは手を出した。

「ください」

「…………」

「先輩」

「……分かった」

 いかにも不満そうに、残っていた草を渡す。

 コウは受け取ると、そのまま川へ放った。

「あ」

 流れていく。

 ハユが名残惜しそうに目で追った。

「もったいない」

「手元にあったら、また自分の身体で試すでしょう」

「薬師は自分で薬効を確かめるものだ」

「限度があります」

「昔はそこまでうるさくなかっただろう」

「昔から止めてました」

「そうだったか?」

「そうです」

 淀みなく続くやり取りを、多聞と慈雨は、黙って見ていた。

 どうやら。

 初めてではないらしい。

 それどころか。

 カナルは慣れている。

 コウは――もっと慣れている。

 慈雨は、川へ流れていく毒草を見送った。

 それから、もう一度ハユを見る。

 絶世の美女。

 かつて彪国第一白虎隊を率いた、伝説の軍神。

 そして今は、優れた薬師。

 もっと近寄りがたい女なのだと思っていた。

 だが。

 旅に出て、わずか三日。

 その認識は、早くも揺らぎ始めている。

 ――こいつ。

 なんか、かなり変な女なのでは?


 ◇ ◇ ◇


 その日の昼。

 街道沿いに、小さな茶屋を見つけた。

 軒先には旅人の馬が数頭つながれ、中からは湯気と、焼いた肉の匂いが漂っている。

「お腹すいたー!」

 カナルが真っ先に店へ入った。

 昼時を少し過ぎていたため、客はまばらだった。

 空いている卓はいくつもある。

「ここでいいよね?」

 カナルが入口近くの卓へ向かう。

「待て」

 ハユが止めた。

「え?」

 ハユは店内を見回した。

 入口。

 厨房。

 二階へ続く階段。

 奥には、店の裏手へ通じているらしい小さな戸。

 窓は三つ。

 客は七人。

 店主と給仕が二人。

 入口近くに男が三人。

 腰に剣を佩いているが、旅装から見て商隊の護衛だろう。

 ――問題ない。

 ハユは視線を巡らせ、一番奥の壁際を指した。

「あそこにする」

「えー。窓際の方が明るいよ?」

「ここでいい」

「なんで?」

 ハユは壁を背にして腰を下ろした。

「背後を取られない」

「…………」

 カナルが瞬きをした。

 ハユは入口へ目を向ける。

「ここなら正面の入口と二階への階段が同時に見える。右手の窓から街道も確認できる」

 次に、奥の小さな戸を見る。

「裏口までは十歩もない。何かあれば、あそこから外へ出られる」

 慈雨が眉を寄せた。

「何かって何だよ」

「襲撃」

「されねえよ」

「分からないだろう」

「飯食うだけだぞ!?」

「食事中が最も警戒の緩む時間だ」

 ハユは当然のように言った。

「武器を卓の下へ置く者もいる。酒を飲めば反応も鈍る。襲う側からすれば都合がいい」

「…………」

 慈雨が黙った。

 その隣で。

 多聞の目が、妙に真剣になっていた。

「なるほど」

「え?」

 慈雨が振り返る。

 多聞はハユの席から店内を見渡した。

「確かに死角が少ない。壁を背にしているから背後への警戒も不要だ。その分、正面へ意識を集中できる」

「タモン?」

「しかも裏口が近い」

「ああ」

 ハユが頷く。

「敵が正面から入れば、裏へ抜けられる。逆に裏口を塞がれても、窓から出られる」

「なるほど」

 多聞は深く頷いた。

 そして、感心したようにハユを見る。

「さすがだ、軍神。見習おう」

「見習うな!」

 カナルが笑いながらハユの隣に座った。

「姉様、昔からそうだよね」

「何がだ」

「お店に入ると、絶対、壁の近くに座る」

 その向かいで、コウは何事もなかったように腰を下ろした。

「先輩は昔から、入口に背を向けるのを嫌がるんですよ」

 その横では、多聞がまだ店内を観察している。

「入口、階段、裏口、窓……」

 小さく呟きながら、位置関係を確認していた。


 ◇ ◇ ◇


 その夜。

 野営の支度をしていると、今度は白瑶が地面に枝で何かを描き始めた。

 多聞が覗き込む。

「これは?」

「この辺りの地形だ」

「なぜ描いている」

「襲撃された場合、カナルをどこへ逃がすのが最も安全か考えている」

 多聞は頷いた。

「この斜面は馬では上がれない。追手を二手に分けられる。カナルを沢沿いに逃がして、私とコウがここを塞ぐ」

「なるほど」

「納得すんな!」

 慈雨が叫んだ。

「何だ」

 白瑶と多聞が同時に振り返る。

「今から寝るだけだろ!?」

「だからだ」

「だからって何だよ!」

「夜襲は寝ているときに来る」

「そういうことじゃねえ!」

 白瑶が眉を寄せた。

 本当に分からないらしい。

 その横で、多聞は地面の図を真剣に眺めていた。

「軍神。この岩場を利用すれば、こちらも防衛に使えるのではないか」

「そうだな。ここを塞げば――」

「待て待て」

 慈雨が割って入った。

「お前、昨日まではソ・ハクヨウって呼び捨てだったくせに」

 多聞が振り返る。

「敬意を表している」

「順応する方向がおかしいんだよ!」

 カナルが笑い出した。

 コウは焚き火の向こうで茶を飲んでいる。

 まったく動じていない。

「首領」

 慈雨が言った。

「何です?」

「……あの女、昔からああなのかよ?」

 コウは白瑶を見る。

 地面に描いた地形図を前に、多聞と真剣に何か話している。

「そうだな」

「変だよな?」

「どこが?」

「全部だよ!」

 コウは少し考えた。

 本当に考えた。

「……まあ、そのうち慣れる」

「首領、毎日あんなのと暮らしてたのか・・・」

 慈雨が呆然と呟く。

 その声が聞こえたらしい。

 ハユが顔を上げた。

「何の話だ?」

「あんたの話だよ」

「私がどうした」

「…………」

 慈雨は答えなかった。

 多聞も答えなかった。

 カナルは笑っている。

 コウだけが、何がおかしいのか分からないという顔をしていた。

 出立して、三日。

 多聞と慈雨が抱いていた蘇白瑶という人物への印象は、着実に修正されつつあった。

 絶世の美女。伝説の軍神。優れた薬師。

 そして。

 ――かなり、変な女。


第52話をお読みいただき、ありがとうございます!


伝説の軍神・蘇白瑶。

戦場では誰よりも頼もしい彼女ですが、日常生活では少々(かなり?)変わったところがあるようです。


毒草を味見し、食事の席では退路を確認し、野営地では夜襲に備える……。本人はいたって真面目なのですが、慈雨にとってはツッコミが追いつきません。


そんなハユにすっかり慣れているコウとカナル。そして、なぜか感心して弟子入りしそうな多聞。


旅はまだ始まったばかり。

この五人、果たして無事に龍国へたどり着けるのでしょうか。


次回もお楽しみいただけたら嬉しいです!

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