↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
仮面の軍神は恋を知らない ~三年前に捨てた元部下が、わたしを離してくれない理由~  作者: 春野まゆき


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
49/79

第49話 髪を結う


「まず、その髪ね」

明珠(メイジュ)が、白瑶の背後に回った。

腰まで流れる銀の髪をひと房すくい上げる。

「これじゃ、私は蘇白瑶ですって看板を背負って歩いてるようなものだわ」

「なら切る」

「馬鹿言わないで」

即答だった。

「こんな綺麗な髪、切るなんてもったいないわよ」

「では、どうする」

「染めるのよ。黒く」

明珠はそう言ってから、白瑶の顔を両手で挟んだ。

右へ向ける。

左へ向ける。

じっと見る。

「……何だ」

「憎らしいくらい、化粧のしがいがあるわねえ」

「褒めているのか」

「褒めてないわよ。腹を立ててるの」

「なぜだ」

「何もしなくてもこれだけ整ってる女を、どうやって地味にしろっていうのよ」

白瑶には意味が分からなかった。

明珠はため息をついた。

派手に美しくするのではなく、なるべく地味に、目立ちすぎないように。

白い肌の色を少し落とす。

目元の印象を弱める。

眉の形を変える。

頬にもわずかに影を入れる。

何より、人の目を引く淡い菫色の瞳が目立たぬよう工夫する。

しばらくして、明珠が白瑶の顎を持ち上げた。

「うん。これなら、まあ。どこにでもいるそれなりの美人って感じ」

「何が変わった」

「鏡を見なさい」

白瑶は鏡を見た。

「…………」

確かに、自分だった。

だが。

どこか違う。

「妙だな」

「成功ってことよ」

明珠は満足そうに笑った。

「玄国出身の、ちょっと無愛想な女傭兵。少なくとも一目見て『彪国の軍神、蘇白瑶』とは誰も思わないわ」

「そうか」

「問題は――」

明珠が、もう一度その銀髪を見る。

「これよね」

そのときだった。

「それは、僕がやる」

コウが言った。

明珠が振り返る。

「あんたが?」

「ああ」

「染めるところから?」

「もちろん」

「へえ」

明珠の目が細くなった。

何か面白いものを見つけたときの顔だった。

「じゃあ、任せるわ」

明珠は素直に場所を譲った。

そのすれ違いざま。

「……楽しそうね」

小さく囁く。

「何が?」

「別に」

笑っている。

嫌な笑い方だった。

コウは無視した。

白瑶の背後に立つ。

長い銀髪を、手に取った。

その瞬間。

ふと、昔を思い出した。

彪国。白虎軍の陣営。まだ自分が、彼女のそばにいたころ。

「覚えていますか」

「何をだ」

「白虎軍にいたころ、あなたの髪を毎日結っていたのは、僕でした」

「ああ」

「最初はひどかったですよね」

「何が」

「あなたの結い方です」

「結べれば同じだろう」

「同じじゃありません」

「戦うのに邪魔にならなければいい」

「だから僕がやるようになったんでしょう」

「そうだったか」

「そうです」

ハユは、こういうことを驚くほど覚えていない。

コウは苦笑しながら、銀の髪を梳いた。

指の間を、さらさらと流れていく。

――好きだった。

この人の髪に触れるのが。

当時は、それがなぜなのか分からなかった。

朝。

出陣前。

白瑶を座らせ、その後ろに立つ。

長い髪を梳き、束ね、結う。

ただ、それだけの時間。

誰かが代わろうとすると、なぜか嫌だった。

この人の髪に、自分以外の他の誰かが触れることが。

なぜ嫌なのか。

分からなかった。

――けれど。

今になって思えば。

あれは、もっと別の感情だったのかもしれない。

まだ名前も知らなかった感情。

誰にも渡したくない。

誰にも触れさせたくない。

そんな、ひどく身勝手な感情の。

ほんの始まり。

「コウ」

声に、我に返る。

「はい」

「手が止まっている」

「……すみません」

再び髪を梳く。

白瑶は鏡越しに、コウを見た。

昔と同じだった。

この男に髪を任せていると、不思議と落ち着く。

自分で結えば、もっと早い。

適当に束ねれば、それで済む。

それなのに。

コウが「僕がやります」と言えば、なぜか断る気にはならなかった。

髪を梳かれる感触も。

指が髪を分けていく感触も。

悪くない。

むしろ。

「先輩」

「なんだ」

「染めますよ」

「ああ」

銀が。

少しずつ、黒へ変わっていく。

妙な気分だった。

蘇白瑶(ソ・ハクヨウ)という名前を知る者なら、誰もが覚えている色だった。

戦場で翻る、長い銀髪。

白虎軍の先頭に立つ、軍神の色。

それを。

今、自分の手で消している。

数年以上前。

龍国のために、この女の懐へ入り込んだ。

そして今。

龍国からこの女を守るために、蘇白瑶の痕跡を消している。

――ずいぶん遠くまで来たものだ。

けれど。

黒く染まっても。

髪をまとめても。

化粧で顔立ちの印象を変えても。

やはり、この人はこの人だった。

最後に髪を結い上げる。

「できました」

白瑶が鏡を見る。

そこには、銀髪の軍神はいなかった。

黒髪の、玄国の女護衛。とはいえ、どこか控え目な侍女の様相だ。

「どうです?」

「悪くない」

「それだけですか」

「何を言えばいい」

「もう少し何かあるでしょう」

「そうだな」

白瑶は鏡の中のコウを見る。

「お前は、なんでも器用だな」

――だれのせいで、こんな器用さを身に着けたと思っているのやら。

「髪を触られるのは、あまり好きではないんだが」

コウの指が止まった。

「お前に結ってもらうのは悪くない」

「…………」

「どうした」

「……先輩」

「なんだ」

「そういうことを、無自覚に言うの、やめてもらえませんか」

「何がだ」

「……何でもありません」

鏡から目を逸らす。

耳が少し赤い。

龍影衆首領ともあろう男が、たった一言で完全に調子を崩している。

その様子を。

部屋の隅で明珠が、にやにやしながら見ていた。

「……何が言いたい」

「別に?」

明珠は肩をすくめた。

「ただ――」

「ただ?」

「昔からだったのねえ、と思っただけ」

「何がです」

「さあ?」

明珠は答えなかった。

まだ少年だったコウは、おそらく自分でも知らないまま、蘇白瑶の髪に触れる権利を誰にも譲りたくなかった。

そして蘇白瑶のほうも。

誰に触れられるのも好まないくせに、その少年の手だけは拒まなかった。

――なるほど。

明珠はひとり納得する。

これは最近始まった話ではない。

本人たちだけが、それを知らないのだ。

わざわざ教えてやるほど、明珠は親切ではなかったが。


第49話、お読みいただきありがとうございました。

今回は、龍国へ向かうための変装――のはずが、思いがけずコウとハユの昔が垣間見える回になりました。

白虎軍にいたころ、毎朝ハユの髪を結っていたのはコウ。

当時のコウは、なぜ自分がそれをしたいのか、なぜほかの誰かにハユの髪を触られるのが嫌なのか、きっと分かっていなかったのでしょう。

そしてハユもまた、人に髪を触られるのは好きではないのに、コウの手だけは昔から平気だったようです。

本人たちはまったく気づいていませんが。

明珠だけは、しっかり気づいてしまいました。

銀から黒へ。

軍神・蘇白瑶の象徴だった髪の色を、かつて敵国の密偵だったコウが、今度は彼女を守るために自らの手で消していく。

書きながら、二人はずいぶん遠くまで来たのだなあ、と感じた場面でもあります。

さて。

黒髪になり、名前も身分も変えたハユ。

いよいよ「蘇白瑶」ではない彼女として、龍国への旅が始まります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。