第47話 偽名
龍国からの返書に記されていた王命は、意外なほど穏当なものだった。
天鱗核は、すでに十三歳の少女の生命と深く結びついている。
無理に取り出せば、宿主だけでなく神器そのものを損なう可能性がある。
その報告を受けた龍王は、天鱗核の「返還」ではなく――
宿主である少女を、龍国王家の庇護下に置く。
そう命じた。
さらに、少女の身辺警護を務める女傭兵についても、そのまま同行を許可する、と。
当然、ハユは警戒した。
国家というものを、ハユは信用していない。
まして、その身体に龍国の至宝を宿すカナルを、龍王の懐へ自ら連れていくのだ。
それでも。
龍国には、長きに渡って天鱗核を管理していた記録がある。
緑龍家には、天龍と神器についての古い知識も残されている。
妹から天鱗核を分離する方法、もしくは制御する方法を探ることができるかもしれない、と思った。
何より、カナル自身が、行きたいと言った。
自分の中にあるものが何なのか。
なぜ自分だったのか。
そして、天鱗核と自分を分ける方法は、本当にないのか。
知りたい、と。
だから、ハユは承諾した。
ただし。
二人は、蘇白瑶と蘇奏として龍国へ入るわけではない。
承寧が用意した偽装身分は、二つだった。
十三歳の少女――寧々(ネネ)。
そして、その少女を護衛する女傭兵――羽悠。
戸籍も、経歴も、雇用記録も。
龍国へ入るために必要なものは、承寧がすべて整えた。
あとは、それを証明する腰牌を発行するだけ。
そのはずだった。
出立の数日前。
日月堂の二階で、コウが卓上に二枚の腰牌を置いた。
「できましたよ」
ハユが一枚を取る。
――顧羽悠。
「…………」
読みは、ハユのままだった。
蘇白瑶という名を捨てるなら、まったく別の名に変えることもできた。
だが、「ハユ」はもともと公に使われていた名ではない。
彪国第一白虎隊大将軍として知られていたのは、あくまで【蘇白瑶】である。
彼女を「ハユ」と呼ぶ者は、妹のカナルと――コウくらいしかいなかった。
「呼び慣れた名の方が、とっさのときに間違えないでしょう」
コウがさらりと言う。
「それに、『白瑶』から『羽悠』なら、字面もまったく違う。調べられても、すぐには結びつきません」
「……それだけか?」
ハユが疑わしげに見る。
「もちろん」
コウはにこりと笑った。
承寧が横から冷たく言った。
「半分は正しい。偽名は本人が反射的に応じられるものの方がいい。潜入の基本だ」
「ほら」
「ただし、残り半分については知らん」
「何の話だ」
「お前が、この女を今まで通り『ハユ』と呼びたいだけじゃないのかという話だ」
「…………」
コウは答えなかった。
ただ、妙に機嫌がよさそうだった。
隣でカナルも、自分のものを拾い上げた。
――顧寧々(コ・ネネ)。
「わあ」
カナルが嬉しそうに笑う。
「ネネ!あたしの新しい名前だね!」
「…………待て」
低い声を発したのは、承寧だった。
その灰青の瞳が、二枚の腰牌を見ている。
「コウ」
「なんだ」
「なぜ、『顧』姓を?」
コウは平然としていた。
「必要だと思ったからだ」
「私が用意したふたりの身分は、寧々と羽悠だ。孤児と傭兵に、姓は必要ないだろう。しかも、龍国王家の傍流とはいえ、由緒正しい『顧』姓など」
「ああ」
「勝手に余計なものを足すな」
「余計ではない」
コウは自分の腰牌を指先で持ち上げた。
「十三歳の身寄りのない少女と、素性の知れない女傭兵。そんな二人を王弟が連れて龍国へ入るからには、顧家当主であるわたしが身元を保証した方が自然だろう」
「…………」
「寧々は、顧家の庇護下に置く」
コウはカナルを見る。
「顧家の養女として迎える」
「養女?」
「ああ。家の戸籍に入れて、僕とは義兄妹ということにする」
「義妹?」
カナルの目が輝いた。
「じゃあ、ほんとにコウ兄さまになる?」
「書類上はね」
「面白そう!」
ハユが自分の腰牌を掲げた。
「なぜわたしまで『顧』なんだ」
「あなたは僕が雇った人間だからです」
「姓までつける必要があるのか」
「顧家に属する者として入国した方が、身元を詮索されにくいでしょう」
「…………」
「顧家当主が雇用主であり、身元保証人でもある。何か問題でも?」
理屈は通っている。
少なくとも表向きは。
「……まあ」
ハユは腰牌を眺めた。
「偽名など、別になんだっていいが・・・」
「でしょう?」
「ただし、私を勝手に顧家の家臣扱いするな」
「女傭兵です」
「似たようなものだろう」
二人が言い合っている横で、承寧だけが、黙っていた。
「…………」
もう一度、二枚を見る。
――顧寧々(コ。ネネ)。
十三歳。出自不明。
天鱗核という国宝級の神器をその身に宿す少女を、顧家預かりとする。
養女として籍に入れ、当主である顧虹の義妹とする。
これは、まあいい。
むしろ、その方が都合がいい。
王弟の庇護下にあると明示できる。身元を詮索する者も減る。
理屈は通る。
――これは、まだ「あり」だろう。
承寧はつらつらと考える。
しかし、問題は。
――顧羽悠。
成人した女。しかも見た目「だけ」はきわめて美しい。
顧家当主が朱国で自ら見出し、雇い入れ、身元を保証し、自らの姓まで与えて龍国へ連れ帰る女。
――これは、まずい。
「…………おい」
承寧が言った。
「なんだ」
「お前、分かっててやってるのか」
「何を?」
コウの表情は涼しい。
承寧は、その顔をしばらく見た。
そして。
「……いや。絶対に分かってるな」
「だから何が」
「この女に顧姓を与えて龍国へ帰ったら、周りにはどう見えると思う」
ハユが眉を寄せる。
「どう、とは?」
承寧はハユを見る。
最後にコウを見た。
「長く国をあけていた王弟が」
「うん」
「帰国したと思ったら」
「ああ」
「自分と同じ姓を名乗る身元不明の美女を連れている」
承寧は、顧羽悠と刻まれた腰牌を指先で叩いた。
「しかも、その女はお前が朱国で直接雇い、数年手元に置いていたことになっている」
「それが?」
「……どう考えても、内縁の妻に見える」
ついに、ハユとカナルの龍国での身分が決まりました。
カナルは「寧々(ネネ)」。
そしてハユは――「顧羽悠」。
偽名を用意するだけだったはずなのに、しれっと二人に自分の姓をつけるコウです。
一応、身元保証というもっともらしい理由はあります。
ありますが……承寧は気づいてしまいました。
長く国を空けていた王弟が、帰国したと思ったら、自分と同じ姓を名乗る謎の美女を連れている。
どう見ても、何かある。
本人だけがまったく分かっていません。
次回、いよいよ龍国へ向けて出発です。




