第43話 火祭り
龍王からの返書が届いてから、七日。
結局、ハユとカナルは、龍国へ向かうことになった。
朱国には、承寧と明珠が残る。
龍影衆の情報網を維持し、引き続き朱国での諜報活動にあたるためだ。
ついでに、二人には薬茶館の留守も任せることになった。
「店番まで私の担当か?」
「いいじゃない。私、お店やってみたかったのよね」
「遊びじゃないぞ、明珠」
「分かってるわよ。ちゃんとお茶も売るし、情報も集めるわ」
「順番が逆だ」
そんな二人を残し、コウたちは龍国へ向かうことになった。
◇ ◇ ◇
翌朝には、朱国を発つ。
その日、朝から薬茶館はどこか落ち着かなかった。
もっとも、荷造りらしい荷造りはほとんどない。
ハユとカナルが持っていくものなど、衣類と薬、それにわずかな身の回りの品くらいだ。
コウは朝から姿を見せていなかった。
龍国までの道中に必要な馬や食糧を整え、途中で使う宿や街道の状況を確認するため、出立の準備に走り回っている。
「夕刻までには戻ります」
そう言い残して出ていったきりだった。
だから、その日の夕方。
薬茶館にいたのは、ハユとカナルだけだった。
「二人とも。今夜、暇?」
夕刻。
薬茶館の戸口から顔を覗かせたアキョウは、挨拶もそこそこにそう言った。
「暇ではない」
ハユは即答する。
「暇よね?」
「聞いていたか?」
「聞いてたわよ。だから暇よねって聞いてるの」
「話が通じていない」
その横から、カナルが顔を出す。
「何かあるの?」
「朱天祭よ」
「あ!」
カナルの顔が、一瞬で輝いた。
ハユは微妙な表情で顔をしかめた。
嫌な予感がした。
朱天祭。
三年に一度、朱国の守護神である朱雀の神へ火を返す、朱国最大の祭り。
町中に朱や橙の灯籠が吊られ、日が落ちると一斉に火が入る。
笛。太鼓。踊り。酒。そして、通りという通りに並ぶ屋台。
最後には都の中央広場で、巨大な朱雀を象った灯籠へ火が入れられる。
三年に一度の大祭である。
「行きたい!」
案の定、カナルが言った。
「だめだ」
「なんで!?」
「明日は早い」
「明日?」
アキョウが首を傾げる。
ハユは一瞬、黙った。
「……山へ薬草を採りに行く」
「ふうん?」
アキョウの紅い目が、わずかに細くなる。
だが、それ以上は何も聞かなかった。
「じゃあ、なおさら今夜くらいいいじゃない」
「どういう理屈だ」
「祭りに理屈なんていらないのよ」
アキョウは、ぱん、と手を叩いた。
「決まり!」
「決まっていない」
「カナル」
「行く!」
「おい」
「二対一ね。決まりよ」
アキョウはすでにカナルの肩を抱いている。
「あ、でも」
紅い瞳が、すっとハユへ向いた。
「その格好で行かせるわけにはいかないわ」
「何が悪い」
「全部よ」
「…………」
「三年も朱国にいるくせに、祭りの日までそんな地味な格好する気?」
「動きやすい」
「祭りに戦いに行くの?」
「人混みでは何があるか分からない」
「もう!」
アキョウが天を仰いだ。
「そういうところよ、ハク!」
そして。
一刻後。
ハユは後悔していた。
「……なぜこうなる」
「素敵!」
鏡の前で、アキョウが両手を合わせた。
朱国の衣は、動くと美しい。
袖も裙も柔らかく広がり、歩くたびに幾重もの薄布が揺れる。
朱。緋。橙。桃。金。
祭りの夜ともなれば、普段よりさらに華やかだ。
カナルには、珊瑚色の裙。
上衣は淡い杏色で、その上から薄い朱の肩掛けをふわりと重ねる。
髪もいつものように簡単に束ねるのではなく、左右を小さく編み込み、珊瑚と金の飾りを挿した。
くるり、と回る。
裙が花のように広がった。
「姉様、見て!」
「ああ」
「かわいい?」
「ああ」
「ちゃんと見て!」
「見ている」
「もう!」
アキョウが割って入った。
「そこは『ものすごくかわいい』って言うところでしょう!」
「ものすごくかわいい」
「棒読み!」
「事実だ」
「……まあ、それはそうなんだけど」
アキョウは気を取り直し、今度はハユを見る。
そして、満足げに笑った。
「……いいわあ」
「何だ」
「最高」
ハユには、深い臙脂の裙。
上衣は白に近い淡桃。
その上から、透けるほど薄い緋色の長い羽衣を重ねている。
普段は何の飾りもつけない銀髪も、今日は半分だけ高く結われ、赤珊瑚と金の簪が挿されていた。
額の両脇から落ちる銀の髪。
淡い菫色の瞳。
朱と金に囲まれた白い肌。
いつもの無骨な薬師とは、まるで別人だった。
「……やっぱり白に赤ね」
アキョウはうっとりする。
「あなた、朱が映えるのよ」
「動きにくい」
「黙って」
「袖が長い」
「黙って」
「この飾りは必要か」
「必要」
「重い」
「それが一番ハクに似合うのよ」
「意味が分からない」
「分からなくて結構!」
アキョウは二人を左右に並べた。
しばらく眺める。
右を見る。
左を見る。
もう一度、全体を見る。
そして。
「……完璧」
満足そうに頷いた。
「かわいい子たちを連れて街を練り歩くって、いいわああ」
「お前が一番目立つくせに」
「それとこれとは別よ」
今夜のアキョウ自身も、ある意味凄まじかった。
黒紅の長い髪。深緋の衣。葡萄色の薄布。金細工と珊瑚。紅を引いた唇。
その姿は、祭りの灯の中に立てば、人の姿を借りた朱雀のようにも見える。
本人にとって装いは男装でも女装でもなく、ただ「今夜これが一番美しいから着る」だけなのだが。
「行くわよ」
「待て。私はまだ行くとは――」
「姉様!」
カナルが腕に抱きついた。
「行こう!」
「…………」
その顔を見て、ハユは、小さく息を吐いた。
「……少しだけだぞ」
「やった!」
カナルが跳ねた。
――これが。
朱国で過ごす、最後の夜になるかもしれない。
そう思うと、妹の願いを無下に断れなかった。
◇ ◇ ◇
町は、火で満ちていた。
赤い灯籠。橙の灯籠。金色の灯籠。
軒から軒へ渡された朱の布が夜風にはためき、その下を人々が行き交う。
太鼓が鳴る。笛が鳴る。笑い声。呼び声。鍋から上がる湯気。肉の焼ける匂い。
香辛料の刺激。
酒の甘い香り。
三年間暮らしてきた朱国のすべてが、今夜だけは何倍にも濃くなったようだった。
「姉様!あれ!」
「走るな」
「串焼き!」
「さっき食べただろう」
「違う味!」
「同じ肉だ」
「味付けが違う!」
「…………」
「買っていい?」
「好きにしろ」
「やった!」
カナルが屋台へ飛んでいく。
その肩のあたりから、ひょこ、と小さな頭が出た。
『おお』
テンテンだった。
今夜は珍しく、最初から実体化している。
とはいえ、威厳ある天龍の姿ではない。
カナルの手のひらほどの大きさしかない、小さな白金色の蜥蜴のような姿だった。
『なんじゃ、あれは』
鼻をひくひくさせる。
「肉だよ」
『食う」
「テンテン、さっき揚げ菓子食べたでしょ」
『それとこれとは別腹じゃ』
「カナル、いつからトカゲを飼ってるのよ?」
アキョウが不思議そうに聞く。
どうやら、天龍の言葉はカナルとジウにしか聞こえないらしい。
傍目には、小さなトカゲが、少女のてのひらで小躍りしているように見えるだけだ。
「うーん、ちょっと前?かな?」
「エサは?コオロギ?ハエ?クモ?」
『この無礼者が!!偉大なるワシにそんなものを食わせる気か!!』
「この子、雑食だから、なんでも食べるの」
しれっとカナルが言う。
テンテンは串焼きを見つめた。
『カナル、あれが食いたいぞ!』
「はいはい」
『二本よこせ』
「一口でしょ?」
『三本いける』
「増えた!」
その後も。
『あれはなんじゃ』
「肉まん」
『食う!あっちのは?』
「胡麻団子」
「揚げ餅」
「辛麺」
『食う!!』
「テンテン!」
カナルがとうとう叫んだ。
「食べすぎ!」
『よもや再び実体を得て、このように生の食物にありつける日が来ようとは思わなんだ』
ほっほっほ、と。
妙に年寄りくさい笑い声を上げながら、天龍は肉まんへ齧りついた。
『ありがたや、ありがたや』
「食い意地張りすぎだよ、もう少し味わって食べて!」
「次じゃ」
「聞いてない!」
ハユは額を押さえた。
「……龍国の連中には絶対見せられないな」
――この、少女の手のひらで小躍りしている生き物が、かの天龍とは。
「・・・威厳がない」
ぼそ、とはハユはつぶやく。
『腹が減っては威厳も保てんわ!カナルよ、姉を黙らせよ』
「ねえ様、テンテン、怒ってるよ」
ふう、とハユはため息をついた。
出立前夜。
荷造りをして静かに過ごす――はずもなく、まさかの朱天祭です。
アキョウに着せ替えられるハユとカナル。そして、実体化できるようになった途端、食欲まで全開になったテンテン。
天龍の威厳は、どこへ行ったのでしょう(笑)。
三年間暮らした朱国で過ごす、最後になるかもしれない夜。
ハユたちがまだ知らないところで、祭りの夜はもう少し続きます。
次回、火祭り②。




