第40話 出奔の理由
「姉様。コウ兄さまも。テンテン、出てきたよ」
朝。
薬茶館の戸を開けたハユに、カナルは開口一番そう言った。
奥で朝食の準備をしていたコウも、顔を上げる。
「……何が出てきた?」
「テンテン」
「それはなんだ」
「天龍の典禅。偉そうでちっちゃい龍」
ハユは黙った。
それから、カナルの隣にいる慈雨を見る。
奥から、コウも鋭くジウを睨む。
慈雨は露骨に顔をしかめた。
「ふたりして俺を見るなよ」
「説明しろ」
「なんで俺が怒られてるみたいになってんだよ」
「いいから」
「……神降ろしをした」
「神降ろし?」
「ああ。俺は緑龍家の覡だからな。天龍様を迎えるための術は、一通り叩き込まれてる」
慈雨は少しだけ胸を張った。
「こいつの中に天鱗核があるなら、できるかもしれないと思ってやったてみたら――」
「出てきたの!」
カナルが片手を広げる。
「このくらい」
「……小さいな」
「そうなの。手乗りだった」
「そこはどうでもいいだろ!」
慈雨が叫んだ。
「天龍様だぞ!龍国の守護神だぞ!お前ら姉妹はもう少し敬え!」
「でも小さかったんだろう」
「そうだけど!」
「かわいかったよ」
「そういう話じゃねえ!」
ハユは二人をしばらく見ていたが、やがて訊いた。
「それで、天龍は何と言った」
慈雨の表情が変わった。
「……天鱗核は、もうこいつから取り出せない」
ハユの目が細くなる。
「どういう意味だ」
慈雨は言葉を選ぶように続けた。
「今はもう、天龍様にも分からないんだと。どこまでがカナルで、どこからが天鱗核なのか」
ハユは何も言わなかった。
ただ、カナルを見る。
「それでね、姉様」
「なんだ」
「私が死んだら、天鱗核もなくなるんだって」
「…………」
ハユの表情が、わずかに変わった。
「本当か」
「ああ」
答えたのは慈雨だった。
「だから、俺ももうこいつから天鱗核を取り出すつもりはない」
「そうか」
「……それだけかよ」
「三年前……」
ハユが、小さく呟いた。
慈雨が眉を寄せる。
「何だよ」
「カナルを連れて、玄国から逃亡した」
コウがハユの顔を見る。
「天鱗核が、なぜカナルの中にあるのか」
慈雨の顔から表情が消えた。
「……知ってんのか?」
「ああ」
「姉様?」
カナルもハユを見る。
ハユは静かに息を吐いた。
「私が玄国を出た理由でもある」
その場が静かになった。
いつの間にか店の奥から出てきていたコウも、足を止めている。
「玄国は、豊かな国ではない」
ハユは話し始めた。
「土地は寒く、資源も少ない。だから玄国は昔から、人を育ててきた」
「人?」
「子どもの資質を調べる。学問、医術、術式、技術、戦闘。何に適性があるのかを見極め、能力を伸ばす。そして必要とする場所へ送る」
慈雨が黙って聞いている。
「私も、その一人だった」
コウがハユを見る。
「先輩も?」
「ああ」
幼いころ。
何度も受けた試験。走らされ。戦わされ。覚えさせられ。失敗して。またやらされた。
やがてハユは、戦うための人間として育てられた。
そして彪国へ派遣された。
蘇白瑶という人材を得るために、彪国は玄国に莫大な金を支払ったという。
そこで軍に入り、戦場に立ち、最後には、大将軍になった。
「カナルは違った」
ハユは妹を見る。
「身体が弱かったから、病児院に預けられていた」
「うん」
カナルが頷く。
「ずっと病院だったよ」
「私は彪国で軍役についていた。薬代は送っていたが、カナルがそこで何をされているのかまでは知らなかった」
ハユの声が、少し低くなる。
「治療を受けていると思っていた」
カナルの笑顔が消えた。
「……違ったの?」
「ああ」
短い返事だった。
「玄国の上層部の一部が、病児院の子どもたちを使って人体実験を繰りかえしていた」
「人体実験って……」
「研究だ」
ハユは淡々と言う。
「薬。術式。身体への負荷。さまざまな方法で人間の適性を調べていた」
「…………」
「その中に、カナルもいた」
慈雨が拳を握った。
「本人に黙って?」
「ああ」
「ふざけんなよ」
珍しく、低い声だった。
ハユは続ける。
「そして三年前。玄国の一部の者が、龍国から持ち出された神器を手に入れていたのを知った」
コウの顔色が変わった。
「……まさか」
「ああ」
ハユが答える。
「天鱗核だ」
慈雨が立ち上がった。
「待てよ!」
椅子が大きな音を立てる。
「じゃあ、十年前に緑龍家から消えた天鱗核を盗んだのは――」
「玄国だ」
ハユの声は静かだった。
「分かったのは、玄国の上層部の一部が関わっていたこと。そして――」
ハユはカナルを見る。
「天鱗核を、人間に宿らせようとしていたことだ」
「…………」
「何人もの子供が、犠牲になったらしい。その実験に、カナルも使われた」
誰も声を出さなかった。
カナル自身も。
ただ、自分の胸元に手を置いた。
「……あたし、覚えてない」
「ああ」
その声だけが、ほんの少し硬かった。
「天鱗核を封じられて、適合した唯一の子どもが、カナルだった」
三年前。
久しぶりに見た妹は、ひどく弱っていた。
呼吸は浅く、脈は乱れ、何度も意識を失った。
何が起きているのか、何をされたのか、秘密裏に調べた。
そして。
見つけた。
カナルに施された術式。隠された記録。龍国から持ち出された神器。
――天鱗核。
「それで……逃げたの?」
カナルが訊いた。
「ああ」
「私を連れて?」
「ああ」
コウが言う。
「だから、誰にも言わずに軍から消えたんですか」
「そうだ」
カナルは黙った。
ハユは妹から目を逸らさなかった。
「天鱗核は、希代の叡智を秘めた至宝だ。そんなものを身体に宿した状態で、カナルを玄国に残せば、悪用されるに決まっている」
「…………」
「だから連れて出た」
慈雨が言う。
「でも、天鱗核は龍国のものだ」
「ああ」
「龍国に返すべきだろ!」
「どうやって?」
「え?」
「逃亡中に、玄国から何度か追っ手が来た。そいつらは、天鱗核を取り出すには、カナルの心臓を抉るしかないと言った」
慈雨が黙る。
「そんなことを、許せるわけがない」
「…………」
「だから渡さなかった」
ハユは淡々と言った。
「玄国にも」
そして。
「龍国にも」
やがて、コウが口を開いた。
「先輩」
「なんだ」
「一つ、確認してもいいですか」
「ああ」
「玄国が天鱗核を手に入れた経緯について、本当に何も知らないんですね」
「知らん」
「では、天鱗核を盗んだ者と、カナルに封じた者が同じかどうかも?」
「分からない」
「目的も?」
「玄国の中枢部は、天鱗核の器として適性のある子どもを探していた。それ以上のことは知らない」
「……そうですか」
コウの顔から、いつもの柔らかな笑みが消えていた。
「コウ」
「はい」
「座れ」
コウの動きが止まった。
その言葉には、覚えがある。
彪国で、ともに軍にいたころ。
何か話があるとき。
あるいは、コウが何かをやらかして叱られるとき。
ハユは決まって、「座れ」と言った。
そして、自分の真向かいにコウを座らせた。
こうなったら、もう逃げられない。
話を逸らしても、 笑って誤魔化しても、もっともらしい言い訳を並べても。
蘇白瑶は、じっとこちらを見る。ただそれだけなのに。
仮面の奥の、紫紺の視線を、まともに見ることができなくなった。
そして最後にはなぜか、隠していたことまで全部喋らされる。
コウは小さく息を吐いた。
「……なんだか、嫌な予感しかしませんね」
それでも、言われたとおりに座った。
ハユは、その真向かいに腰を下ろす。
昔と同じだった。
逃げ道を塞ぐように、まっすぐコウを見る。
「天鱗核について、私が知っていることはすべて話した」
コウは黙っている。
「次は、お前だ」
「…………」
「コウ」
ハユの声が、わずかに低くなる。
「素性を明かせ」
コウはしばらく何も言わなかった。
やがて、観念したように息を吐く。
「……相変わらずですね、先輩」
「何がだ」
「あなたに『座れ』と言われると、昔からろくなことにならない」
「お前が良からぬことを隠しているからだ」
「そうでしたね」
コウは苦笑した。
けれど、その笑みはすぐに消えた。
「……分かりました」
そして、ハユを正面から見返した。
「お話しします」
一拍。
「僕が、何者なのか」
ここまで断片的に語られてきた、ハユとカナルの三年前が、ようやく一本につながりました。
ハユが軍を捨て、すべてを捨てて出奔した理由。それは結局、とてもハユらしいものでした。
国でも、軍でも、神器でもなく、ただ妹を守るため。
そして、すべてを話したハユが最後に向き合うのは、十年近く傍にいながら、まだ本当の姿を見せていないコウです。
「次は、お前だ」
次回、ついにコウの正体が明かされます。




