第4話 暗殺者、きたる
同じ頃。
山道を、一人の青年が登っていた。
背が高い。
細身だが華奢ではなく、旅装の下には無駄なく鍛えられた身体がある。
深い青の長衣。
墨黒の帯。
腰には、細身の剣。
青みを帯びた黒髪は短めで、襟足がわずかに首筋へ触れる程度。
風が吹くたび、無造作な前髪が額へ落ちる。
その中に。
一房だけ。
まるで漆黒の髪へ血を垂らしたような、深い紅が混じっていた。
青年――顧虹は、足を止めた。
深い青緑の瞳が、木々の隙間を見上げる。
屋根が見える。
古びた、山中の薬茶館。
三年。
長かった。
――草の根を分けても探し出せ。
そう命じて、龍影衆の間諜を大陸全土へ放ったのが三年前。
探していたのは、たった一人。
彪国の元仮面将軍。
《軍神》――蘇白瑶。
最初の一年。
四人の側近たちは、何も言わなかった。
◇
『朱国南部まで人を回せ』
『分かった』
赤龍家の多聞は即答した。
長身。
筋骨隆々。
龍国の裏組織である龍影衆の中でもひときわ大きな身体を持つ男である。
『山間部も全部だ』
『おう』
『時間はかかってもいい。必ず見つけろ』
『分かった』
隣で帳簿をめくっていた承寧が顔を上げた。
『……理由くらい聞いたらどうだ』
多聞が振り返る。
『必要か?』
『普通は必要だ』
『虹が探せって言ってる』
『だから?』
『探す』
『…………』
承寧は、呆れたような眼差しで多聞を見た。
『君は幸せだな』
『そうか?』
『褒めていない』
多聞は動じない。
コウが決めた。
なら、やる。
理由など必要ない。
だから。
三年間の捜索にも、四人の中で最も文句を言わなかった。
そんな多聞が。
三年目になって、初めて妙なことを言った。
『なあ、虹』
『何だ』
『見つけたら、本当に殺すのか?』
コウは報告書から顔を上げた。
『蘇白瑶を?』
『ああ』
『そのために探している』
『…………』
『何だ』
『いや』
『言え』
多聞は頭を掻いた。
『お前、殺せねえと思うぞ』
コウの目が細くなる。
『根拠は?』
『ない』
『なら黙れ』
『俺の勘だ』
『一番信用できない』
『戦場じゃ外したことないぞ』
『……黙れ』
◇
白龍家の承寧は、直情型の多門とは正反対だった。
何事にも理由を求める。
感情より数字。
推測より記録。
そして何より。
金にうるさい。
『虹』
『何だ』
『蘇白瑶の捜索に、今年いくら使ったか知っているか』
『知らない』
『知っておけ』
帳簿が、どん、と卓へ置かれた。
『・・・必要経費だ』
『ほう』
いかにも嫌味な「ほう」だった。
『では聞こう』
承寧が帳簿を開く。
『蘇白瑶が好んでいた茶葉の産地を調査した理由は?』
『行動範囲を推定できる』
『できるか』
『可能性はある』
『ない』
『…………』
『さらに、好みの酒。料理。武器職人。過去に立ち寄った宿。出入りした市場――』
『承寧』
『何だ』
『細かい男は嫌われるぞ』
『三年間一人の男を追い続けている男には言われたくない』
『…………』
承寧は、さらに頁をめくった。
『死亡説を却下』
『…………』
『捜索打ち切りを却下』
『…………』
『投入資源の上限設定も拒否』
『何が言いたい』
『任務なら代替案を検討する。お前は一度もしなかった』
『だから?』
ぱたん。
承寧が帳簿を閉じる。
『これは国家任務ではない』
淡々とした声だった。
『お前個人の執着だ』
『……そうか』
『自覚しているなら構わない』
『構わないのか』
『来年度の予算を組み直す』
『そこなのか』
『私の仕事だからな』
◇
そして。
コウにとって最も面倒なのが、黄龍家の女当主である明珠だった。
『ねえ、虹』
『何だ』
『その蘇白瑶って、どんな男?』
『どんな、とは?』
そう問われると、答えに困る。
性格も知っている。
癖も知っている。
好きな茶も、嫌いな食べ物も。
疲れたときに無意識に右の肩を回すことも、考え事をするときに指先で卓を二度叩くことも。
ほとんどすべてを知っている。
――そのはずだった。
『顔は?』
『……仮面を外さない人だった』
『素顔を見たことないの?』
『ない』
『身体は?』
『細身だ。背は・・・わりと高い』
『傷とか。痣とか。そういう特徴』
『知らない』
『三年も一緒にいたのに?』
『潔癖症だった。軍装を解いた姿を人に見せなかったし、湯浴みも手伝わせなかった。だから裸体を見たことはない』
『寝食を共にしてたんでしょ?』
『そうだ』
『なのに?』
『…………』
何も知らないわけではない。
むしろ、知っている。
あの人が何を好み、何を嫌うのか。
どんなときに機嫌が悪くなり、どんなときにほんの少し笑うのか。
戦場で次に何をするのかさえ、言葉を交わさず分かった。
それなのに。
仮面の下の顔を知らない。
服の下の身体も知らない。
今さらながら、奇妙だった。
『…………』
その沈黙をどう受け取ったのか。
明珠の目が、きらりと輝いた。
嫌な予感がした。
『何その関係。すっごく面白い』
『面白がるな』
『ねえ』
『何だ』
『あんた、その人のこと好きなんじゃない?』
『殺すぞ』
『ほら、すぐそういうこと言う』
明珠は、人間を見る。
誰が誰を嫌っているのか。
誰が何を欲しがっているのか。
誰が誰に惹かれているのか。
本人より先に気づくことさえある。
だから。
三年目。
明珠だけが、まったく違うことを言った。
『まだ探すの?』
『見つかるまで』
『死ぬまで?』
『見つかるまでだ』
明珠が黙った。
珍しいことだった。
『……ああ』
『何だ』
『分かった』
『何が』
明珠は、じっとコウを見た。
いつもの笑みはなかった。
『あんた、蘇白瑶が死んだって確認するのが怖いんだ』
『…………』
明珠の声が静かになる。
『ねえ。あんたさ、まるで恋してるみたいよ』
コウから笑みが消えた。
『明珠』
『はいはい』
明珠は両手を上げた。
それ以上は言わなかった。
◇
最後の一人は。
三年前。
まだ十三歳だった。
『首領』
『何だ』
『おれ、十三のときからこの人探してるんだけど』
『そうだな』
『もう十六だよ』
『知ってる』
『おれの青春三年間、返して』
『知らん』
緑龍家の慈雨。
四人の中では最年少。
薬草と毒物に詳しく、追跡と隠密にかけては年長者にも引けを取らない。
そして。
とにかく口が悪い。
『見つけたら絶対殺してよ』
『…………』
『…………』
『何だ』
慈雨が、じっとコウを見る。
『今、黙ったよね?』
『黙ってない』
『黙った!』
『うるさい』
『首領』
『何だ』
『その人、首領のなんなわけ?』
『暗殺対象だ』
『質問に答えてない』
『任務に戻れ』
『大人って面倒くさ』
『慈雨』
『何』
『仕事を増やすぞ』
『横暴!』
十三から十六。
慈雨にとっての三年間は、長い。
だが。
だからこそなのかもしれない。
大人なら暗黙のうちに飲み込むことを、この少年だけは平然と口にする。
そして時々。
それが一番、逃げ場がない。
お読みいただきありがとうございます!
ついに顧虹が登場しました。
三年間、大陸中を探し回って追い続けた《暗殺対象》。
本人は「任務」だと言っています。
側近たちは、誰も信じていません。
そして肝心のコウは――
《軍神》の素顔を知りません。
男だと思って三年間探し続けた相手が、山奥の薬茶館で女薬師をしているなど、知るはずもなく。
三年越しの再会は、果たしてどうなるのか。
次話もよろしくお願いします!




