第35話 ジウ、捕まる
夕刻。
慈雨は、薬茶館の裏手にある小部屋にいた。
一応、捕虜――ということには、なっている。
縄で縛られているわけではない。
戸にも鍵はかかっていない。
だが。
「…………」
窓の外を見る。
庭では白瑶が薬草を干している。
勝てる気がしない。
逃げ出したところで、逃げ切れる自信も全くない。
裏口を見る。
奏がいる。
さっきから何やら真剣な表情で小瓶を並べている。
別の意味で、近づきたくない。
「……最悪だ」
慈雨が呟いた、そのとき。
「カナルの命を狙っておきながら」
戸が開いた。
「五体満足でいられるだけでも運が良かったと思うんだな」
「首領!」
コウが立っていた。
「遅えよ!」
「勝手に動いたのはおまえだろう」
「早く俺を助けろ!」
コウは部屋を見回した。
「別に拘束されてはいないようだが」
「そういう問題じゃねえ!」
「怪我もない」
「これからするんだよ!あの小娘、さっきから薬瓶持って俺のこと見て笑ってんだぞ!」
「……それは少し怖いな」
「だろ!?」
「まあ、先に飯を食え」
「は?」
コウは、持ってきた盆を卓上へ置いた。
湯気の立つ飯。汁物。青菜と肉を炊き合わせた惣菜。それに漬物。
慈雨の鼻が、ぴくりと動く。
「……これ、首領が作ったの?」
「そうだ」
「…………」
「何だ」
「いや」
慈雨は箸を取った。
一口。
「…………うま」
思わず漏れた。
もう一口。
腹が立つくらい、うまい。
派手な料理ではない。だが、出汁がよく利いていて、野菜の火の通り方もちょうどいい。
慈雨は惣菜をもう一口頬張った。
「……あの女、毎日こんなの食ってんのか」
「先輩には、きちんと食べてもらわないと困るからな」
「…………」
なんだ、それ。
慈雨は妙に面白くなかった。
「首領」
「何だ」
「俺らには一回も作ったことないよな」
「何を」
「飯」
「…………」
「俺だけじゃねえぞ。多聞にも、明珠にも、承寧にも」
「だから?」
「十年以上あんたの下で働いてる奴だっているのに」
「それがどうした」
「どうしたって……」
慈雨は箸の先で惣菜をつついた。
「……俺、これ、もうちょっと塩気があるほうが好きなんだけど」
コウが呆れた顔で慈雨を見た。
「知るか」
「は?」
「これは先輩の好みの味付けだ」
「…………」
「お前用じゃない」
「俺に出した飯だろ!?」
「多めに作ったから持ってきただけだ」
「ついでかよ!」
「つべこべ言わずに食え」
「…………」
慈雨はむっとしながら、また惣菜を口へ運んだ。
やっぱり、うまい。
それが余計に腹立たしい。
「……なんなんだよ」
「何が」
「あの女のどこがそんなにいいんだよ」
コウの手が、一瞬止まった。
「攻略対象にハマるなんて、ふつうの組織だったら裏切り者扱いだろ。制裁もんだろ」
「…………わたしが裏切り者だと」
「別に、そうは言ってないけど」
「ではなんだ」
「三年も探し回って、見つけたと思ったら住みついて。飯まで作って。どんだけ尽くす気なんだよ」
「慈雨」
「はいはい」
慈雨は飯をかき込んだ。
「まったく」
コウが小さく息を吐く。
「蘇白瑶は、お前ごときがどうこうできる相手ではない」
「やってみなきゃ分かんねえだろ」
「やってみて、この有様なんだろう」
「…………うるせえ」
「なぜ、こんな短絡的な行動を?」
「早くあんたを龍国に連れて帰りたかったからだよ!」
慈雨が吐き捨てる。
「それに、天鱗核があの小娘のなかにある」
虹の眉がわずかに動いた。
「それで殺そうと?」
「手っ取り早いだろ」
「…………」
虹が笑った。
慈雨は、少しだけ身を引いた。
これは。
機嫌が悪いときの笑い方だ。
「二度と、余計なことはするな」
「……分かったよ」
「本当に?」
「分かったって!」
「ならいい」
虹の笑みが、いつものものに戻る。
慈雨は舌打ちした。
「それより」
「なんです?」
「あの女」
「先輩が?」
「首領の素性が怪しいこと、とっくに気づいてたぞ」
「…………」
空気が止まった。
「何を」
虹の声は穏やかだった。
「話しました?」
「いや、俺は――」
「慈雨」
「…………」
笑っている。
だが。
目が、まったく笑っていない。
「私の素性を、ばらしたのか?」
「…………っ」
慈雨は反射的に背筋を伸ばした。
――「私」。
その一人称で分かる。
今、目の前にいるのは。
薬茶館で飯を作り、茶を運び、奏に「コウ兄さま」と呼ばれている男ではない。
龍影衆首領、顧虹だ。
「ばらしてねえよ!」
「本当に?」
「具体的なことは、何にも言ってない」
「あのひとは、何を、どこまで知ってる」
「……俺たちが龍国から来たことくらい」
「慈雨」
「しょうがねえだろ!あの女が勝手に気づいたんだよ!」
「何に?」
「俺たちが、ただの知り合いじゃないってことに!」
「…………」
「それに、あの女」
慈雨は鼻を鳴らした。
「最初から首領のこと、疑ってたぞ」
「……最初から?」
「ああ」
「何を」
「知らねえよ。けど言ってた。首領がここに来たのも、偶然じゃないだろうって」
虹が黙った。
「…………」
「首領?」
「そうか」
妙に静かな声だった。
「……気づかれていたのか」
慈雨は立ち上がった。
「じゃ、もういいだろ。早く俺を連れて帰ってくれ」
「それは無理だな」
「は?」
「しばらくカナルの相手をしてやれ」
「はあ!?」
「あの子は、虚弱体質で、幼いころからずっと病児院暮らしだったから、同じ年ごろの友人がいない」
「知るか!だいたい、おれのほうが年上だぞ!」
慈雨は苛立たしげに胡坐をかき直した。
「いくつ違う」
「二つ……いや、三つくらいか」
「たいした差ではない」
「たいした差だろ!あんなガキの相手してられるかよ!」
「私から見れば、どちらも似たようなものだ」
「はあ?」
慈雨が眉を吊り上げる。
「じゃあ首領はどうなんだよ」
「何が」
「首領だって、あの女より年下だろ」
「…………」
「二つや三つや四つ、たいした差じゃないんだろ?」
「……そうだ」
「そのわりに」
慈雨は鼻で笑った。
「全っ然、対等な男として扱われてないじゃん」
「…………」
「先輩、先輩ってくっついて、毎日飯まで作ってんのに。向こうから見たら、部下か弟か何かじゃねえの?」
「慈雨」
「なんだよ」
「黙れ」
声は静かだった。
慈雨は口を閉じた。
――まずい。
口が滑った。
虹は笑っている。
だが、目が笑っていない。
「……いや、今のは、口が勝手に・・・」
「何が?」
「だから、その……」
「私は別に怒っていない」
「『私』になってんじゃねえか!絶対怒ってんだろ!」
「黙れと言った」
「はい」
即答した。
しばしの沈黙。
やがて虹は、何事もなかったかのように話を戻した。
「それに、カナルは薬に興味があるようだ」
「……薬?」
慈雨がわずかに反応する。
「先輩の調合を、いつも傍で見ている。自分でも薬草を覚えたいらしい」
「ふうん」
「お前なら教えられるだろう」
「…………」
慈雨は答えなかった。
薬草。
調合。
それならば確かに、自分の領分だ。
三つのころから祭文とともに薬草の名を叩き込まれ、薬と毒の扱いなら大人の薬師にも引けを取らない。
だが。
「……嫌だ」
「なぜ」
「絶対、教えるだけじゃ済まねえだろ、あの小娘」
「鋭いな」
「否定しろよ!」
虹が立ち上がった。
「では、しばらくカナルのお遊びにつきあってやれ」
「嫌だ!!」
「これは首領命令だ」
「こんなことで首領権限使うなよ!」
「有効活用だ」
「そういうの職権濫用って言うんだぞ!!」
コウは聞かなかった。
「待て!首領!」
戸へ向かった虹が、ふと思い出したように振り返る。
「それから」
「なんだよ!?」
「僕は、弟扱いされているわけではない」
「…………」
慈雨は瞬きをした。
「……そこ、やっぱり気にしてんじゃん」
「黙れ」
ぴしゃり。
戸が閉まった。
ジウ、無事(?)捕まりました。
命を狙った相手の家で、なぜか首領の手料理を食べ、カナルの遊び相手まで命じられることに。
そして今回は、コウの「僕」が「私」に変わる瞬間も少しだけ。
ジウにとっては、何より分かりやすい危険信号のようです。
さて、カナルとジウ。
この二人、仲良くなれるのでしょうか。




