第33話 回想~少年を拾った日
雨が降っていた。
少年が、一人、倒れていた。
傷を負い、泥にまみれて。意識も朦朧として。
『……行くところはあるのか』
『ありません』
『家族は』
『いません』
『そうか』
嘘だ。
そう思った。
傷は本物だった。
痛みも。衰弱も。何一つ芝居ではない。
だが。
倒れていた場所が、出来すぎていた。
白瑶が通る道。白瑶なら放っておけない状態。
偶然にしては、都合がよすぎた。
白瑶は、気づかないふりをした。
この少年には、何か目的がある。
何者なのか。
何のために来たのか。
分からない。
ならば。
しばらく泳がせればしっぽを出すだろう、と、思った。
すぐに追い出すべきだった。
そう後悔したのは、数年も経ってから。
怪我が完治してからも、少年はハユの軍営に居ついて、寝起きするようになった。
食事を作った。
カナルの遊び相手になった。
帰りが遅ければ、ハユが戻るまで灯りを残していた。
『先輩。また昼を抜いたでしょう』
『食欲がなかった』
『昨日も同じことを言いました』
『そうだったか』
『座ってください』
『面倒だ』
『食べるまで退きません』
『…………』
『先輩』
『分かった』
うるさい少年だった。
妙に世話焼きで、いつも笑っていて。
何を考えているのか分からなくて。
それでも。
彼がいると。
少しだけ、息がしやすかった。
だから。
訊かなかった。
何者だ。
なぜ私のところへ来た。
何を望んでいる。
訊けば、終わってしまうような気がした。
気づいていて、知らぬふりをした。
ただ、そばに置いた。
それが、自分のわがままだということにも。
やがて。
気づいてしまった。
この少年には。
本当は帰る場所があるのではないか。
果たすべき何かがあるのではないか。
自分が何も訊かないから。
コウも何も言わないだけなのではないか。
なら。
いつか。
自分から、手放さなければならない。
そう、思い始めていた。
◇ ◇ ◇
「……おい」
慈雨の声で、ハユは我に返った。
「何だ」
「何だじゃねえよ」
慈雨が寝台から睨んでいる。
「誰が、自作自演だって?」
「昔の話だ」
「何の!」
「おまえもコウをむかえに来たのか」
「…………」
慈雨が、じっとハユを見る。
「……あんた」
「なんだ」
「首領が何者か、知ってんのか」
「知らん」
「は?」
「何者なのかは知らない」
「…………」
「ただ」
ハユは。
薬棚に置いた壺を見る。
「あいつが私の前に現れたのは、偶然ではないだろうということくらいは分かっていた」
「――――」
慈雨が絶句した。
「……いつから」
「最初から」
「…………」
「コウは上手かったぞ」
「…………」
「傷も本物だった」
ハユは慈雨を見る。
「お前と同じだ」
「…………っ」
「だが」
ハユが少しだけ目を細めた。
「お前ほど顔には出なかった」
「…………」
「子どもだな」
「うるせえ!!!」
慈雨が怒鳴った。
その勢いで、くらり、と身体が傾く。
「っ……」
ハユが腕を掴んだ。
「ほら見ろ」
「触んな!」
「病人が暴れるな」
「誰が病人だ!」
「自分で毒を飲んで自家中毒に陥っているマヌケな人間を、ほかに何と呼ぶ」
「黙れ!俺には、この程度――」
慈雨は言いかけて。
口を閉じた。
ハユの目が、細くなる。
「この程度?」
「…………」
「やはり、自分で飲んだのか」
「…………!」
しまった。
慈雨が気づく。
遅い。
ハユが、ほんの少し、笑った。
「本当に、嘘が下手だな」
「……あんた」
「なんだ」
「性格悪いって言われない?」
「ときどき」
「絶対嘘だ。しょっちゅうだろ」
「それより」
ハユが、薬棚の壺を取った。
慈雨の目が、反射的に、それを追う。
ハユは、見逃さなかった。
「なるほど」
「……何が」
「これか」
「…………」
「お前が私に使わせたかったのは」
慈雨の顔から、表情が消えた。
「……何の話」
「わたしは玄国の生まれだ。玄国の人間には共通する体質がある」
「…………」
「おまえを治療するために必要な薬材を調合すれば、わたしはその薬気に侵される」
ハユが壺を見つめる。
「玄国の人間にとっては、命に関わる薬気の毒だ」
沈黙。
慈雨は、やがて、小さく息を吐いた。
「……はあ」
そして。
寝台から足を下ろした。
「もうちょっとだったのにな」
先ほどまでの弱々しい声ではない。
十六歳の少年は、初めて、真正面からハユを見る。
「なぜ私を殺す」
「別に」
「恨みでもあるのか」
「ないよ」
「なら、なぜ」
「あんたが邪魔だから」
即答だった。
「それだけ」
「…………」
「明珠たちは、あんたを試すとか言ってたけど」
慈雨が鼻で笑う。
「俺にはどうでもいい」
「…………」
慈雨の瞳が、冷たくなる。
「あんたがいるから、首領は龍国へ帰らない」
「…………」
「だから消す」
「随分と単純だな」
「悪いか」
「いや」
ハユは首を振った。
「分かりやすくていい」
「……やっぱむかつくな、あんた」
「よく言われる」
「それに」
慈雨が立ち上がった。
まだ足元は危うい。
それでも。
その目には強い意志がある。
「単刀直入に聞くけど」
「何だ」
「天鱗核を持ってるのは、あんたなのか?」
ハユは一瞬だけ黙って、言った。
「……そうだといったら?」
慈雨の顔から、表情が消えた。
次の瞬間、慈雨が動いた。
「返せ!!」
「――っ!」
腕を取る。
捻る。
「痛っ!」
「話は終わりだ」
「離せ!」
「コウに引き渡す」
「ふざけんな!」
慈雨が身を翻した。
少年とはいえ、さすがだった。
体調を崩しているとは思えない身のこなしだ。
ハユの腕から抜ける。
卓を蹴る。
窓へ。
「待て」
「だれが待つかよ、バーカ!」
慈雨は外へ飛び出した。
◇ ◇ ◇
「くそ……!」
走る。
足が重い。
やはり、薬がまだ残っている。
普段なら。
こんな女。
――いや。
無理だ。
後ろから。
恐ろしい速さで近づいてくる足音がする。
「十六のガキひとりくらい見逃せよ!」
「私を毒殺しようとした十六歳が言うことか」
「うるせえ!」
角を曲がる。塀を越える。着地。
ぐらり。
「っ……!」
膝が折れた。
まずい。
立て。
立て。
「――何してるの?」
「!」
声。
少女の声だった。
慈雨が顔を上げる。
そこに。
一人の少女が立っていた。
くるくるとした巻き毛。
淡い菫色の瞳。
知ってる。首領に言われて、3年間探し続けた軍神。
その居所が知れたきっかけは、この少女だ。
自分が一番最初に見つけた。
蘇白瑶の妹――蘇奏。
こちらを、不思議そうに見ている。
「……誰」
少女が訊いた。
慈雨は、答えなかった。
「カナル!」
背後から、ハユの声。
「姉さま?」
少女がそちらを見る。
「そいつから離れろ」
「この子?」
「いいから下がれ」
「…………」
慈雨は。
もう。
二人の会話を聞いていなかった。
何だ。
これは。
「…………」
身体が、勝手に反応した。
息を呑む。
指先が震える。
さっき飲んだ薬のせいではない。
違う。
これは。
知っている。
幼い頃から。
何千回。何万回。教え込まれてきた。
緑龍家の巫覡ならば、いつか、その御前に立ったとき。
己の身体が。
魂が。
必ず分かると。
「……嘘だ」
「?」
少女が首を傾げた。
「そんな……」
慈雨の唇が震える。
「……なんで」
慈雨が、ふらりと立ち上がる。
ハユが、即座にカナルの前へ入った。
「それ以上、近づくな」
聞こえない。
「おい」
聞こえない。
慈雨には、もう、少女しか見えていない。
どれほど探したか。
父が。祖父が。緑龍家の者たちが。
国中を。血眼になって。
探し続けた。
それでも。
見つからなかった。
天龍に見放された。
そう囁かれた。
緑龍家は終わりだと。
笑われた。
それが。
「……なんで、おまえのなかに、いる」
慈雨が呟いた。
「え?」
カナルが訊き返す。
「天龍の鱗」
カナルが、ぱちぱちと瞬く。
「天鱗核を、なんでおまえが持ってる!」
「テンテンのこと?」
慈雨の世界が、止まった。
「…………」
「テンテンならいるよ」
カナルは。
自分の胸元を指差した。
「住み着いちゃったのは、けっこう前っぽいんだけど。おしゃべりできるようになったのは最近なんだ」
「…………」
慈雨の顔から、血の気が引いた。
「……テンテン?」
「うん。典禅だから、テンテン」
「おしゃべり?」
――それは、つまり。
龍国の守護神である天龍の神託を<降ろす>ことができるということなのか?
「…………」
こんな、小娘が?
慈雨の唇が、わなわなと震えだした。
「お前……」
「なに?」
「お前……っ」
十六年。
慈雨が。
そのためだけに生きてきたものを。
少女はまるで、友達の名前でも呼ぶように。
「テンテン?」
もう一度。
言った。
「――ふざけんなぁぁぁぁ!!」
慈雨の叫びが。
夜の街に響いた。
今回は、ハユとコウの出会いを少しだけ。
実はハユ、最初からコウが何かを隠していることには気づいていました。それでも追い出さなかったのは、彼がそばにいると、少しだけ息がしやすかったから。
そして現在。
ジウの罠はハユに見破られましたが、逃げた先で、思いがけないものを見つけてしまいます。
十年間、緑龍家が探し続けてきた天鱗核。
それを持っていたのは、まさかのカナル。
しかも天龍のことを、
「テンテン」
……ジウにとっては、到底受け入れられそうにありません(笑)。
ここから、ジウとカナルの関係が動き始めます。




