第32話 緑龍の罠~慈雨(ジウ)編②
慈雨は、最初から反対だった。
蘇白瑶という女が、首領の隣に立つに値する人間なのか。
見極める。
そんな悠長なことを言っている。
「……馬鹿じゃねえの」
慈雨は吐き捨てた。
あの女が何者だろうが。どれほど強かろうが。
そんなこと、どうでもいい。
あの女が現れてから、首領は変わった。
龍国へ戻ろうとしない。
次代の龍王として果たすべき役目にも背を向けている。
ならば、原因を取り除けばいい。
首領を龍国へ戻す。
そして、自分も戻る。
天鱗核を探すために。
「俺には、こんなところで遊んでる暇なんかねえんだよ」
慈雨は小さく呟いた。
十年。
天鱗核が消えて、十年。
その十年間に、緑龍家がどれほどのものを失ったと思っている。
だから。
さっさと終わらせる。
◇ ◇ ◇
蘇白瑶については、調べ上げていた。
元・彪国第一白虎隊大将軍。
軍神の異名を持つ男。(実は女だったわけだが)。
孤雲老師の弟子。
薬師。
現在は妹とともに朱国に潜伏。
そして。
出生――玄国。
戦乱で親を失った孤児。
「…………」
慈雨の指が、そこで止まった。
「玄国……」
もう一度、資料を読む。
間違いない。
玄国。
慈雨は立ち上がった。
薬棚へ向かう。
そこから取り出したのは、二つの薬材だった。
一つは、細長く、青みがかった葉。
青凌草。
もう一つは、乾燥させた、淡い黄色の根。
黄奈根。
どちらも毒ではない。
むしろ、薬だ。
青凌草は、熱を鎮める。
黄奈根は、青凌草の働きを助ける。
二つを合わせれば。
ある種の中毒症状に対する、古くからの処方となる。
だが。
玄国では、この二つを同時には使わない。
正確には。
玄国の民には、使えない。
『玄民、青黄の気を忌む』
緑龍家に伝わる古い薬典。
慈雨は、そのすべてを頭に叩き込まれていた。
玄国。
大陸北方。
長く雪に閉ざされる特殊な土地。
そこで代々生きてきた者には、他国の人間とは異なる薬性を示す者が多い。
とりわけ。
青凌草と黄奈根。
二つを同時に煎じた際に立つ《青黄の薬気》に、ひどく弱い。
単独なら問題はない。
青凌だけでも。
黄奈だけでも。
害はない。
だが。
二つが合わさると。
玄国の血を引く者にとっては、話が変わる。
「…………」
蘇白瑶は薬師だ。
下手な毒など通用しない。
食事に混ぜても気づくだろう。
茶に入れても同じ。
なら。
毒を盛らなければいい。
蘇白瑶自身に、青凌と黄奈を煎じさせればいい。
問題は。
どうやって。
そこで、慈雨は三つ目の薬材を取り出した。
赤黒い、小さな実。
赤蓮実。
指先で、ころりと転がす。
赤蓮実を一定量、身体に入れれば。
熱が上がる。手足が震える。脈が乱れる。呼吸も浅くなる。
そして。
その症状を見た薬師が選ぶ処方は。
「青凌と、黄奈」
慈雨は笑った。
完璧だった。
蘇白瑶が、優秀な薬師であればあるほど。
この罠からは逃れられない。
正しく診断し、正しく薬を選び、正しく患者を救おうとすれば。
その瞬間、蘇白瑶自身が、薬気に侵される。
「…………」
慈雨は赤蓮実を摘まんだ。
「間違えるなよ」
口元へ運ぶ。
「――軍神」
飲み込んだ。
◇ ◇ ◇
重い。発熱しているのが分かる。体中、だるい。
「……っ」
薬茶館が見える。
あと少し。
なのに足が重い。胸の奥が焼ける。指先が痺れている。視界の端が暗い。
「……くそ」
想定内の症状だ。
慈雨は自分の身体を知っている。
何を。
どれだけ入れれば。
どの程度の症状が出るのか。どこまでなら耐えられるのか。
幼い頃から、嫌というほど叩き込まれてきた。
緑龍家の覡。
いつか、天鱗核を受け継ぎ、天龍を己の身体へ迎える者。
その器となるために。
慈雨の身体は、幼少の頃から作られてきた。
薬。毒。香。鉱物。身体へ入るもの。皮膚から染み込むもの。息とともに入るもの。
何千。何万。薬典に記された組み合わせを。
身体で覚えた。
だから。
この程度なら。
「……死なねえ」
これでいい。
むしろ、このくらいでなければ困る。
芝居では駄目なのだ。
相手は薬師。
脈を取られれば分かる。
汗も。震えも。呼吸も。
すべて、本物でなければならない。
あと。
十歩。
五歩。
薬茶館の戸口まで辿り着いた。
人影が見える。
銀の髪。
――いた。
そこで、慈雨は膝から崩れた。
どさり。
「おい」
声がした。
足音。
身体を抱き起こされる。
「聞こえるか」
「…………」
「おい」
慈雨は薄く瞼を開けた。
銀髪の女が、自分を覗き込んでいる。
「……薬師……?」
「そうだ」
「……助けて……」
それだけ言って、慈雨は目を閉じ、内心でほくそ笑む。
――かかった。
◇ ◇ ◇
「熱があるな」
寝台へ寝かされた。
ハユは少年の手首に指を当てた。
脈を取られている。
慈雨は目を閉じたまま、呼吸を整える。
「名前は」
「……ジウ」
「何を口にした」
「……分からない」
「分からないでは診られん」
「……覚えてない」
「使えん患者だな」
「……病人に……言うことかよ……」
「口は回るようだから、まだ死なん」
「…………」
むかつく。
慈雨は本気で思った。
早く殺したい。
ハユが瞼を見る。舌を見る。指先。呼吸。脈。腹部。淡々と確認していく。
「赤蓮実 の中毒症状か」
やがて立ち上がり、薬棚へ向かう。
ジウは、胸の内で、笑った。
――さすがだ。判断が早い。しかも正確だ。
慈雨は薄く目を開けた。
小さな陶器の壺に、ハユの手が伸びる。
それだ。
正しい。
間違っていない。
その薬を使えば、自分の症状は治まる。
そして。
自分の身体にあらかじめ仕込んだ薬性と重なる。
慈雨なら耐えられる。
だが。
調薬し、処置し、最も近くにいる人間は、そうではない。
――さあ。
慈雨は、苦しげに目を閉じた。
使え。
俺を治せ。
薬師なら。
正しい薬を選べ。
そうすれば、お前が死ぬ。
蓋の開く気配がして、つづけて、薬材を刻む音がした。
勝った。
そう思った。
ところが。
「…………」
何も起きない。
慈雨は待った。
やがて、足音が戻ってきた。
ハユが、また傍らに座った。
手首を取られる。
「…………」
何だ。
早くしろ。
慈雨は目を閉じたまま思う。
薬の処方は分かったはずだ。
なのに。
ハユはもう一度、脈を取っている。
右。左。呼吸。瞼。指。
「…………」
長い。
慈雨の胸に、わずかな苛立ちが生まれた。
「お前」
「……何」
「ずいぶん丈夫だな」
「…………」
慈雨の瞼が、ほんのわずかに動いた。
「何の……話……」
「この症状なら、普通はもう少し身体が負ける」
「…………」
「だがお前は耐えている」
「……丈夫なんだよ」
「そうだな」
ハユの指が、慈雨の手首を離れる。
「ずいぶん薬に慣らされてきたようだな」
「…………」
「身体に癖がある」
慈雨は黙った。
何だ。
この女。
「これほど薬に慣れた人間が」
銀色の髪が揺れる。
「自分が何を口にしたか分からない?」
「…………」
慈雨は答えない。
ハユも。
黙っている。
「…………」
「…………」
先に口を開いたのは。
ハユだった。
「自分で飲んだな」
「…………」
「違うか」
「……何言ってんの」
「そうか」
ハユはそれ以上追及しなかった。
立ち上がる。
慈雨は内心、息を吐いた。
だが。
ハユが、ふと呟いた。
「自作自演なら」
ぎょっとして、ジウはハユを見返した。
「コウのほうが上手だったな」
慈雨の思考が、止まった。
「…………は?」
前回は、天鱗核に選ばれるために生きてきた慈雨の十六年間を書きました。
そして今回、その十六年間で身につけてきたものを、慈雨はすべて【蘇白瑶を殺すため】に使います。
毒を盛るのではなく、自分自身が毒を飲む。
本当に苦しみ、本当に患者となり、優秀な薬師であれば必ず選ぶ「正しい処方」へハユを誘導する。
慈雨にとって、自分の身体もまた、幼いころから鍛え上げてきた「器」の一つ。
けれど。
そんな慈雨の前にいたのは、元・軍神であり、薬師でもある蘇白瑶。
完璧だと思っていた罠を見破られた慈雨でした。
次回も楽しんでいただけると嬉しいです。




