第31話 巫覡(ふげき)のプライド~慈雨(ジウ)編
慈雨は、最初から反対だった。
試す?見極める?
「なにをだよ?馬鹿かあいつら」
あの女が首領の隣に立つに値するかどうか?
明珠も。承寧も。多聞でさえ。
試す必要なんか、ない。
「……そんな悠長なことやってられるかよ」
吐き捨てる。
慈雨は十六だった。
四龍の中では最年少。
だからといって、他の三人に劣っているとは思ったことがない。
薬。毒。草木。獣。水脈。人間の身体。
緑龍家の者は、幼いころからそれらを叩き込まれる。
なぜなら、緑龍家は、代々、天龍に仕える巫覡を輩出してきた家だからだ。
巫覡とは、神と人との間に立つ者。
神を迎え、その声を聴き、ときには己の身体そのものを依り代として神を降ろし、その神託を人の世へ伝える。
通称として、女であれば巫、男であれば覡と呼ばれる。
そして龍国における巫覡の頂点にあるのが、緑龍家だった。
より正確に言えば。
天鱗核の器となりうる人間を、代々育ててきた家。
天鱗核をその身に宿し、天龍の声を受け、その意思を龍王と人々へ伝える。
その役目を果たすためには、ただ祈り方を知っているだけでは足りない。
神を迎える身体が要る。
神の言葉を理解する知識が要る。
そして、人ならざるものに触れてなお、自分を失わぬ精神が要る。
だから緑龍家の子は、物心がつくころから仕込まれる。
薬学。毒学。脈診。草木や鉱石の性質。星辰。方位。暦。占術。禊。鎮魂。招神。降ろし。
それだけではない。
文字にすることさえ許されず、歴代の巫覡から次代へと口伝で受け継がれてきた祝詞。
呼吸。歩法。印。祭具の扱い。神気を身体へ通すための型。意識を保ったまま神託を受けるための秘儀。
天龍を迎え、留め、その声を聞き、そして、無事に送り還す。
そのための手順は、状況や季節、星の巡り、巫覡自身の身体の状態によって異なる。
何百。
何千。
枝分かれした型まで含めれば、何万通り。
慈雨は、それらを幼いころから叩き込まれてきた。
遊ぶ時間を削った。
眠る時間も削った。
同じ年の子どもたちが外を駆け回っている間に、祭文を唱えた。
薬草を見分けた。脈を取った。星を読んだ。身体が勝手に動くまで、同じ儀式を繰り返した。
何千時間。
何万時間。
十六年という短い人生の、あまりにも多くを、ただ一つのことのために費やしてきた。
いつか。
天鱗核に選ばれるために。
天龍をその身に迎えるために。
そして。
選ばれし覡として、天龍の神託を人の世へ伝えるために。
慈雨は、そのために生まれた。
そのために育てられた。
少なくとも、十六年間、慈雨は一度たりとも、その責務の価値と意義を疑ったことがなかった。
そして、それは慈雨一人の人生の話ではない。
緑龍家そのものが、そのために存在してきた。
龍国五大龍家の一つ。
代々、天龍と人との間に立ち、天鱗核を守り、その器となる巫覡を輩出してきた家。
王統を支える青龍家。
軍略を担う赤龍家。
龍妃を輩出する黄龍家。
政を担う白龍家。
そして。
神意を伝える緑龍家。
他の四家にはない、天龍に選ばれた唯一の血筋。
それこそが、緑龍家の誇りだった。
ところが。
十年前、忽然と、天鱗核は、消えた。
厳重に、幾重にも封印されて緑龍家の宝物庫に安置されていたはずの天鱗核が。
当時の龍巫女が全霊をかけあて気配を追跡したが、その所在は分からなかった。
緑龍家は、天鱗核を失った。
同時に、天龍の神託も途絶えた。
それが何を意味するのか。
――緑龍家は、天龍に見放された。
そう囁く者が現れた。
――もはや、緑龍家に神意を問う力はない。
そう嘲る者もいた。
かつてなら、龍王でさえ無視することのできなかった緑龍家の言葉が。
少しずつ、軽くなった。
祭祀の席次が変わった。当時、ジウの実父であった緑龍家の当主は要職を解かれた。
政の場で発言を退けられることが増えた。
他の龍家から向けられる眼差しも変わった。
敬意が、憐れみに変わった。
そして。
やがてそれは、侮りに。
――緑龍家の威信は、地に落ちた。
慈雨は、幼い頃からそれを見てきた。
父が頭を下げるところを。
長老たちが、天鱗核の行方について詰問されるところを。
自分を「次代の覡」と持ち上げていた者たちが、陰で、
『本当に、あの子に天龍を迎えられるのか』
と。
これみよがしに、悪意を込めて囁くところを聞いた。
慈雨は、ひたすら修行に打ち込んだ。
薬を覚えた。毒を覚えた。占術を覚えた。口伝を覚えた。
何万通りもの祭式を、その身体へ叩き込んだ。
天鱗核が戻ったとき。
必ず。
自分が選ばれるために。
自分が天龍を迎えれば、すべて元に戻る。
父も。長老たちも。緑龍家も。もう二度と、誰にも頭を下げなくていい。
そう信じていた。
だから慈雨にとって、天鱗核を取り戻すということは、自分が選ばれるということだけではない。
地に落ちた緑龍家の誇りを、自分の手で取り戻すことだった。
これまで四龍の中では、いちばん血気盛んで、いちばん容赦のない少年として登場してきた慈雨。
けれど彼が天鱗核に執着する理由は、単に「欲しいから」ではありません。
【自分は、天鱗核に選ばれるために生まれてきた。】
いつか天龍をその身に迎える――ただ、その日のために。
そしてそれは、慈雨一人の願いでもありませんでした。
十年前、天鱗核を失ったことで威信を失い、「天龍に見放された」とまで囁かれるようになった緑龍家。
【自分が天鱗核に選ばれれば、すべてを取り戻せる。】
だから慈雨にとって天鱗核は、神器である以上に、自分が十六年間生きてきた理由そのものなのかもしれません。
さて。
そんな慈雨が、もし――
自分が人生のすべてを捧げて待ち続けてきた天鱗核を、何の修行もしていない「どこの誰とも分からない小娘」が持っていると知ったら。
しかも、その小娘が天龍を「テンテン」などと呼んでいたら。
……たぶん、ものすごく怒ります(笑)。
そして彼の十六年間は、本当に「選ばれるため」だけのものだったのでしょうか。
ここから慈雨の物語も、大きく動き始めます。




