第29話 あたしの男を返して~明珠(メイジュ)編①
昼下がり。
薬茶館の戸が開いた。
「いらっしゃいませ!」
奏が元気よく顔を上げる。
入ってきたのは、女だった。
年の頃は二十代半ばほど。
細い腰。
艶やかな黒髪。
紅を差した唇。
淡い紫の長衣は身体の線に沿うように仕立てられ、歩くたびに裾から白い足首が覗く。
美しい。
というより。
――色っぽい。
十三歳のカナルにも、それくらいは分かった。
「えっと……お茶ですか?」
「いいえ」
女は店内を見回した。
「人を探してるの」
「人?」
「顧虹」
「コウ兄さま?」
女の目が。
わずかに細くなった。
「……兄さま」
「はい?」
「あなた、あの人をそう呼んでるのね」
「え?はい」
「そう」
女は微笑んだ。
綺麗な笑顔だった。
なのに。
なぜか奏は、背筋を伸ばした。
「コウ兄さまなら、今は買い出しに――」
「誰だ」
奥から声がした。
白瑶だった。
薬草を選り分けていたらしい。
袖を肘まで捲り、片手には乾燥させた葉を持っている。
女の視線が、白瑶へ向いた。
「…………」
止まった。
銀髪。
白い肌。
淡い菫色の瞳。
化粧ひとつしていない。
粗末とすら言える衣。
なのに、目を引く。
報告では知っていた。
蘇白瑶が女だったことも。かなりの美貌であることも。
だが、実物を見るのは、初めてだった。
――なるほど。
明珠は心の中で呟いた。
これは、少々、厄介だ。
「あなたが、コウと同棲してる女なの?」
「・・・同棲、は、正確ではない。同居だ」
「…………」
「私に用か」
「ええ」
明珠は笑った。
「あなたに、お願いがあって来たの」
「なんだ」
「あたしの男を、返してくれない?」
「…………」
奏が固まった。
「え」
「…………」
「ええええええ!?」
「カナル、声が大きい」
「だ、だって姉さま!」
奏は白瑶を見る。
だが。
当の本人は。
いつも通りだった。
「お前の男とは誰だ」
「顧虹」
「そうか」
「…………」
「…………」
「呼んでこよう」
「待って」
「なんだ」
「それだけ?」
「何がだ」
明珠は、ほんの一瞬、黙った。
――なるほど。
コウ。あんた、ずいぶん面倒な女にハマったわね。
「身分差の恋を反対されて駆け落ちしてきたって、ふもとの村ではもっぱらの噂だけど?」
「形式的なものだ。薬茶館を手伝ってもらっている」
「姉さま!ど、ど、どうしよう?」
なぜか奏の方が焦っている。
明珠は気を取り直した。
「じゃあ、ちゃんと話しておくわ」
「何を」
「あたしとコウは、昔からの仲なの」
「そうか」
「……驚かないの?」
「なぜだ」
「コウから聞いてない?」
「何を」
「昔、花楼になじみの芸妓がいたこと」
「ああ」
白瑶は頷いた。
「聞いた」
「あら」
「情報収集だったと言っていた」
「…………」
明珠の眉が。
ほんのわずかに動いた。
――なんで正直に喋ってんのよ、あのバカ。
どれだけこの女を好いてんの、まったく。
「まあ、それも嘘ではないわね」
「そうか」
「でも」
明珠は椅子へ腰を下ろした。
ゆっくり脚を組む。
「それだけじゃない」
奏が、ごくり、と唾を飲み込んだ。
白瑶は薬草を置いた。
「それで?」
「ずいぶん素直ね」
「話があるのだろう」
「ええ」
明珠は微笑んだ。
「コウが軍にいた頃、あたしは花楼にいたの」
これは本当。
「虹は、よくあたしのところへ来た」
これも本当。
「人目を忍んで、裏口からね」
本当。
「夜中に来て、朝までいたこともある」
本当。
「二人きりで、何度も夜を過ごしたわ」
――言い方の問題だ。
嘘は言っていない。
明珠は白瑶を観察した。
「…………」
変化なし。
「姉さま……?」
「なんだ」
「なんでもない……」
奏には分かる。
何か。
ものすごい話を聞かされている。
なのに姉は。
薬草茶の配合を聞くのと同じ顔をしていた。
「ねえ」
明珠は頬杖をつく。
「何とも思わないの?」
「何をだ」
「自分の男に、深い関係の女がいたのよ?」
「コウは私の男ではない」
「…………」
「誰と付き合っていようが、私には関係ない」
「そう」
明珠は微笑んだ。
「じゃあ、返してくれる?」
「ああ」
「姉さま!?」
「本人が望むなら」
「…………」
明珠の笑顔が。
ほんの少しだけ引きつった。
効かない。
何を言っても。
まるで効かない。
なら。
もう少し。
踏み込む。
「ねえ」
明珠は声を落とした。
「初めてコウが、あたしの宿房(娼館の部屋のこと)に泊まった夜のこと」
「…………」
「聞きたい?」
艶を含んだ声。
視線を伏せる。
まるで。
本当に愛しい記憶を辿るように。
「あの人、夜中に来たの」
事実だった。
「誰にも見つからないように、裏口から」
これも事実。
「朝まで帰らなかった」
これも。
事実。
「それでね」
明珠はその指先を、自分の肩から、ゆっくり背へ滑らせた。
「あの人の衣を脱がせたとき――」
「…………」
奏が真っ赤になった。
「お、お姉さん!?」
「なあに?」
「十三歳の前でする話!?」
「あら。ごめんなさい」
「全然思ってないよね!?」
明珠は笑った。
そして。
白瑶を見る。
「綺麗だったわ」
「何がだ」
「コウのからだ」
白瑶の瞳が、わずかに動いた。
「傷ひとつなくて」
明珠は、うっとりと目を細める。
「…………」
「爪痕をつけるのも、惜しいくらいに」
「――違う」
明珠の指が、止まった。
「え?」
「それは嘘だ」
「…………」
初めて、白瑶が即座に否定した。
「何が?」
「コウの左胸には、傷があるはず」
メイジュが黙った。
メイジュ、登場です。
コウにとっては姉御のような存在ですが、白昼堂々ハユたちの薬茶館をたずねて、
開口一番「あたしの男を返して」。
本人は遊び半分でおもしろがってます。
次回も楽しんでいただければ嬉しいです。




