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仮面の軍神は恋を知らない ~三年前に捨てた元部下が、わたしを離してくれない理由~  作者: 春野まゆき


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第27話 虫除けが必要です


「――慕容鸞(ボヨウ・ラン)と?」

 夕刻。

 薬茶館へ戻った白瑶から今日の出来事を聞いたコウは、笑顔のまま動きを止めた。

「ああ」

「朱楼閣で?」

「ああ」

「棋まで打った?」

「一局だけだ」

「…………」

 にこり。

 コウが笑った。

 奏(カナル)は、その顔を見て、そっと一歩、姉から離れた。

「どうした」

 ハユが訊く。

「いえ」

 コウは卓へ茶杯を置いた。

「相変わらず、厄介な人ですね。ハユ先輩は」

「なぜだ」

「出かけるたびに」

 笑顔のまま、声だけが、ほんの少し低くなる。

「悪い虫に目をつけられて帰ってくる」

「なに?」

「いえ、こちらの話ですよ。で?」

「一局打ったが、結局勝負がつなかった」

「それで」

「それで、続きの対局を請われて、近日中にうちにやってくると――」

 がち、とコウの表情が固まった。

「ここに、慕容鸞がくる?」

「山奥だし、仕事にも支障が出ると断ったんだが・・・」

「来るでしょうね」

 来るに決まっている。

 あの、陰湿で執念深い男が、長年どうしても<読み切れなかった>蘇白瑶(ソ・ハクヨウ)を、簡単にあきらめるはずがない。

 慕容鸞(ボヨウ・ラン)。

 朱国第二王子。朱国の朱雀軍の大将軍。

 そして。

 阿喬――慕容鳳(ボヨウ・ホウ)の実弟。

 面倒な男だった。

 なにしろ、虹(コウ)と鸞(ラン)の因縁は、今に始まったことではない。

 まだコウが、白瑶に拾われて間もない頃。

『お前は一度、基礎から学べ』

 白瑶にそう言われ、半ば強制的に、兵士を養成する修練所へ放り込まれたことがある。

 期間は、ほんの数か月。

 すでに剣も使えた。人も殺せた。潜入も、追跡も、情報収集もできた。

 今さら兵士になるための基礎訓練など、虹(コウ)には退屈でしかなかった。

 ――そのはずだった。

 なのに、そこに、慕容鸞がいた。

 当時、修練所の最上級生。

 朱国の王子であるという身分は隠していたものの、講師陣の中では周知の事実だった。

 剣術。兵法。騎馬。座学。どれをやらせても、腹が立つほどよくできた。

 そして。

 なぜか、コウとランは、よく組まされた。

 模擬戦。戦術演習。野営訓練。敵になることもあれば、味方になることもあった。

 そして。

 どちらになっても、揉めた。

『虹弟(コウテイ)。そこへ出るのは早いよ』

『そうですか?』

『あと二十息待てば、敵の右翼が崩れる』

『待っている間に、中央を抜けますよ』

『抜かせるんだ』

『僕は嫌ですね』

『作戦だよ』

『効率が悪い』

『君は作戦というものを理解しているのかい?』

『少なくとも、鸞兄(ランケイ)の長話を聞いているよりは』

『…………』

『…………』

 笑顔。

 笑顔。

 修練所では、年下の後輩を親しみを込めて「弟(テイ)」、年長の先輩を「兄(ケイ)」と呼ぶことがある。

 だから鸞は虹を「虹弟(コウテイ)」と呼び、虹もまた、皮肉たっぷりに「鸞兄(ランケイ)」と呼び返した。

 修練所で過ごすうち、もうひとつ分かったことがある。



 鸞は、蘇白瑶に並々ならぬ関心を抱いていた。

 理由は、孤雲(コウン)老師。

 鸞が何度門を叩いても、弟子入りを許さなかった大師。

 その老師が、ただ一人、自ら見出して弟子としたのが蘇白瑶だった。

 鸞には、それが理解できなかったらしい。

 そしてあの男は昔から、分からないものを、そのままにはしておけない。


 ある模擬戦では、敵同士になった。

 開始早々、虹は鸞の本陣を潰しに行った。

 鸞は虹がそうすることを読んで、罠を張った。

 虹は罠があることを承知で踏み込み、罠ごと壊した。

 結果。

 二人とも教官に大目玉を食らった。

『これは戦争ではない!模擬戦だ!』

 よく言われた。

 そしてなぜか、翌日も、また同じ組にされた。

『……教官は私たちに恨みでもあるのかな』

『気が合うと思われてるんじゃないですか』

『それは心外だね』

『珍しく気が合いましたね。僕もです』

 数か月。

 ただ、それだけの付き合いだった。

 なのに、妙に、忘れられない。

 こちらの考えを先回りしてくる。

 罠を仕掛ければ見抜く。

 見抜いた上で、さらに罠を仕掛けてくる。

 何より、いちいち癇に障る。

 おそらく、向こうも同じだった。

 そして今。

「…………」

 コウは笑顔のまま、茶杯を置いた。

 その男が。

 よりにもよって、蘇白瑶を見つけた。

「それで」

 声は穏やかだった。

「その鸞将軍が、ここへ来ると?」

「ああ」

「棋の続きを打つために?」

「そうらしい」

「…………」

 にこり。

「なるほど」

 奏(カナル)が、さらに一歩下がって、おそるおそる尋ねた。

「コウ兄さま、怒ってる?」

「まさか」

 笑顔だった。

 ――兄の鳳(ホウ)も、弟の鸞(ラン)も。どちらも、蘇白瑶に近づけておきたい人間ではない。

 理由ならいくらでもある。

 龍国と朱国は、古くから資源と交易路を巡って利害を争ってきた。

 友好国とは、到底言えない。

 一方。

 朱国と彪国は、正式な軍事同盟こそ結んでいないものの、実質的にはそれに近い関係を築いている。

 その朱国の王族と、かつて彪国軍を率いた《軍神》蘇白瑶。

 その距離が近づく。

 龍国の人間である虹が、それを歓迎する理由はなかった。

 まして。

 兄は、朱国第一王子。

 弟は、第二王子にして朱国将軍。

 その二人が、揃って蘇白瑶へ接触している。

 それだけの情報が龍影衆へ上がってくれば、本来ならば、充分に警戒すべき案件だった。

 ――接触の目的は何か。

 ――継続的なものか。

 ――朱国王家は蘇白瑶の正体を把握しているのか。

 ――再び軍へ引き入れる意図はあるのか。

 そして。

 ――蘇白瑶は、それを受け入れるつもりなのか。

「…………」

 コウは目を細めた。

 蘇白瑶は、危険なのだ。

 本人にその気があるかどうかなど、関係ない。

 かつて彪国軍を率いた大将軍。

 その名だけで兵が動く。

 その軍略と戦闘能力を欲しがる国はいくらでもある。

 まして今は、朱楼閣との取引を通じて商人とつながり、客が増え、人が集まり始めている。

 山奥でひっそり暮らしていたはずの女の周囲に。

 少しずつ。

 金が。信用が。人脈が。集まり始めている。

 龍国から見れば、好ましい兆候ではない。

 三年前、虹に下された密命は。

 ――蘇白瑶を籠絡せよ。

 懐へ入り、信用を得て、その秘密を暴く。

 必要ならば、龍国の意のままにする。

 そして天鱗核のありかを探る。

 そのために、虹は蘇白瑶へ近づいた。

 そして今。

 状況は、三年前とは変わっている。

 三年間、消息を絶っていた《軍神》が、朱国で再び人とのつながりを持ち始めている。

 それも。

 朱国王家直系の血を引く人間と懇意になりつつある。

 ならば。

 そのつながりが強固になる前に、切るべきだ。

 朱楼閣との関係も。

 そして――慕容鸞(ボヨウ・ラン)との関係も。

 蘇白瑶を、再び、ただの一人の人間に戻す。

 それは、龍国の影を預かる者として、至極、正しい判断だった。

 ――そう。

 理由なら、ある。

 十分すぎるほど。

「…………」

 虹は茶を淹れながら、自分の思考をそこで止めた。

 だが。

 それならば。

 なぜ。

 ――ランと碁を打った。

 たったそれだけのことで。

 こんなにも腹が立つ。

「コウ」

「はい」

「茶が溢れている」

「…………」

 見る。

 茶杯の縁から、とぽとぽと茶が流れていた。

「失礼しました」

 コウは笑顔で布巾を取った。

 カナルがじっと見ている。

「……やっぱり怒ってる?」

「いいえ?」

「怒ってる顔だよ、それ」

「笑っているつもりだよ

「コウ兄さま、怒ってるときの方が笑うよね」

「気のせいだよ、カナル」

「そうか?」

 白瑶まで首を傾げた。

「お前は昔から、怒っているときによく笑う」

「…………」

 コウの笑みが深くなった。

「ハユ先輩」

「なんだ」

「そういうところですよ」

「何がだ」

 本人だけが分かっていない。

 昔から、ずっとそうだった。

 誰かが寄ってくる。

 白瑶は気にしない。

 誰かに好かれる。

 気づかない。

 誰かが、その隣を欲しがる。

 それすら、分かっていない。

 悟らせぬまま、そういう輩をひそかに葬ってきた。

 だれが、渡すものか。

 蘇白瑶に最も近い位置に立つのは、自分だ。

 ――三年間、このひとを探した。

 大陸中へ人を走らせた。

 国境を調べ、街道を洗い、宿を探し、商人へ金を払った。

 白瑶が好んでいた茶。よく使っていた薬。立ち寄りそうな店。

 食べるもの。使う武器。そんなものまで、片端から追った。

 そして、ようやく見つけたのだ。

 なのに。

 見つけたと思った途端。

 鳳(ホウ)がいる。

 鸞(ラン)が来る。

「…………」

 ――自分だけの、軍神だった。

 あの白い仮面の下を知らなかったずっと前から。

 戦場で。夜営地で。誰より近くにいた。

 食事を作った。剣を磨いた。傷を縫った。

 彼女が何を好み、何を嫌い、どんなときに眠れず、どんなときに黙り込むのか。

 知っていた。

 自分だけが。

 知っていると思っていた。

 だから。

 他の誰かが、その場所へ入ってくるのは、気に入らない。

 まして。

 鳳や鸞など。

 論外だ。

「…………」

 いっそ。

 このまま。

 誰にも見つからず。誰にも知られず。山深い薬茶館で。

 妹と薬草でも育てていればいい。戦場になど戻らなくていい。

 国など関係ない。

 そうすれは。

 蘇白瑶を、誰にも奪われることはない。

「コウ?」

 白瑶がこちらを見ていた。

「どうした」

「いえ」

 コウはいつもの笑顔に戻る。

「何でもありません」

「そうか」

「ただ」

「なんだ」

「今後、朱楼閣へ行かれるときは、僕も同行します」

「なぜだ」

「護衛です」

「いらない」

「薬茶の販売を手伝います」

「奏がいる」

「荷物持ちとして」

「自分で持てる」

「では」

 にこり。

「虫除けとして」

「鸞は虫ではないぞ」

「ええ。存じています」

「なら、なぜ――」

「ハユ先輩」

「なんだ」

「次から僕も行きます」

「…………」

「いいですね?」

 白瑶はしばらくコウを見た。

 そして。なんとなく腑に落ちない表情で。しかし、あきらめたように言った。

「好きにしろ」

「はい」

 コウは満足そうに笑った。 


今回は、コウとランの「昔からの因縁」が少し見える回でした。

修練所時代から、どちらも頭が切れて、どちらも相手の考えを読み、そしてどちらも素直に譲らない。

だからこそ、敵でも味方でも、とにかく揉める。

たぶん本人たちは認めたくないでしょうが、かなり相性のいい二人です。

そして。

そんなランが、よりにもよってハユに興味を持ってしまった。

コウにしてみれば、面白いはずがありません。

もちろん本人は、朱国と龍国の関係や、軍神としてのハユの価値や、情報戦上の危険性をいくらでも並べられます。

でも。

茶を溢れさせた時点で、説得力はだいぶありません。

三年間、探し続けてようやく見つけた人。

ずっと、自分が一番近くにいたと思っていた人。

そこへ鳳が現れ、今度は鸞までやってくる。

――そりゃあ、虫除けも必要になります。

問題は。

肝心のハユが、その「虫除け」の意味をまったく分かっていないことなのですが。

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