第20話 コウの給仕
その日。
奏と白瑶が薬茶館へ戻ってきたのは、昼を少し過ぎた頃だった。
「……姉さま」
「ああ」
「なんか、変じゃない?」
「ああ」
山道を登っている途中から。
妙に、人とすれ違う。
女が二人。
親子連れ。
杖をついた老婆。
そのあとから、若い娘が三人。
「こんな山奥に、何しに来たんだろ」
「薬草摘みではないか」
「全員?」
「山菜かもしれない」
「三人とも髪飾りまでつけて?」
「山菜を採るのに髪飾りをしてはいけないのか」
「……もういい」
カナルは姉との会話を諦めた。
そして。
薬茶館が見えてきた。
「…………」
足が止まった。
「…………」
もう一度見る。
間違いない。
自分たちの薬茶館だ。
しかし。
「……何、これ」
人がいる。
それも。
たくさん。
入口の長椅子には老婆が二人。
軒下には子ども連れの女。
店内を覗けば、若い娘たちが卓を囲んでいる。
さらに。
「お待たせしました」
聞き慣れた声がした。
虹が、茶器を載せた盆を持って現れた。
青みを帯びた艶やかな黒髪。
額へ落ちる、一筋の深紅。
いつもの人懐こい笑顔。
「安神茶です。少し苦みがありますので、先にこちらの蜜菓子を召し上がってください」
「ありがとう、コウさん」
若い娘が。
ものすごく嬉しそうだった。
「それと、昨日眠れなかったと仰っていましたよね」
「覚えててくれたの?」
「もちろん」
にこり。
「今夜はよく眠れるといいですね」
「…………」
娘の頬が赤くなった。
奏は無言で姉を見る。
白瑶も無言で見ている。
その隣では。
「コウおにいちゃん!」
五つか六つほどの男児が、虹の衣の裾を引っ張った。
「なに?」
「これ、にがい!」
「ああ、やっぱり?」
虹はしゃがんだ。
子どもと同じ高さまで目線を落とす。
「じゃあ、飲めたら蜜菓子をもう一つあげよう」
「ほんと!?」
「ただし、お母さんがいいと言ったらね」
ちらりと母親を見る。
「よろしいですか?」
「まあ」
母親が笑う。
「一つだけなら」
「だって」
「やった!」
「こら。一気に飲むとむせるよ」
虹が笑いながら、子どもの頭を撫でる。
少し離れたところでは。
「コウちゃん」
「はい」
「こっちにもお茶を足しておくれ」
「はいはい」
「まったく、よく働くねえ」
老婆が目を細める。
完全に。
孫を見る目だった。
「こんな山奥で働いてないで、うちの孫娘の婿に来ないかい?」
「またその話ですか」
「器量もいいし、気も利くし、料理もできる。文句ないよ」
「残念ですが、僕はここで働いていますので」
「嫁を連れてここで働けばいいじゃないか」
「なるほど。それは考えていませんでした」
「考えなくていい!」
奏が叫んだ。
店中の視線が集まった。
「あ」
虹が振り返る。
ぱっと笑う。
「お帰り、カナル」
「ただいまじゃなくて!」
「先輩も、お帰りなさい」
「ああ」
「どうでした?」
「待って!」
奏は店内を指さした。
「何これ!?」
「何って」
虹が周囲を見る。
「お客様だけど」
「それは分かる!」
だから。
なぜ。
こんなにいる。
「……何したの?」
「特には」
「絶対なんかした!」
「茶を出して、話をしていただけだよ」
「それだけ?」
「それだけ」
白瑶が口を挟む。
「虹は昔から人に好かれる」
「先輩に言われると、妙に腹が立ちますね」
「なぜだ」
「あなたが人に好かれる努力を一切しないからですよ」
「必要ない」
「そうでしょうね」
そのとき。
若い娘たちの囁き声が聞こえた。
「ねえ、あの人じゃない?」
「そうそう。聞いたとおり」
「ほんとに綺麗な人ね」
「髪の赤いところ、すごく素敵」
「笑うと可愛い」
奏の耳が。
ぴくりと動いた。
「聞いたとおり、って、なに?」
「ああ」
虹が茶を注ぎながら答える。
「最近、町で少し噂になっているらしいよ」
「何が」
「ここ」
奏の顔が輝く。
「薬茶館が!?」
「いや」
「うん!」
「僕が」
「…………」
沈黙。
「……コウ兄さまが?」
「らしい」
「なんで!?」
「僕に聞かれても困るな」
老婆が横から口を挟んだ。
「そりゃあ、こんないい男が茶を淹れてくれるって聞いたら、若い娘どもは寄ってくるさな」
「そうそう」
別の老婆まで頷く。
「顔だけじゃないよ。よく気がつくしねえ」
「年寄りの話も嫌な顔せず聞いてくれる」
「子どもにも優しいし」
「茶も美味い」
「料理もできる」
「嫁に欲しいねえ」
「婿だよ」
「どっちでもいいさ」
「よくないよ」
勝手に話が進んでいる。
奏は呆然としていた。
つい先日まで。
誰も来なかった。
町で薬茶館の話をすれば、
――白鬼がいる。
――山へ入ったら喰われる。
――近づかない方がいい。
そんな噂ばかりだった。
それが。
「……白鬼は?」
奏が呟いた。
「ん?」
「白鬼に喰われるって噂は、どうなったの?」
「ああ」
若い娘が笑った。
「それ、嘘なんでしょう?」
「え?」
「だって」
娘は虹を見る。
「こんな人がいるんだもの」
別の娘も笑う。
「白鬼なんているわけないじゃない」
「むしろ白鬼に会いに来たって子もいるわよ」
「え?」
「美人らしいって」
「…………」
奏は。
ゆっくり姉を見る。
銀髪。
白い肌。
淡い菫色の瞳。
無表情。
かつて。
人々を恐れさせた《白鬼》。
その白鬼本人は。
「腹が減った」
とだけ言った。
「そこ!?」
奏は思わず叫んだ。
「昼だからな」
「今、ものすごく大事な話してるの!」
「そうなのか」
「姉さまの悪評が消えたの!」
「そうか」
「嬉しくないの!?」
「別に」
「もう!」
虹が笑った。
「先輩。昼食なら残してありますよ」
「何だ」
「鶏粥です」
「食べる」
「薬味は?」
「生姜は少なく」
「分かっています」
「…………」
老婆たちが。
二人を見た。
若い娘たちも見る。
「……ねえ」
「なに?」
「あの綺麗な銀髪のお姉さんって」
娘の一人が、少し躊躇ってから訊いた。
「コウさまの、なんなの?」
お読みいただきありがとうございます!
閑古鳥が鳴いていたはずの薬茶館に、なぜかお客様がいっぱい。
その理由は――
薬茶ではなく、コウでした。
若い娘には笑顔で、子どもには優しく、お婆さまたちには婿候補に。
どうやら元部下、給仕の才能まであったようです。
そして、いつの間にか《白鬼》の悪評まで薄れつつある様子。
そんな中、当然出てくるこの質問。
「コウさまの、なんなの?」
さて、ハユは何と答えるのでしょう。
次話もよろしくお願いします!




