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仮面の軍神は恋を知らない ~三年前に捨てた元部下が、わたしを離してくれない理由~  作者: 春野まゆき


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19/79

第19話 元軍神、値踏みされる

  

 二度目の商談の日。

 奏(カナル)は、朱楼閣の奥にある楼主・阿喬(アキョウ)の私室へ通された。

 蘇白瑶(ソ・ハクヨウ)は、当然のように追従しようとした。

 が。

 妹が一喝した。

「姉さまは来なくていい!」


 そういうわけで。

 カナルが楼の奥へ消えたあと。

 不本意ながらも、ハユは、一人、朱楼閣の広間に残された。

「…………」

 落ち着かない。

 人が多い。

 香が濃い。

 音楽が聞こえる。

 笑い声も絶えない。

 ハユは窓際の椅子へ腰を下ろした。

 待つ。

 ただ、それだけのつもりだった。

「ねえ」

 声がした。

 ハユが顔を上げる。

 いつの間にか。

 女が三人立っていた。

 一人が、白瑶の顔を覗き込む。

「凛々しいお姉さんねえ」

 もう一人が反対側から見る。

「肌、すごく綺麗」

「髪も地毛?」

「ああ」

「触っていい?」

「なぜだ」

「綺麗だから」

 あきらかに、スキンシップが過剰だ。

「やめてくれ」

 女たちは聞く耳をもたない。

 髪やら頬やら肩やらを、ペタペタとさわりまくってはきゃあきゃあと楽し気だ。

「ねえ、あなた、アキョウ様のお気に入りなんでしょ」

「化粧したら、とんでもなく化けるんじゃない?」

「ちょっと待って」

 一人が白瑶の顎へ手を伸ばそうとした。

 白瑶が、すっと避ける。

「触るな」

「あら、ごめんなさい」

 言いながら。

 まったく悪びれていない。

「でも、この子――」

 今度は少し離れて眺める。

 銀髪。

 白磁の肌。

 淡い菫色の瞳。

 すらりとした長身。

 化粧も装飾もない。

 薄青色の簡素な衣。

 それでも。

「磨けば相当光るわよ」

「磨かなくても上玉でしょ」

「黙って座ってるだけで客がつきそう」

「…………客?」

 白瑶の眉が寄った。

 話が分からない。

 そのとき。

「どきな!」

 低い声が飛んだ。

 女たちが振り返る。

「あ」

「婆さま」

 現れたのは、小柄な老婆だった。

 腰は少し曲がっている。

 けれど歩みは速い。

 手には算盤。

 腰には鍵束。

 朱楼閣の帳場と金庫を一手に預かる古参の経理係だった。

 銅銭一文の誤差も許さない。

 楼の者たちから陰で、

 ――銭婆。

 と恐れられている。

 老婆は白瑶を見た。

「…………」

 上から。

 下へ。

 下から。

 上へ。

 目が。

 完全に商人の目だった。

「顔はいい」

「?」

「髪も珍しい。肌もいい。背もある。姿勢も悪くない」

 白瑶が眉を寄せる。

「何の話だ」

「年は」

「二十二」

「ちょうどいい頃合いじゃな」

 老婆は白瑶の周囲を一周した。

「愛想はないね」

「必要か?」

「商売ならね」

「私は商売をしない」

「もったいない」

「何がだ」

 老婆が算盤を弾く。

 ぱちぱちぱち。

「初見料だけで銀三枚はいける」

「何の初見だ」

「夜まで客を取れば――」

「待て」

 ようやく。

 白瑶にも話が見えてきた。

「私はここで働くつもりはないぞ」

「そうかい」

 老婆は即座に算盤を止めた。

「残念だ」

「残念がられても困る」

 女たちが笑う。

「婆さま、本当に見境ないんだから」

「売れそうなものに値をつけるのがあたしの仕事だよ」

「人に値をつけるな」

「この楼では人が一番高い商品さ」

 白瑶は少し考えた。

「妙な商売だな」

「世間知らずだねえ」

「よく言われる」

 その返答に。

 今度は老婆まで笑った。

「で?」

 老婆が目を細める。

「あんた、アキョウ楼主のなんなんだい」

「昔の戦友だ」

「戦友?」

 周囲がざわつく。

「アキョウ様、軍人だったの?」

「昔は男の格好をしてたって聞いたことはあるけど」

「逆よ。今も男よ」

「知ってるわよ!」

 わいわいと声が飛び交う。

 老婆だけは白瑶から目を離さなかった。

「でもねえ」

「何だ」

「あの楼主が、あんなふうに誰かを呼ぶのは珍しい」

「?」

「ハク」

 老婆が真似をする。

「ずいぶん親しげに呼び捨てにされてたじゃないか」

「あれはホウが勝手にそう呼んでいる」

「ホウ?」

「昔の名だ」

「…………」

 老婆の目がきらりと光る。

 何か面白い情報を拾った顔だった。

「ふだんはあんな格好してるけどね」

 横から妓姫の一人が口を挟んだ。

「楼主様、たまーに気まぐれで男の格好に戻ることがあるのよ」

「戻る、というのは変だ。元から男だろう」

「そういう意味じゃなくて」

 女が笑う。

「男物の衣を着るとね」

 もう一人がうっとりと頬へ手を当てる。

「それがもう、ものすっごくいい男なの」

「そうか」

「興味ないの?」

「いい男なのは、昔から知っている」

「楼主に一晩でも買ってもらえたら本望っていう輩、男も女も多いのよ」

「・・・たしかに、昔から、恋人には困ってなかった気がする」

「ねえねえ、あなた、<ハク>なの?」

「ホウはわたしをそう呼ぶが」

「楼主様の<特別なひと>」

「・・・どう特別なのかは知らないが、たぶんあなた方が想像しているような関係ではないぞ」

「この人、だめだわ」

「色恋の話が全然通じない」

「アキョウ様とは別方向で変人ね」

 好き勝手言われている。

 だが。

 白瑶は途中から、彼女たちの会話を聞いていなかった。

「…………」

 一人を見る。

「何よ?」

「喉」

「え?」

「痛いだろう」

 女の表情が止まった。

「……どうして分かったの?」

「声が掠れている。話すとき、無意識に喉の左側を庇っている」

「…………」

 白瑶は隣の女を見る。

「そちらは、右足」

「私?」

「踵ではなく、外側へ重心を逃がして歩いている。足首を痛めているな」

「……昨日、階段で捻ったけど」

「冷やしたか」

「え?」

「腫れが残っているなら温めるな。まず冷やせ」

 さらに。

 老婆を見る。

「そっちは、腰」

「は?」

「長く座りすぎだ」

「…………」

「立ち上がるとき、左手を卓についている。腰の右側が痛むのだろう」

 老婆の顔が引きつった。

「なんで分かるんだい」

「見れば分かる」

 三人が黙る。

 白瑶は別の妓姫を見る。

「あなたは眠れていない」

「…………」

「目の下の色だけではない。瞬きが多い。肩が上がっている。呼吸も浅い」

 また一人。

「酒を減らせ」

「なんで私だけ!?」

「胃が弱っている」

「ええ?」

「それから」

 白瑶は女の手首を見た。

「月のものも乱れているだろう」

 ざわざわ。

 いつの間にか。

 人が増えていた。

「ねえ、私も見て」

「私、最近頭が重いんだけど」

「肌荒れは?」

「冷え性って治るの?」

「ちょっと待ちな!」

 銭婆が声を張った。

 女たちが黙る。

 老婆は。

 じっと白瑶を見る。

 先ほどとは。

 まったく違う目だった。

「……あんた」

「何だ」

「薬師なのかい」

「ああ」

「腕は?」

「知らん」

 老婆はしばらく黙った。

 そして。

 算盤へ手を伸ばした。

 ぱち。

 ぱちぱちぱちぱち。

「…………」

「何をしている」

「計算」

「何の」

「客単価」

「?」

 老婆の目が、鋭く光った。

「妓姫の健康管理。客への体調相談。薬茶。個別処方」

「待て」

「楼主へ話を通せば――」

「待て」

 白瑶が遮った。

「私はここで働くつもりはないと言ったぞ」

「なら通いで」

「通わない」

「週に二日」

「来ない」

「一日」

「来ない」

「半日」

「だから来ない!」

 老婆が舌打ちした。

「強情な娘だね」

 周囲の妓姫たちが、声を上げて笑った。

 ◇

 そのころ。

 楼の奥では。

「十二文」

「十四!」

「十二」

「十三!」

「十二」

「もう!」

 奏とアキョウが、熾烈な値段交渉を繰り広げていた。

 二人とも。

 まだ知らない。

 薬茶を売るために訪れた朱楼閣で。

 薬茶より先に。

 薬師・蘇白瑶本人に、大量の見込み客がついてしまったことを。

 ◇ ◇ ◇

「ハク?」

 商談を終えて戻ってきたアキョウは、広間の光景を見て、足を止めた。

「…………」

 白瑶が。

 女たちに囲まれていた。

 文字どおり。

 囲まれている。

 手首を差し出す者。

 症状を訴える者。

 薬草について尋ねる者。

 その中央で。

 白瑶は一人ずつ、淡々と答えていた。

「酒は三日控えろ」

「ええー!」

「嫌なら胃痛を我慢しろ」

「控えます」

「お前は冷やすな。湯に浸かれ」

「はい」

「喉はできるだけ使うな」

「仕事できないわよ!」

「なら蜂蜜を湯に溶かせ。あとで薬茶の処方を書いてやる」

「ほんと!?」

 アキョウが目を瞬く。

 隣で奏も固まった。

「……姉さま?」

 白瑶が振り返る。

「終わったのか」

「うん……」

「そうか」

「何してるの?」

「診ている」

「なんで!?」

「聞かれたからだ」

「・・・姉さまのことだから、めいいいっぱい無料診療だよね」

 カナルはあきらめたように言う。

「金をとるほどのことはしてないぞ」

 はああ、とカナルはため息をつく。

 生活感がなさすぎる。

 守銭奴になれとは言わないが、せめて自分の能力単価を自覚してほしい。

 そのとき、アキョウが、ゆっくりと口元を上げた。

「あら」

 その笑顔を見て、奏は、なんとなく嫌な予感がした。

「ねえ、お嬢さん」

「……何ですか」

「さっきの契約」

「もう変えませんよ!」

「違うわよ」

 アキョウは、妓姫たちに囲まれる白瑶を指した。

「薬茶だけじゃなくて――」

 朱い瞳が商人の光を帯びる。

「その薬師も、うちと組ませない?」

「…………」

 奏が、姉を見る。

 白瑶は、ふたりの気配だけを察して即答した。

「嫌だ」

「まだ何も説明してないでしょうが!」


お読みいただきありがとうございます!

商談中の奏を待っていただけ――のはずが。

なぜか朱楼閣で、値踏みされる元軍神。

美貌を買われ、妓姫に勧誘され。

薬師と分かれば、今度は無料診療に長蛇の列。

薬茶の販路を開拓しに来たはずが、先にハユ本人の需要が見つかってしまいました。

奏の商売、また何か広がりそうです。

次話もよろしくお願いします!

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