第17話 情報収集
二度目の商談の日。
朝から、薬茶館にはいい匂いが漂っていた。
卓の中央には、湯気の立つ鶏粥。
米粒がほどけるまで柔らかく炊かれた粥には、細く裂いた鶏肉と刻んだ青菜が入り、仕上げに香味油がほんの少し落としてある。
脇には、塩と酢でさっぱり漬けた胡瓜。
甘辛く煮た椎茸。
それから、薄い皮の中に肉と野菜を包んだ小さな蒸し餃子。
「おいしい……」
奏が蒸し餃子を頬張った。
「コウ兄さま、これ、もう一個食べていい?」
「もちろん。まだあるよ」
顧虹は厨房から新しい蒸籠を運んでくる。
蓋を開けると、ふわりと白い湯気が立った。
「ハユ先輩。粥だけじゃなくて、こっちも食べてください」
「食べている」
「粥しか食べていません」
「足りる」
「足りません」
虹は白瑶の前に、有無を言わせず蒸し餃子を二つ置いた。
「昨日も昼を食べていないでしょう」
「忘れていた」
「でしょうね」
白瑶はしばらく餃子を見た。
それから一つ口に入れる。
「……うまい」
「当然です」
「姉さま、味音痴なのに、コウ兄さまの料理の味は分かるんだ」
奏が呆れたように言った。
白瑶の料理は、まずくはない。
むしろ、素材を見極める目だけなら一流だった。
山菜は採る時期を違えない。魚や肉の鮮度も一目で見抜く。薬師だけあって、何をどう食べれば身体によいかという知識も豊富だ。
ただし。
ほとんど味をつけない。
肉は焼く。野菜は煮る。魚は蒸す。
以上。
塩すら、身体に最低限必要な分しか使わない。
栄養という点では、おそらく申し分ない。
健康にもいい。
けれど、食卓を楽しむという意味では――姉妹で過ごした奏の三年間は、なかなかに厳しいものだった。
「食べられればいい」
姉は本気でそう思っている。
ハユにとって食事とは、栄養摂取、ということ以外の価値はない。
「毎日この人に食事をさせてきましたから。ハユ先輩の味の好みと自分の料理の腕くらい把握しています」
「コウの料理は最高だ」
さらりとしたハユの言葉に、コウは一瞬黙る。
「・・・まあ、それも、当然ですけどね」
そんな中。
奏が二つ目の蒸し餃子を箸でつまみながら、何でもないことのように言った。
「わたし、今日は一人で楼主のとこに行ってくるから」
白瑶の箸が止まった。
「駄目だ」
「なんで」
「危ない」
「町の中だよ?」
「危険はどこにでもある」
「朱都でも一番大きな由緒正しい楼閣だよ?」
「だから危ない」
「なんで!?」
奏は卓を叩いた。
「これは、わたしの商談なの!姉さまが一緒に行ったら、また『ハクの妹だから』って見られるでしょ!」
「私は口を出さない」
「とか言って、前も出した!」
「薬効を保証しただけだ」
「それが口出しなの!」
「…………」
白瑶が黙った。
納得したわけではない。
どうやら反論を考えている。
「じゃあ、コウを連れていけ」
「嫌」
「なぜだ」
「コウ兄さまがいたら、もっと怖いでしょう!」
「僕、何もしてませんけど」
粥をよそっていた顧虹が穏やかに笑った。
「笑いながらアキョウさんの手、叩き落としてたじゃない!」
「あれはハユ先輩に触ろうとしたからです」
「ほら!」
「正当な理由があります」
「ないよ!」
白瑶はしばらく考えた。
「では、楼の前まで送る」
「いらない」
「送る」
「一人で行ける」
「送る」
「姉さま!」
「送る」
「…………」
駄目だ。
こうなった姉は動かない。
奏は深々と息を吐いた。
「……じゃあ、門までね」
「ああ」
「中には入らないでね」
「ああ」
「勝手についてこないでね」
「ああ」
「屋根の上から見張ったりもしないでね」
「…………」
「なんで黙るの!?」
「分かった」
「今、絶対やろうと思ってたでしょ!」
「思ってない」
「間があった!」
虹が肩を震わせている。
「笑ってないで、コウ兄さまも何か言ってよ!」
「諦めた方がいいですよ。先輩ですから」
「どういう意味だ」
「そのままの意味です」
奏は頭を抱えた。
けれど。
商談そのものには、姉を連れていかない。
そこだけは譲れなかった。
「……ねえ」
ふと思い出して、奏は二人を見る。
「アキョウさんって、どんな人?」
「ホウか?」
「うん。昔、一緒に戦ってたんでしょう?」
「ああ」
白瑶は少し考えた。
「いい奴だ」
「…………」
奏は待った。
続きがない。
「それだけ?」
「ああ」
「もう少し詳しく!」
「強い」
「うん」
「頭もいい」
「うん」
「約束は守る」
「うん」
「古琴がうまい」
「それは知ってる」
「酒も強い」
「商談に役立つ情報が一つもない!」
「そうなのか?」
「そうなの!」
すると。
厨房から虹が口を挟んだ。
「性格が悪いですよ」
「え?」
「人の弱みを見つけるのがうまい。金に細かい。交渉では絶対に自分が損をしない。こちらが何を欲しがっているか見抜いたら、そこを徹底的に突いてきます」
「…………」
「口も悪いし、執念深い。相手が嫌がるところを見つけると、容赦なく潰しにかかります」
「コウ」
白瑶が眉を寄せた。
「何です?」
「ホウはそんな極悪人ではない」
「どうだか?」
「…………」
「先輩の目にそう見えてるだけでしょう」
奏は二人を交互に見た。
「……同じ人の話してる?」
「ああ」
「もちろん」
声だけは綺麗に重なった。
「…………」
まったく参考にならない。
いや。
待て。
奏は腕を組んだ。
姉の話と。
虹の話。
二つを合わせる。
「強くて、頭がよくて、約束は守る。でも、性格が悪くて、金に細かくて、絶対に自分は損をしない?」
「そうだ」
「そうですね」
「…………」
それなら。
むしろ。
商売相手としては、信用できるのかもしれない。
「分かった」
奏は立ち上がった。
「行ってくる」
「待て」
「今度は何!?」
「昼は食べたか」
「今、朝ご飯食べてるでしょう!?」
「帰りが遅くなるかもしれない」
「お昼には帰る!」
「水は持ったか」
「持った!」
「薬は」
「持った!」
「羽織は」
「暑い!」
「夕刻は冷える」
「まだ朝!」
「カナル」
「もう!」
奏は荷物をひったくるように持った。
「姉さま!」
「なんだ」
「わたし、もう十三歳だよ!」
「ああ」
「一人で交渉くらいできます!」
「分かっている」
「じゃあ心配しないで!」
「それは無理だ」
「…………」
あまりにも真顔で言うものだから。
奏は何も言えなくなった。
虹が、ふっと笑った。
「諦めることだね、カナル。きみに関してだけは、ハユ先輩は昔からこうだ」
「……昔から?」
「ええ」
虹は白瑶を見る。
「カナルが五つの頃には、戦場で敵将を斬った直後に『玄国へ送った薬は届いたか』と僕に訊いてきました」
「コウ」
「本当でしょう?」
「…………」
「カナルの七つの誕生日には、遠征先で珍しい薬草を見つけて、敵の斥候より先に採りに行った」
「必要だった」
「九つのときは――」
「もういい」
白瑶が珍しく話を遮った。
奏は。
しばらく姉を見た。
「…………」
「なんだ」
「なんでもない」
少しだけ。
口元が緩んだ。
「門までだからね」
「ああ」
「絶対、中には入ってこないでよ」
「ああ」
「屋根も駄目」
「分かっている」
「ほんとかなあ……」
お読みいただきありがとうございます!
二度目の商談へ向かう奏。
今回は、姉の力を借りずに一人で勝負です。
その前に、まずは敵――ではなく、商談相手の情報収集。
ハユ曰く、「いい奴」。
コウ曰く、「性格が悪い」。
……まったく参考になりません。
守られるだけだった奏が、自分の足で商談へ向かいます。
次話もよろしくお願いします!




