第16話 交渉
「それで?」
アキョウ――鳳は、卓の上に置かれた茶壺を眺めた。
「その薬茶を、うちに置いてほしいって?」
「はい」
奏は頷いた。
「まずは試験的に三十日間。楼のお客様に提供していただきたいと思っています」
「いいわよ」
「…………え?」
あまりにあっさりした返事に、奏が瞬いた。
ホウは頬杖をついた。
「ハクの頼みなら聞くわよ。昔のよしみがあるからね」
「…………」
奏の顔から、すっと笑みが消えた。
「それなら、結構です」
「え?」
今度はホウが瞬いた。
奏は茶壺へ手を伸ばした。
「帰ります」
「ちょっと待ちなさいよ」
「だって、それは商談じゃありません」
「…………」
奏はまっすぐホウを見た。
「そういうコネ、嫌です」
ホウの眉が、わずかに上がる。
「コネ?」
「姉さまと昔から知り合いだから、置いてあげる。それなら嫌です」
「へえ?」
「わたしは今日、蘇白瑶の妹としてここへ来たんじゃありません」
奏は茶壺を抱えたまま言った。
「一戸の店を預かる経営主として、朱楼閣の楼主と商談をしに来ました」
十三歳の少女が。
朱都でも指折りの楼を経営する相手を、まっすぐ見返す。
ホウは、あらためて、目の前の少女を見た。
蘇奏。
その名なら、昔から知っていた。
蘇白瑶には、年の離れた妹がいる。
生まれたときから身体が弱く、十まで生きられるかも分からない。
そんな話を聞いたことがある。
白瑶自身は、滅多に妹の話をしなかった。
けれど。
戦場から戻るたび、必ず、妹の病児院のある玄国へ使いを出していた。
『また薬材を送るのか?ハク』
ホウだった頃、尋ねたことがある。
白瑶は報奨金の入った箱を確認しながら、短く答えた。
『ああ』
『今回の報奨金も、妹の薬につぎ込むつもりなのか』
『必要だからな』
『自分のためには?』
『別に、特に欲しいものもない』
何でもないことのように、あっさりと言う。
戦で凱旋するたびに、莫大な報奨金が入った。
それでも白瑶の暮らしは変わらなかった。
衣は必要最低限。
酒も飲まない。
宝玉にも興味がない。
女を買うこともなければ、豪奢な屋敷を欲しがることもない。
稼いだ金のほとんどは、妹が静養している、遠く離れた玄国へ送られた。
希少な薬草。
高価な生薬。
名医への謝礼。
すべて。
一人の妹を、生かすために。
だからホウの中で、蘇奏という少女はずっと、蘇白瑶が守らなければ生きていけない脆弱な存在だった。
だが。
「…………」
目の前の少女は、どうだ。
華奢ではある。
顔にも、幼さが残っている。
けれど。
大きな菫色の瞳は、まっすぐこちらを見ている。
怯えも。
遠慮もない。
少なくとも。
ホウが想像していた、寝台の上で姉の帰りを待つだけの少女ではなかった。
「……なるほど」
アキョウがゆっくり頬杖を解いた。
奏が警戒する。
「何ですか」
「いや」
ホウは笑った。
「ハクが、命みたいに大事にしてる妹って、どんな子かと思ってたのよ」
「命みたいに?」
「知らなかった?」
奏は白瑶を見る。
白瑶は無表情だった。
「必要なことをしただけだ」
「ほらね」
ホウは呆れたように笑う。
「あんたの姉って、昔からこうなのよ」
奏は少しだけ白瑶を見つめた。
だが。
今は、商談中だ。
すぐにホウへ向き直る。
「それとこれとは別です」
「あら」
「今は薬茶の話をしています」
「…………」
ホウの口元が上がった。
面白い。
「いいわ」
その声から、先ほどまでの気安さが消えた。
楼主の顔になる。
「じゃあ――ハクの妹ってことは、忘れてあげる」
「はい」
「あんたは山奥の、名も知られていない薬茶館の経営主」
「はい」
「私は、朱都でも指折りの高級楼閣の楼主」
「はい」
「昔のよしみも、ハクへの義理もなし」
「望むところです」
ホウは茶壺を指した。
「なら、まず聞かせて」
朱い瞳が細くなる。
「私が、あんたの薬茶を置くことで、いくら儲かるの?」
「…………」
来た。
奏は膝の上で、そっと拳を握った。
頭の奥で。
小さな天龍の声が蘇る。
『よいか、カナル。商談で己の都合を語るな』
『相手が欲しいものを考えよ』
奏は息を吸った。
そして。
笑った。
「では、そこからお話しします」
◇ ◇ ◇
「一包、十八文です」
「十文」
「…………」
「何?」
「今、十八文って言いました」
「聞こえたわよ。だから十文」
「下がってます!」
「値切ってるんだから当然でしょう」
「いきなり八文も!?」
「嫌なら帰れば?」
「…………」
奏の頬が引きつった。
アキョウは笑っている。
だが、目は笑っていない。
「山奥の、誰も知らない薬茶館。販路なし。実績なし。名もなし」
一つずつ、指を折る。
「それを、この楼に置いてあげる」
「…………」
「ここに一晩、何人の客が来ると思う?」
商人。
官吏。
貴族。
外国の使節。
金を持つ者。
権力を持つ者。
そして、気に入ったものには惜しみなく金を払う者。
「つまりね」
朱い瞳が、奏を射抜く。
「あんたが本当に欲しいのは、うちの棚じゃない」
「……え?」
「うちの客への入り口でしょ?」
「…………!」
見抜かれている。
「だったら」
アキョウが笑う。
「その入り口の代金を払いなさい」
◇ ◇ ◇
その夜。
「テンテン。わたし、あの人、嫌い」
『ほう』
「十文だって!」
『なら断ればよい』
「でも、あの楼にはお客さんがいる」
『なら十文で売ればよい』
「それじゃ儲からない!」
『では、どうする』
「それを聞いてるの!」
典禅は5本爪を器用に動かしながら長い髭を撫でた。
『カナルよ』
「なに」
『なぜ、おぬしは茶を売ろうとしておる』
「……またそれ?」
『相手が欲しいものを考えよ』
「アキョウさんが欲しいもの……」
『あの楼主には、すでに金がある』
「うん」
『人脈もある』
「うん」
『客もおる』
「ものすごく」
『ならば――』
典禅の金色の瞳が細くなる。
『今の楼にないものを、おぬしが作ればよい』
「…………」
奏は目を瞬いた。
お読みいただきありがとうございます!
ハユの「命みたいに大事な妹」は、もう守られるだけの少女ではありません。
昔のよしみも、姉の名前もいらない。
一人の経営主として挑んだ、朱楼閣との初商談。
しかし相手は、さすがの楼主。
……容赦ありません。
お金も、人脈も、客も、すでに持っている相手に何を売るのか。
奏、ここから反撃です。
次話もよろしくお願いします!




