第15話 元相棒の忠告
しばらくして。
ハユ一行は楼の奥にある鳳――もとい、朱楼閣の楼主である阿喬の私室へ案内された。
酒と料理が置かれる。
奏は物珍しそうに室内を見回していたが、ホウは先ほどから別のものを見ていた。
白瑶の後ろ。
正確には。
そこに立っている青年を。
深い青緑の瞳。
青みを帯びた黒髪。
青みを帯びた黒髪に、一房だけ混じる、血を垂らしたような深紅。
ずいぶん面変わりしていて、すぐには気づかなかった。
けれど、覚えている。
かつて蘇白瑶の傍らに、いつもいた少年。
たしか――。
顧虹。
行き倒れていたところを白瑶に拾われ、最初は側仕えのように身の回りの世話をしていた。
それがいつしか剣を取り、ともに戦場を駆けるようになった。
白瑶が消えたあともめきめきと頭角を現し、最後に消息を聞いたときには、彪国軍の上位将軍にまで上り詰めていたはずだ。
「…………」
アキョウは、改めて青年を上から下まで眺めた。
昔から妙に隙のない子どもだった。
愛想がよく、気が利いて、従順で。
――だからこそ、どこか胡散臭かった。
それが今では。
「ずいぶん、いい男になったじゃない」
にやりと笑う。
虹もにこやかに笑い返した。
「そちらこそ。しばらくお会いしない間に、ずいぶんお変わりになられましたね」
言葉遣いは丁寧。
だが、敬意は微塵も感じられない。
「あら。面白いでしょう?」
アキョウは艶やかな笑顔で袖を広げてみせた。
「かつての朱国将軍はこんな格好で楼主をやってるし、彪国の仮面将軍は銀髪の美人薬師になってる」
それから、白瑶をまじまじと見る。
「それにしても、あんた、見れば見るほどあたし好みの美人だわ」
「そうか」
「髪、触っていい?」
「なに?」
「頬もつついてみたい」
返事を待たず、アキョウの手が伸びる。
ばしっ。
「痛っ!」
またしても。
白瑶へ届く前に、その手を虹が叩き落とした。
「あら」
アキョウが手の甲をさする。
「なんか、あたし警戒されてる?」
「当然でしょう」
虹は笑っている。
「女装癖のある朱国第一王子なんていう怪しげな人間に、僕のハユ先輩へ近づいてほしくありません」
「誰が女装癖よ!」
「違うのか」
白瑶が訊く。
「違うわよ!」
アキョウが振り返った。
「さっき説明したでしょう!好きな服を着てるだけ!」
「どちらでも結構です」
虹がさらりと言った。
「重要なのは、ハユ先輩に触らないことです」
「…………」
アキョウの動きが止まった。
「そういえば、さっき」
「何です?」
「なんて言った?」
「だから、触らないで――」
「その前」
「?」
アキョウの朱い瞳が、ゆっくり細くなる。
「僕の――何?」
虹の笑顔が止まった。
「…………」
「僕のハユ先輩?」
「…………」
「へえ」
「何ですか」
「別に?」
アキョウは、虹を見た。
昔。
白い仮面の将軍の後ろをついて歩いていた少年。
ハユが行けば行く。
止まれば止まる。
呼ばれれば、嬉しそうに駆けていった。
それが。
今では。
ハユより背が高い。
肩も広くなった。
少年の面影を残しながらも、すっかり一人の男になっている。
そして。
他人の手が白瑶へ伸びただけで、当たり前のように間へ割って入る。
「……あんた」
白瑶を見る。
「いつまで、こんな危険なコドモ飼うつもり?」
「コウのことを言っているのか」
「ほかに誰がいるのよ」
「もう子どもではない」
「見れば分かるわよ」
「危険でもない」
アキョウは小さく息を吐いた。
――軍神の異名をもつ蘇白瑶ともあろう人間が、昔から、その点についてだけは見誤っている。
こいつの、どこが、「危険じゃない」なんて言えるのか。
根拠はない。
しかし、直感が警鐘を鳴らすのだ。
ホウの声が、ほんの少しだけ変わった。
「あんたが消えたあとの、このコを少しだけ知ってるけど」
白瑶の視線が動く。
「何だ」
「ひどかったわよ」
「何が」
「何がって……」
アキョウは白瑶を見る。
「ほとんど、気も狂わんばかりだった」
白瑶が首を傾げた。
「なぜだ」
「…………」
本当に。
分かっていない。
「コウには、生きる術は教えた」
白瑶は淡々と言った。
「剣も。弓も。馬も。野営もできる。薬草もある程度見分けられる」
「…………」
「才能もある。頭もいい。大抵のことは一人でこなせる」
そこで少し考え、
「料理の腕も最高だ」
「そこ?」
「重要だろう」
「まあ、重要だけど」
「だから、私がいなくても一人で生きていける」
「…………」
アキョウの眉間に深い皺が寄った。
「……ばかね」
「何がだ」
「そういうことじゃないのよ」
「では、どういうことだ」
「だから――」
言いかける。
そして。
やめた。
アキョウは虹を見る。
虹は黙っていた。
いつものように笑っている。
けれど。
その視線は。
白瑶から、ほとんど離れない。
三年前より。
ずっと静かで。
ずっと深い。
そして。
ずっと危うい。
「……なるほどね」
「何だ」
「なんでもない」
アキョウは笑った。
「ただ、一つだけ忠告しておくわ」
「何だ」
「あんた、今度は黙って消えない方がいいわよ」
「なぜだ」
「次に消えたら」
アキョウが虹を見る。
「このコ、今度こそ本当にあんたを檻へ入れるわよ」
「コウが私を?」
「ええ」
「なぜ?」
「…………」
アキョウは額を押さえた。
「そこからなのよ、あんたは!」
奏が堪えきれず、吹き出した。
「ふふっ……!」
白瑶だけが。
最後まで、不思議そうな顔をしていた。
「人を檻に入れる趣味はありませんよ」
虹が穏やかに口を挟んだ。
「今のところは、でしょ」
アキョウが返す。
「それに」
虹の笑みが少しだけ深くなる。
「ハユ先輩が失踪したあと、おかしくなったのは僕だけじゃないでしょう?」
「……何よ」
「久しぶりに朱国に来てみれば、朱雀軍の将軍は代替わり。第一王子も行方不明」
「…………」
「そのうえ」
虹はアキョウを上から下まで眺めた。
「装いまで完全に変わって、高級楼閣の女楼主になっているとは」
「好きでやってんのよ」
「王位を捨てて?」
「あたしには超絶優秀な弟がいるから、別に問題ないわよ」
「朱国の慕容王家の嫡男が、なにをどうとち狂ったらそんなことになるんだか」
にっこり。
「ハユ先輩が消えたあと、 どこの誰が一番おかしくなったのか、僕には判断がつきませんね?」
「……あんた」
アキョウのこめかみがひくりと動く。
「昔より可愛げなくなったわね」
「大人になったので」
「嫌な大人になったわ」
「お互いさまでしょう」
「何ですって?」
「二人とも」
奏が割って入った。
「喧嘩はあと!」
「喧嘩じゃないわよ」
「喧嘩ではありません」
声が重なった。
奏はため息をついた。
「わたし、商談に来たんだから!」
「…………」
その一言で。
ようやく。
本来の目的を思い出した。
お読みいただきありがとうございます!
三年ぶりに再会した元相棒・ホウ。
姿は変わっても、ハユへの距離感は昔のまま。
そしてコウへの警戒心も、どうやら昔から変わっていないようです。
「今度は黙って消えない方がいいわよ」
……もっとも、本人たちはまだ全然分かっていません。
そしてようやく、本来の目的――商談へ。
次話もよろしくお願いします!




