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仮面の軍神は恋を知らない ~三年前に捨てた元部下が、わたしを離してくれない理由~  作者: 春野まゆき


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第14話 再会

「・・・どちらさまかしら?」

「…………」

「姉さま?」

「ホウ、ではないのか」

 もう一度。

「人違いよ」

「・・・違わない、と思うが」

「あたしは朱楼閣の楼主アキョウよ」

 たしかに。

 目の前にいるのは、華やかに着飾った絶世の美女だ。

 だが。

 紅玉の瞳が、<あの男>と同じ深さだ。

 なにより。

「琴を弾く時の右手首の癖が昔のままだ」

 アキョウが目を瞬いた。

 そしてもう一度、名を呼ぶ。朱国の正当な王家の姓を冠して、はっきりと。

「――慕容鳳(ボヨウ・ホウ)」


 その時。

 楼の入口近くで、怒鳴り声がした。

「離せ!」

 酔った男が給仕の腕を振り払う。

 盆が跳ねた。

 酒器が宙を舞う。

 同時に。

 男の腰に差してあった短刀が鞘から抜け落ちた。

「あっ――」

 給仕が声を上げる。

 落ちる。

 はずだった。

 白瑶が動いた。

 誰も。

 その一歩目を見ていなかった。

 右足を半歩引く。

 重心が沈む。

 身体が半身になる。

 右手で落ちる酒器を掴み。

 左手で短刀を受け止める。

 さらに。

 酔客が再び腕を上げるより早く、一歩懐へ入った。

 手首を取る。

 関節を逆へ返す。

「いっ……!」

「動くな」

 低い声。

 男の身体がぴたりと止まった。

 白瑶は短刀を卓へ置く。

 酒器を給仕の盆へ戻す。

「危ない」

 それだけだった。

「…………」

 アキョウの顔から。

 笑みが消えた。

 目ではない。

 顔でもない。

 声でもない。

 今の一歩。

 足の置き方。

 重心の落とし方。

 刃を持つ相手の利き手を封じる位置への入り方。

 知っている。

 何百回と、戦場で見た。

 敵が剣を抜くより早く懐へ入り、次の瞬間には、地へ沈めていた。

 同盟国である彪国の、仮面将軍。

 軍神と呼ばれた男。

「……嘘でしょ」

 アキョウの目が見開かれる。

 白瑶がこちらを見る。

 淡い菫色の瞳。

 白磁の肌。

 細い首。

 高く結い上げた銀髪。

 どう見ても。

 女。

 なのに。

 分からないことを尋ねられたときのように。

 ほんの少し、首を傾げる、その仕草。

 知っている。

「……蘇白瑶(ソ・ハクヨウ)?」

 白瑶の瞳が、わずかに細くなる。

 ふだんはほとんど感情の起伏の読み取れないその視線に、わずかな親密さが宿る。

 後ろに控えていたコウは、内心、ち、と舌打ちする。

「ああ」

 そして。

 平然と言った。

「久しぶりだ、ホウ」

「…………」

 沈黙。

 アキョウは白瑶を見た。

 上から。

 下まで。

 もう一度。

 下から。

 上まで。

「ほんとに、ハクなの?」

 ハク、と呼ぶのを久しぶりに聞いた。

 かつて、時に敵となり、時に味方となり、何度も同じ戦場を駆けた朱国の朱雀軍の将軍は、彪国の仮面将軍の名を、親しみを込めてそう呼んだ。

「…………女?」

「ああ」

「女!?」

「声が大きい」

「大きくもなるわよ!」

 楼中の視線が集まった。

 アキョウはそんなものを気にする余裕もない。

「あんた、女だったの!?」

「そうだ」

「何度一緒に戦ったと思ってんのよ!」

「私に言われても困る」

「困ってるのはこっちよ!」

 アキョウは額を押さえた。

「待って。ちょっと待って。あたし、あんたと酒飲んだわよね?」

「飲んだ」

「野営もしたわよ」

「何度も」

「なんで気づかなかったのよ、あたし!」

「軍装と仮面で隠していたからだろう」

「いや、だからって、ちょっと待って…………」

 しばらく白瑶は、混乱している旧友を眺めていた。

 やがて。

 ふと首を傾げる。

「だが」

「何よ!?」

「お前こそ、女だったのか?」

「…………」

 今度は。

 アキョウが黙った。

「違うわよ」

「違うのか?」

「あたしは、正真正銘の男」

「では、なぜそんな格好をしている」

 アキョウは自分の袖を見た。

 艶やかな深緋。

 黒紅。

 金糸。

 髪には簪。

 目元には薄い朱。

 かつて朱雀軍の将軍だった頃の姿とは、似ても似つかない。

 けれど。

「好きだからよ」

 至極あっさりと、かつての戦友は言った。

「何がだ」

「美しいものが」

 アキョウの長い指が、さらりと髪を払った。

「綺麗な衣も好き。宝石も好き。花も好き。琴も好き」

 朱い瞳が細くなる。

「男だろうが女だろうが、美しいものは美しいでしょう?」

「…………」

「あたしはね、男とか女とか、そんなことで着たいものを決めたくないの」

 自分の衣の裾を、指先で軽く持ち上げる。

「あたしは、あたしの好きな格好をしてるだけ」

 白瑶はアキョウを見た。

 頭から。

 足元まで。

 じっくり。

「……そうか」

「それだけ?」

「ああ」

「もっと何かないの?」

 白瑶は再び考えた。

「似合っている」

「…………」

「昔の軍装より、今の方がお前らしい」

 アキョウが。

 ほんの一瞬。

 言葉を失った。

 これまで、何度言われただろう。

 惜しいことをした、と。

 なぜ、あのようになってしまったのか、と。

 慕容王家の恥さらし。

 第一王子ともあろう者が、将軍の地位まで捨てて、女の装いで人前に立ち、楼閣の主などをしている。

 嘆く者がいた。

 蔑む者がいた。

 慕容王家もこれで終わりだと、国の行く末まで憂える者もいた。

 昔の方がよかった。

 昔のお前に戻れ。

 誰もが、そう言った。

 けれど。

 目の前の女だけは。

 今の方が、お前らしい、と。

 慰めでもない。

 気遣いでもない。

 蘇白瑶が、そんな器用なことを言える人間でないことはよく知っていた。

「…………あんた」

「なんだ」

「そういうところだけは、昔から変わんないわね」

「?」

「なんでもない」

 アキョウは苦笑する。

「それにしても……」

 改めて白瑶を見る。

「まさか、あの無愛想な仮面男の中から、こんな美人が出てくるとは思わなかったわ」

「私は昔からこの顔だ」

「知るわけないでしょうが!」

 そして。

 アキョウの視線が。

 ふと白瑶の胸元へ落ちた。

「…………」

「何だ」

「ねえ、ハク」

「なんだ」

「あんた、その胸、本物?」

「?」

 白瑶まで自分の胸を見る。

「本物とは」

「だから――」

 好奇心に負けた。

「羨ましいわぁ・・・詰め物で盛らなくていいなんて」

 思わず、アキョウの手が伸びる。

 ばしっ。

 乾いた音。

「痛っ」

 アキョウが手を引いた。

 叩き落としたのは。

 白瑶ではなかった。

 いつのまにか隣に立っていたコウだった。

「……何すんのよ」

「それはこちらの台詞です」

 コウは笑っている。

 いつもの、人懐こい笑顔。

 だが。

 深い青緑の瞳は、欠片も笑っていなかった。

「ハユ先輩に、軽々しく触らないでください」

 きっぱりと、敵意を隠さない声で告げる。

「ずいぶんと変り果てたお姿ですね?――鳳(ホウ)将軍」


お読みいただきありがとうございます!

三年ぶりの再会。

仮面の軍神は、実は女。

朱雀軍の将軍は、今や絶世の美女(男)。

姿はずいぶん変わりましたが、二人とも中身はあまり変わっていないようです。

そして最後に、コウ参戦。

どうやら穏やかな再会だけでは終わりそうにありません。

次話もよろしくお願いします!

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