↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
仮面の軍神は恋を知らない ~三年前に捨てた元部下が、わたしを離してくれない理由~  作者: 春野まゆき


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/80

第13話 変わらぬ音色

 昼過ぎ。

 三人は町へ下りた。

 奏(カナル)は楽しそうに先頭を歩いている。

 蘇白瑶(ソ・ハクヨウ)は渋々その後ろを歩き、虹(コウ)は二人分の荷物を持って、ハユの隣に並んで歩きながら、いつものように笑っている。

 山を下りるのは久しぶりだった。

 白瑶は人混みが好きではない。

 露店の呼び声。

 馬車の車輪。

 香辛料。

 焼いた肉の匂い。

 次々とすれ違う人々。

「姉さま」

「なんだ」

「もう少し愛想よくして」

「している」

「どこが?」

「怒っていない」

「基準が軍人なのよ!」

 虹が横で笑った。

「先輩に笑顔を求める方が酷ですよ」

「超絶美人の仏頂面なんて迫力ありすぎよ。逆に怖くて客が寄ってこないわ」

「先輩の笑顔なんて、僕は三回くらいしか見たことありません」

「数えていたのか」

「ええ」

「ひまだな」

「ひどいですね」

 奏は二人の会話を聞きながら、こっそり笑った。

 三年ぶりに会ったばかりなのに。

 もう、ずっと前から三人で暮らしていたような気がする。

 それが。

 少し、嬉しかった。

「――ここ」

 奏が足を止めた。

 大通りから一本入った先。

 そこだけ、街の色が変わったようだった。

 高い朱塗りの門。

 幾重にも重なる軒。

 昼だというのに軒先には色鮮やかな灯籠が並び、長い房が風に揺れている。

 漂ってくるのは、酒臭さではない。

 沈香。

 花。

 上等な茶。

 どこか甘く、艶のある香り。

 門の上には、流麗な金文字。

 ――《朱楼閣》。

「町で一番大きな花楼なんだって」

 三人は朱華楼へ足を踏み入れた。

 昼間だというのに、楼の中では多くの人間が働いていた。

 華やかな衣をまとった女。

 茶器を運ぶ少年。

 楽器を整える楽師。

 料理を運ぶ下働き。

 客も、ちらほらいる。

 白瑶の視線が自然と人々の身体へ向いた。

 歩き方。

 肌。

 唇の色。

 呼吸。

 声。

 咳。

「…………」

「姉さま?」

「三人」

「え?」

「あの女は喉を傷めている。階段を上がっている女は右の足首を庇っている。奥の者は眠れていない」

 奏の目が輝いた。

 やっぱり。

 ここには、薬茶館の客になり得る人がいる。

 そのときだった。

 ――びぃん。

 低い弦の音が落ちた。

「…………」

 奏が振り返る。

 古琴だった。

 楼の奥。

 薄い簾の向こうで、誰かが弦を弾いている。

 もう一音。

 深く。

 静かに。

 音が、楼のざわめきの底を縫っていく。

「……きれい」

 奏が呟いた。

 けれど。

 きれい、だけでは足りなかった。

 華やかではない。

 大きな音でもない。

 それなのに。

 次の一音を待ってしまう。

 弦を弾く指。

 しなやかに返る手首。

 余韻まで惜しむように、ゆっくり音が揺れる。

 深い。

 艶がある。

 甘いだけではない。

 苦みも。

 寂しさも。

 喜びも。

 人生の何もかもを一度口へ含み、ゆっくり味わってから飲み込むような音だった。

 気づけば。

 楼の空気が変わっていた。

 働いていた女が足を止める。

 茶を運んでいた男も。

 酒杯を持った客も。

 男も。

 女も。

 誰もが知らず、その音へ引き寄せられている。

 目が離せない。

 そして。

 白瑶の足も止まっていた。

「……姉さま?」

 返事がない。

 白瑶は、簾の向こうを見ていた。

 いや。

 男の顔を見ているのではない。

 右手。

 ただ、その手だけを見ている。

 親指。

 人差し指。

 中指。

 弦を弾き。

 次の音へ移る、その直前。

 手首が、ごくわずかに外へ返る。

「…………」

 知っている。

 昔から。

<あの男>は、そうやって弾いた。

 ◇ ◇ ◇

『無駄な動きだ』

『うるさい』

 戦の前夜。

 火の落ちた陣営。

 赤い軍装を解いた若い男が、古琴の前に座っていた。

 大胆かつ自由奔放で、大陸で屈指の統率力を誇る男だった。

 その一方で、書や画や琴を愛し、美しいものを愛でるのを生涯の悦びとしていた。

 時になにを考えているのか分からぬ底の知れない人物でもあった。

『弦へ移る前に、手首が外へ流れている』

『琴くらい好きに弾かせろ』

『剣なら隙になる』

『これは剣じゃない。楽器だぞ』

 朱雀軍を率いた若き将軍。

 舞うように振るうその男の剣は、《鳳剣》と呼ばれた。

 朱国の第一王子。

 慕容鳳(ボヨウ・ホウ)。

 ◇

「……ホウ」

 白瑶の唇から、思わずその名前がこぼれた。

 ぴくり、とコウの眉が動く。

 ちょうど、そのとき。

 最後の一音が鳴った。

 長く。

 深く。

 余韻だけが、空気に残る。

 誰も、すぐには動かなかった。

 音は消えたのに。

 まだ耳の奥に残っている。

 簾のすきまから、琴を弾いていた女が見えた。

 長い髪。

 朱から黒紅へ色を重ねた華やかな長衣。

 髪には上質な簪。

 目元には、ごく薄く朱の化粧紅が引かれている。

 紅玉のような瞳。

 遠目に見れば、絶世の美女にも見える。

 だが、立ち上がれば分かる。

 背が高い。

 肩も。

 手も。

 身体の骨格は、明らかに鍛えられたものだった。

 女は豪奢な細工の扇で口元を隠しながら、三人へ一瞥をくれた。

 そのままカナル一行とすれ違おうと、した。

「…………!」

 一歩、通り過ぎた。

 そして。

 戻ってきた。

「――ちょっと待って」

「…………」

 白瑶が眉を寄せる。

 女は白瑶の正面に立った。

 見る。

 上から。

 下まで。

 もう一度、上まで。

「まあ」

 女は、口元を隠していた扇をぱちりと閉じた。

 それまで半分ほど隠されていた顔が、あらわになる。

 ――美しい。

 まず目を引くのは、まなじりを赤く染めた大きな瞳だった。

 長い睫毛の下で、艶を含んだ黒い瞳がきらきらとよく動く。

 すっと通った鼻梁。紅を引いた唇。輪郭はすっきりと細く、華やかな装いにも決して負けていない。

 傾国の美女。

 ただし。

 ――大きい。

 女としては背の高い白瑶と並んでも、その頭二つぶんほど大きい。

 華奢に見せる衣をまとってはいるが、肩はしっかりしているし、手足も長い。

 すらり、というには存在感がありすぎた。

 遠目には、艶やかな大輪の牡丹。

 近くで見れば。

 ――ずいぶん立派な牡丹だった。

「まあまあまあまあ!」

 その大柄の美女が、大きな身体を弾ませるようにして白瑶へ迫った。

「なに、この子!どこの子!?いいじゃない!」

「…………」

 声まで大きい。

 周囲の客が一斉に振り返った。

 だが、女は気にも留めない。

「銀髪!肌も真っ白!その目、何色!?菫!?まあ嫌だ、綺麗!しかも背が高い!」

 大女は、白瑶の周囲をぐるりと一周した。

「いいわねえ!」

「何がだ」

「全部よ!」

 即答だった。

「すてき!好みだわ!」

 やたらとテンションが高い。

 そして次の瞬間、声が低く落ちた。

「なのに何その格好?」

 今度は不機嫌だ。

「素材に対する冒涜だわ!」

「…………」

「飾り気なし!化粧なし!髪なんて結んだだけ!せっかくの銀髪に簪の一本もない!その服も何!?山へでも入るの!?」

「薬師なので、山には毎日のように入っている」

「・・・入るのね」

 女は天を仰いだ。

「もったいない!だめじゃないの、お肌が荒れるわ!!」

「別に気にしないが・・・」

「だめ!あなたが気にしなくても、あたしは困るわ!」

「なぜだ」

「美しいものが粗末に扱われていると腹が立つのよ!」

「お前には関係ないだろう」

「あるわよ!」

「なぜだ」

「私が気に入ったから!」

「…………」

 理屈になっていない。

 カナルはぽかんとそのやり取りを見つめている。

 コウは。

 ものすごく嫌そうな顔をしていた。

 大女はそんな二人など完全に眼中外のようで、ただ白瑶の顔を覗き込んだ。

「ねえ。あなた、名前は?」

 白瑶は答えなかった。

 代わりに。

 じっと、女の顔を見た。

 華やかな化粧。艶やかな衣。高く結い上げられた髪。耳元で揺れる、大ぶりの飾り。

 声も。姿も。

 記憶の中とは、ずいぶん違う。

 けれど。

 白瑶は、ためらいなく呼んだ。

「ホウ」

「…………」

 女の動きが止まった。

 朱楼閣の楼主。

 その名を阿喬(アキョウ)という。

 朱都でも指折りの美女と謳われる、大柄で華やかな女主人。

 その女を、ハユは迷いなく「鳳(ホウ)」と呼んだ。

 その顔から。

 一瞬だけ。

 笑みが消えた。

「…………」

 はじめて。

 二人の目が。

 かちりと合った。


お読みいただきありがとうございます!

薬茶を売り込みに訪れた朱楼閣。

そこでハユが耳にしたのは、三年ぶりの懐かしい琴の音でした。

姿も、装いも、ずいぶん変わったけれど――

音色は、変わらない。

「ホウ」

三年前に姿を消した軍神と、かつての戦友。

ようやく再会です。

次話もよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。