第12話 元部下、苦労を語る
翌朝。
「お客が来ないなら、こちらから行けばいいのよ」
奏は、妙に自信に満ちた顔で言った。
蘇白瑶は薬草を刻む手を止める。
「どこへ」
「お客さんのいるところ」
「病人の家か」
「違う」
「では診療所」
「そうじゃない!」
奏は朝から元気だった。
昨日から薬茶館には、新たに一人、住人が増えている。
虹。
三年前まで白瑶の部下だった青年である。
正確には、住み込みの従業員。
給金はない。
三食付き。
ただし、その三食を作っているのも虹だった。
「カナル」
厨房で粥をかき混ぜながら、コウが言った。
「それで、客のいる場所とは?」
「町」
「ずいぶん広いな」
「もっと具体的には――」
カナルは一拍置いた。
「花楼」
白瑶が顔を上げた。
「なぜだ」
「人がたくさんいるから」
「酒を飲む場所だろう」
「お姉さま、花楼を何だと思ってるの?」
「男が酒を飲み、女を眺める場所」
「……だいたい合ってる」
コウが吹き出した。
「先輩、意外とご存じなんですね」
「軍人時代、部下がよく行っていた」
「そういう世事にはまるっきり疎いひとかと思ってました」
「お前も足しげく通っていただろう」
「僕が?」
「花楼に」
白瑶は薬草を刻みながら、何でもないことのように続けた。
「通いつめてる芸妓がいただろう」
びし、と。
粥を混ぜていた虹の手が止まった。
なぜそれを、と喉元まで言葉が出かかる。
「……誤解です」
「別に責めてないぞ」
「僕が女遊びにうつつを抜かしていたと思ってたんですね?」
「お前はいい男だし、誠実で気遣いもできる。女の一人や二人いてもおかしくないだろう」
さらり、と白瑶は言った。
虹はしばらく黙った。
娼館通いはしていた。
芸妓として潜入していた黄龍家の明珠から情報を得ていたためだ。
むろん、そんな事情は言えるはずもなく、「コウにはなじみの芸妓がいて、その女と深い仲らしい」という表向きの体裁を演じていたわけなのだが。
しかし。
――このひとに、そういう誤解をされるのだけは、絶対に嫌だ。
「……先輩」
「なんだ」
「僕が、いったいいつ女を囲うひまがあったと思うんです?」
「知らん」
「でしょうね」
にこり。
笑った。
笑ったが、目は笑っていない。
「夜明け前に奇襲を仕掛けると言い出したあなたを起こして、朝食を食べさせて、軍装を整えて」
「うむ」
「戦場へ出たら出たで、一人で敵陣深くまで突っ込んでいくあなたを追いかけて」
「そうだったな」
「『少し偵察してくる』と言って、敵将の首を持って帰ってきたこともありましたね」
「ついでだ」
「何のついでですか」
虹の声が一段低くなった。
「三日寝ていないのに『まだ動ける』と言い張るあなたから軍報を取り上げて、無理やり寝台へ押し込んで」
「五日くらいは寝ずとも動けた」
「そういうところですよ」
「何がだ」
「さらに、食事を出せば『後で食べる』。薬を渡せば『傷は塞がった』。新しい軍装を用意すれば『まだ着られる』」
「質素倹約は軍人の美徳だ」
「度を越しています」
カナルが、隣で肩を震わせ始めた。
コウは止まらない。
「挙げ句、戦が終われば終わったで、報奨金には見向きもせず、戦死者の家族へ勝手に配る。昇進の祝宴はすっぽかす。凱旋式の日には姿が見えないと思ったら、薬草を採りに山へ行っている」
「珍しい薬草が生えていると聞いた」
「あなたの凱旋式ですよ」
「私がいなくてもできただろう」
「主役がいない凱旋式をどうやってやるんですか!」
「できなかったのか?」
「できませんよ!」
虹は深く息を吐いた。
「僕が花楼に通っていたのは、情報収集のためです。芸妓や楽師のところには、商人、官吏、武官、他国の使者まで来る。酒が入れば、口も軽くなる。諜報には都合がいいんですよ」
「なるほど」
「それ以外にも、武器商人との交渉、兵糧の調達、間諜との接触、軍内部の情報収集――」
虹は白瑶を見る。
「そして、その合間にあなたの世話です」
「頼んでない」
「三日間何も食べずに敵の補給路を潰しに行くようなひとが、僕の世話なしでどうやってまともに生活できたと思ってるんですか」
「戦には勝った」
「勝てばいいと思ってるでしょう」
「戦争だからな」
「…………」
虹は天井を仰いだ。
「カナル」
「なに?」
「分かっただろう?」
「何が?」
「僕に女遊びをする暇なんて、一刻たりともなかった理由が」
奏は姉を見る。
白瑶は何食わぬ顔で薬草を刻んでいる。
「コウ兄さま、苦労したんだね」
白瑶だけが首を傾げた。
「何がそんなに大変だったんだ?」
「あなたですよ!」
「まあまあ、姉さまも兄さまも、そこまで」
奏は笑いをこらえながら、卓へ一枚の紙を広げた。
「花楼で働く女の人って、夜遅くまで働くでしょう?」
「ああ」
「お酒も飲む。化粧もする。喉を使う人もいる。眠る時間も普通とは違う」
白瑶の目が、わずかに変わった。
薬師の目になった。
「……確かに」
手にしていた薬刀を置く。
「夜間の仕事が続けば気血を消耗する。酒で胃腸を傷める者もいるだろう。歌を生業とするなら喉の炎症も起こしやすい。月のものが乱れる者も――」
「ほら!」
奏が白瑶を指さした。
「お姉さまのそういう知識が、売り物になるの!」
「売り物?」
虹が思わず吹き出す。
「カナル。先輩に商売を理解させるのは長期戦だよ」
「コウ兄さまも協力して!」
「もちろん」
「私は行かないぞ」
「どうして!」
「花楼はうるさい」
「お姉さまが実際に芸妓たちを診ないと意味ないでしょう!」
「コウが行けばいい」
「僕は薬師ではありません」
「傷の手当てならできるだろう」
「戦場の止血と婦人の体調相談を一緒にしないでください」
正論だった。
お読みいただきありがとうございます!
女遊びをしていたと思われていたコウ。
実際は――
戦場で暴走する上官のお世話で、それどころではありませんでした。
三日寝ない。食べない。凱旋式には出ない。
それでも本人は、
「何がそんなに大変だったんだ?」
……世話の焼ける上司を持つと苦労しますよね。
そして次なる商売の舞台は、花楼へ。
次話もよろしくお願いします!




