第69話 オルティアは、世界の裏側を見る
数日後、アルセリード邸の庭には、少し早い秋を思わせる風が吹いていた。
陽射しにはまだ夏の名残があるものの、日陰へ入れば空気は軽く、庭木の葉が重なり合う音にもどこか乾いた響きが混じっている。
その日の茶会は、地下施設の調査とは関係のない、ごく普通の集まりとして予定されていた。
ヴェルシアナの向かいにはオルティア、その斜め隣にはルシアンが座り、ディルヴァンは用意された椅子へ深く腰掛けるより先に、卓上の焼き菓子へ視線を向けている。
「ディルヴァン様」
オルティアが静かに名前を呼ぶ。
「まだ何もしてないよ」
「何かをなさる前に申し上げております」
「それって信用されてないってこと?」
「積み重ねの結果ですわ」
言葉は涼しいのに、オルティアの口元には僅かな笑みがある。
ディルヴァンも本気で不満があるわけではないらしく、結局は皿へ手を伸ばさず、代わりに紅茶を一口飲んだ。
その様子を見ていたルシアンが、小さく笑う。
「兄上、今日はまだ二つしか食べていませんよ」
「ほら」
「始まってから、それほど時間が経っておりませんけれど」
ヴェルシアナが付け加えると、ディルヴァンは納得がいかない顔をした。
「三人とも厳しくない?」
「ルシアン様は事実を仰っただけでしょう」
「ヴェルシアナまでそっち側?」
「私はいつでも公平です」
「それ、自分で言う?」
そんなやり取りをしながら、ヴェルシアナは少しだけ肩の力を抜いていた。
ここ数日は、地下施設や古い帳簿のことで大人たちの出入りが多かった。もちろん自分まで調査へ首を突っ込み続けているわけではないが、家の中に普段とは違う緊張があるだけで、どうしても意識の片隅には残る。
だからこそ、こうして別の話をする時間はありがたかった。
「そういえば」
オルティアがカップを置く。
「先日お願いした刺繍糸が届きましたの」
「以前仰っていた、色の薄いものですか?」
「ええ。白に近い紫なのですけれど、光の当たり方で少し青く見えるのです」
そう言って、オルティアは侍女へ小さく合図した。
運ばれてきたのは、手のひらに収まるほどの刺繍布だった。
まだ完成品ではない。
淡い布地の上に、細い茎と小さな花が途中まで描かれている。
「綺麗ですね」
ヴェルシアナが素直に言うと、オルティアの表情が僅かに明るくなった。
「まだ途中ですわ。花弁の重なりを少し変えようかと思っておりますの」
「こちらの花ですか?」
「ええ。今のままですと、表から見た時は整っているのですけれど、裏側で糸が少し引っかかってしまいますから」
ヴェルシアナは布を受け取り、許可を得てから裏返した。
表面の繊細な花とは違い、裏側には細い糸が何度も往復している。
「……確かに、表とは全然違って見えますね」
「刺繍は表だけ整っていればよいわけではありませんもの。裏で糸が絡んでおりますと、表の形まで崩れてしまいます」
オルティアは当然のことのように言った。
ヴェルシアナは布をもう一度表へ戻す。
表に見えている花びら一枚にも、その裏側では何本もの糸が別の道を通っている。
なんとなく。
何かに似ている気がした。
けれど、それが何なのかまではすぐに出てこなかった。
「どうかしました?」
ルシアンが気づいたらしい。
「いえ……少し、似たものを見たような気がしまして」
「刺繍に?」
「刺繍そのものではないのですけれど」
ヴェルシアナは考えながら、ふと数日前に受け取った紙の写しを思い出した。
ヴィクトルから渡された、古い紙片の複製。
研究者たちが見ても、まだ意味を特定できていない。
「少し待っていただいても?」
そう断って席を立ち、近くに控えていた侍女へ頼む。
ほどなくして持ってこられたのは、保管用の薄い箱だった。
「何それ?」
ディルヴァンが興味を示す。
「先日、古い帳簿の中から見つかった紙片の写しです」
「地下のやつ?」
「関係がある可能性はあるそうです。ただ、まだ何を表しているのかまでは分かっていません」
ヴェルシアナは箱から複製を取り出した。
原本ではない。
研究者が作った写しで、仮に汚しても問題はないと説明されているものだ。
「見ても?」
ディルヴァンが尋ねる。
「構いません。ただし、魔力を流したりはなさらないでくださいね」
「俺、そこまで何でも触らないけど」
「先に申し上げただけです」
「ヴィクトル先生みたいなこと言うなあ」
ディルヴァンは苦笑しながら紙を受け取り、最初に表を見る。
線が幾重にも交差し、途中で途切れている。
裏面にも別の線がある。
しばらく眺めたあと、首を傾げた。
「やっぱり地下で見た模様に似てる」
「私もそう思いました」
「でも、あっちよりごちゃごちゃしてるな」
ディルヴァンは紙を斜めにして見る。
「地下のはもっと、道が分かれてる感じだっただろ? これは途中で消えてる線が多い」
魔術師ではない。
それでも実物を見た経験があるからこその感想だった。
「ルシアン様は、何か気になります?」
ヴェルシアナが尋ねる。
ルシアンは紙を受け取り、すぐには答えなかった。
一箇所ずつ、目で追っている。
「同じ場所で消えているわけではありませんね」
「どういう意味でしょう?」
「もし単純に線が欠けているだけなら、紙の傷んでいるところに集中すると思ったのですが」
ルシアンは端の一箇所を指した。
「ここは紙が古くなっていますけれど線は残っています。その一方で、傷んでいない中央でも突然消えているものがあります」
「では、最初からそう描かれている?」
「たぶん」
さらに裏返す。
「それに、表で消えている線と、裏から始まっている線の数が似ています」
ヴェルシアナは目を細めた。
「繋がっている可能性がある、ということですか?」
「そう考えると自然ですが……」
ルシアンは少し迷ってから続ける。
「どことどこが繋がるのかまでは、僕には分かりません」
「研究者の方々も、そこまでは分からなかったそうです」
ヴェルシアナは答えた。
「表裏が関係している可能性はある。ただ、通常の魔術式として読むと、流れが成立しないそうで」
「へえ」
ディルヴァンが今度は裏側から覗く。
「じゃあ、まだ答えなし?」
「はい。今は保留です」
話題としては、そこで終わってもよかった。
紙を戻し、紅茶が冷める前に別の話へ移る。
本来なら、その程度だった。
けれど。
「少々よろしいです?」
オルティアが言った。
それまで彼女は、三人の会話を聞きながら紙を横から見ていただけだった。
「もちろんです」
ヴェルシアナが差し出す。
オルティアは受け取ると、魔術式を見るような顔はしなかった。
むしろ。
先ほどの刺繍布と見比べている。
紙を見る。
刺繍を見る。
もう一度、紙を裏返す。
「……変ですわね」
「何がです?」
ヴェルシアナが尋ねる。
オルティアはすぐには答えなかった。
紙の端へ指を添え、一本の線を目で追う。
その線は中央付近まで進んだところで、突然消えている。
普通なら、そこで途切れたと考える。
オルティアは違った。
紙を裏返す。
視線を少しずらす。
また表へ戻す。
「これ」
今度は確信を含んだ声だった。
「線ではないのではありません?」
三人が揃って彼女を見る。
「線ではない?」
ディルヴァンが聞き返す。
「少なくとも、平面に描かれた線として見ると、おかしくなりますわ」
オルティアは紙を卓上へ置いた。
自分の刺繍布を隣に並べる。
そして、紙の上で途切れている一本を指した。
「こちら、ここで消えているように見えますでしょう?」
「はい」
「でも、消えているのではありません」
オルティアは紙を裏返し、ほぼ同じ位置から始まっている線を示した。
「こちら側へ潜っています」
ヴェルシアナの視線が止まった。
「潜る……?」
「刺繍と同じですわ」
オルティアは自分の布を裏返す。
「表で糸が見えなくなったからといって、そこで糸そのものがなくなるわけではありませんでしょう? 針を裏へ通せば、糸は布の向こう側を進みます」
紙へ戻る。
「これも同じように見ると、少なくとも何本かは綺麗に繋がります」
ヴェルシアナはすぐに椅子を寄せた。
「どれです?」
「こちらです」
オルティアが最初の線を指す。
「表から入って、この位置で裏へ潜る。裏側ではこちらへ進んで、ここからもう一度表へ出ています」
その指を追っていく。
確かに。
今まで無関係に見えていた線が、一続きになる。
「……本当だ」
ディルヴァンも身を乗り出した。
「じゃあ、こっちは?」
「それは違いますわ」
「違うの?」
「こちらは上を通っています」
オルティアは、今度は二本が交差している部分を示す。
「ほら。こちらの線は途中で幅が僅かに変わっておりますでしょう?」
「……分からない」
「よく見てくださいませ」
「見てるよ」
「もっとです」
ディルヴァンが本気で紙へ顔を近づける。
その横でルシアンも静かに確認していた。
「僕には少し分かるかもしれません」
「ほんと?」
「太いというより、重なって見える部分があります」
オルティアが頷く。
「そうです。おそらく、片方が下を通っているせいですわ」
ヴェルシアナは紙の表と裏を交互に見る。
頭の中で立体として組み立ててみる。
これまで平面の上に無理やり魔力の道を作ろうとしていたから、途中で切れて見えていた。
そうではない。
流れは上下へ移動している。
上を通るもの。
下へ潜るもの。
裏側で別の場所へ回り込み、再び表へ出るもの。
もしそれが正しいなら。
「これ……二層ではないでしょうか」
ヴェルシアナが呟く。
オルティアがこちらを見る。
「二層?」
「はい。紙の表と裏を、そのまま施設の表裏として考えるのではなく、上下に重なった流路を簡略化している可能性があります」
地下施設で見た、壁や床の中を走る魔力の道。
あれも表面だけに存在していたわけではない。
石の中へ潜り、別の場所から出ていた。
「だったら、研究者の方々が読めなかったのもおかしくないかも」
ディルヴァンが言う。
「平らな図だと思って見てたんだろ?」
「おそらく」
ヴェルシアナは答えながら、紙から目を離せなかった。
しかも。
オルティアはまだ見ている。
発見したことで満足した様子はなく、線の順番そのものを追っている。
「オルティア様?」
「少々お待ちください」
声がいつもより真剣だった。
先ほどまで茶会を楽しんでいた令嬢の顔とは違う。
細い指先が、紙に触れないぎりぎりのところを進んでいく。
「こちらを先に通して……その後に、これを上へ重ねております」
「順番まで分かるのですか?」
「刺繍なら、ですけれど」
オルティアは紙から目を離さず答えた。
「同じ場所へ糸を何本も通す場合、順番を間違えると表面が崩れますの。それに、下へ潜らせる糸を後から通す方が難しい場所もあります」
指が中央で止まる。
「ですから、この模様を本当に糸のように作るのであれば、ここから始めるのが自然ですわ」
ヴェルシアナは、オルティアの横顔を見る。
驚いていた。
単に答えらしきものを見つけたからではない。
自分はオルティアの刺繍を何度も見てきた。
綺麗だと思った。
細かなところまで考えているのが彼女らしいとも伝えた。
けれど、その技術が何を積み重ねて出来ているのかまでは、分かっていなかったのかもしれない。
表の花を見るために、裏側の糸まで見ている。
一本を美しく置くために、その前後の順番を覚えている。
それを何度も繰り返してきたから。
目の前にあるものを、他の誰とも違う形で読めた。
「オルティア様」
「はい?」
ようやく顔が上がる。
「すごいですね」
言われた本人が、一瞬だけ止まった。
「……何がでしょう」
「これです」
ヴェルシアナは紙を示した。
「私もミレーヌも見ましたし、研究者の方々も調べています。それでも、こんな見方は出ませんでした」
「ですが、私は魔術について何も分かりませんわ」
「だから見えたのでしょう?」
答えながら、ヴェルシアナ自身もそれが一番正しい気がした。
魔術師は魔術式として見た。
自分は魔力の流れとして見た。
ルシアンは線の規則性を見つけた。
ディルヴァンは実際の地下施設との違いを見た。
そしてオルティアは。
誰も線だと思って疑わなかったものを、糸として見た。
「私では分からなかったと思います」
ヴェルシアナは続けた。
「オルティア様がいなければ、この見方には辿り着けませんでした」
オルティアの目が僅かに大きくなる。
すぐにいつもの顔へ戻ろうとしたようだが、頬にほんのりと色が差したのまでは隠せていなかった。
「……まだ、合っているかは分かりませんわ」
「それは専門家の方に確認していただけばよいでしょう」
「そうですけれど」
「でも、この考え方を見つけたのはオルティア様です」
そこまで言われ、オルティアは紅茶へ逃げるように手を伸ばした。
しかし、カップを持ち上げる直前で一度止まる。
「以前」
小さく口を開いた。
「ヴェルシアナ様が、私の刺繍を好きだと仰ってくださったでしょう?」
「はい」
「細かいところまで考えているのが、私らしいとも」
「覚えています」
「……あの時は、とても嬉しかったのです」
オルティアはカップの取っ手へ指を掛けたまま、紙を見る。
「でも、刺繍が役に立つなんて考えたことはありませんでしたわ。少なくとも、こういうことには」
ヴェルシアナは少し考えた。
「役に立つから好きだったわけではないのでしょう?」
「もちろんです」
「でしたら、それでよいのではありませんか」
オルティアが目を向ける。
「好きで続けていたものが、たまたま別の場所でも役に立った。それだけでも十分素敵だと思います」
オルティアは何も返さなかった。
けれど。
その指先が、刺繍布の端をいつもより大切そうに整えた。
ディルヴァンが横から紙を覗き込む。
「これ、ヴィクトル先生たちに見せるんだろ?」
「ええ。その方がよいと思います」
「じゃあ俺も行く」
「どうしてです?」
「地下の実物を見てるから。紙だけじゃ分からないところがあったら、何か言えるかもしれないし」
理由は筋が通っている。
「ルシアン様は?」
ヴェルシアナが尋ねる。
ルシアンは少し考えてから頷いた。
「僕も、線がどこで消えるかを書き出してみたいです。オルティア嬢の見方が正しければ、表と裏で対応する場所に規則があるかもしれません」
「でしたら、皆で一度まとめてからお見せしましょうか」
そう言うと、オルティアが少し驚いたようにこちらを見た。
「私もですの?」
「一番必要でしょう」
「でも、私が説明しても、魔術師の方には――」
「魔術の説明をする必要はありません」
ヴェルシアナは紙と刺繍を並べた。
「何を見て、どう考えたのか。それはオルティア様にしか説明できませんから」
言われて、オルティアはしばらく黙った。
やがて。
「分かりましたわ」
今度は、はっきり頷いた。
「でしたら、きちんと説明いたします」
「お願いします」
そこから茶会は、少しだけ本来とは違う形になった。
菓子の皿を端へ寄せ、紙を中央へ置く。
ルシアンが線の消える位置を薄い紙へ書き写し、ディルヴァンは地下施設で見た記号の形を覚えている範囲で挙げる。
ヴェルシアナはそれぞれの情報を重ね、オルティアは時折刺繍布を使いながら、どの線が上を通り、どれが下へ潜っているように見えるのかを示していった。
四人が同じものを見ているのに。
拾うものは全く違う。
それが、不思議と心地よかった。
◇
翌日。
紙の写しと四人でまとめたメモは、ヴィクトルの前へ置かれた。
同席していた研究魔術師は、オルティアの説明を聞く間、一度も口を挟まなかった。
「つまり」
説明が終わったところで、その魔術師が紙を裏返す。
「これは表裏に分かれた二つの術式ではなく、立体的な一本の構造を、表裏へ分けて記録したものではないかと?」
オルティアは少しだけ姿勢を正した。
「魔術については分かりません。ただ、糸として見るのでしたら、その方が自然です」
魔術師は紙へ視線を戻した。
ヴィクトルも無言で写しを取り上げ、光へ透かす。
表と裏。
二枚の模様が重なる。
しばらくして。
「地下施設の壁面図を」
ヴィクトルが言った。
すぐに別の資料が運ばれてくる。
先日発見された巨大施設、その壁や床を走っていた流路の記録。
専門家たちは二つを並べ、照合し始めた。
最初は静かだった。
だが。
「待ってください」
一人が声を上げる。
「ここです」
別の研究者が近づく。
「紙片では裏側へ回っている線が、施設図では床下へ潜っている」
「こちらもだ。壁面から消えた後、反対側の基礎へ出ている」
空気が変わった。
机の上で資料が次々に開かれていく。
線を平面として読んでいた時には合わなかったものが、上下へ潜る構造として見れば繋がっていく。
ヴィクトルはその様子をしばらく見たあと、オルティアへ目を向けた。
「グランセル嬢」
「はい」
「最初に始まる位置も分かりますか」
オルティアは紙へ近づいた。
少しだけ緊張している。
けれど、逃げなかった。
「刺繍と同じ規則でしたら」
指先が中央より少し左の、小さな輪を示す。
「おそらく、こちらです。ここだけ裏側から表へ出ていますから」
研究魔術師が、その位置に対応する施設図を調べる。
やがて。
「……旧街道側です」
全員の視線が集まった。
「現在発見されている施設とは別方向へ流れています。しかも、この先は調査されていません」
ヴェルシアナの胸が、小さく高鳴った。
新しい道。
オルティアが見つけた始点の先に。
まだ誰も入っていない場所がある。
ヴィクトルは資料から顔を上げると、研究魔術師へ指示を出した。
「現地の地形と古地図を照合してください。封鎖された構造物がないかも確認を」
「承知しました」
誰も大声を上げない。
何かを見つけたと決まったわけでもない。
それでも、部屋の中を動き始めた人々の足取りには、明らかに先ほどまでとは違う速さがあった。
オルティアはその様子を見ている。
ヴェルシアナは隣へ立った。
「動きましたね」
「……ええ」
「オルティア様が見つけたところから」
今度は、オルティアも否定しなかった。
ただ少し恥ずかしそうに視線を逸らしたあと、自分の指先を見ている。
いつもなら布と糸を扱う指。
花を作るために、何度も表と裏を往復してきた指。
その積み重ねが。
百年近く閉ざされていた道の入口を、紙の上から見つけ出した。
「ヴェルシア様」
「はい?」
「次に刺繍をご覧いただく時は」
オルティアがこちらを見る。
「裏側も、きちんと見てくださいませ」
ヴェルシアナは一瞬だけ驚いて。
それから笑った。
「もちろんです」
「表だけ褒めていただいても、もう満足いたしませんわ」
「随分と要求が高くなりましたね」
「調子に乗ってもよいと仰ったのは、ヴェルシアナ様でしょう?」
その返しに、ヴェルシアナは言葉を失う。
隣ではディルヴァンが堪えきれず笑い、ルシアンも口元を隠している。
「……覚えていらしたのですね」
「当然ですわ」
オルティアは満足そうに微笑んだ。
机の上では、紙の表と裏を重ねた図が広げられている。
表から見えない場所にも、道は続いていた。
それは刺繍も。
人も。
そして、おそらくこの世界そのものも同じなのだろう。
見えているものだけが、すべてではない。
ヴェルシアナは新たに印をつけられた旧街道の先を見つめる。
そこにはまだ、名前のない空白が残っていた。
けれど。
その空白へ向かう最初の糸は、もう見つかっている。




