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破滅したくない元男の悪役令嬢ですが、なぜか男女問わず好かれていきます ~攻略対象は男友達のつもりなのに、同性の令嬢との距離まで近すぎるようです~  作者: 0JOY
第1部 第一章 悪役令嬢は、今日も誰かの特別に

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第44話 悪役令嬢は、森の外で待つだけでは終われない

鳥の群れが森の上から一斉に飛び立ったあと、別邸の空気は目に見えて変わった。


 使用人たちは北側の家畜小屋へ人を向かわせ、騎士たちは装備を整え始める。つい先ほどまで机の上で静かに並んでいた地図や記録も、今はただの資料ではなく、これから何が起こるのかを判断するための材料へ姿を変えていた。


「爪狼二頭については、すでに集落から引き離しております」


 ほどなくして戻ってきた騎士が、グランセル侯爵へ報告する。


「大型個体につきましては、通常の爪狼より一回り以上大きく、体表から強い魔力反応が確認されております。ただ、家畜を襲うよりも森の方角を警戒するような動きを見せているとのことです」


「負傷者は?」


「領民に重傷者はございません。家畜数頭に被害が出ておりますが、避難は進んでおります」


 ひとまず、人に大きな被害が出ていないことには胸を撫で下ろした。


 ただ、報告の中には一つだけ妙に引っかかる部分があった。


「森の方を警戒している?」


 ディルヴァンも同じところへ反応したらしい。


「はい」


「何を?」


「現時点では分かっておりません」


 人里まで出てきた魔獣が、目の前の獲物より、自分が逃げてきた森を気にしている。


 腹を空かせて降りてきただけなら、少し不自然だ。


「追われているみたいですね」


 ミレーヌが地図へ視線を落としたまま呟く。


 グランセル侯爵は、その言葉をすぐには否定しなかった。


「大型個体は可能であればすぐ仕留めず、動きを確認してくれ。住民の安全を優先し、無理に森へ追い込む必要はない」


「承知いたしました」


 家臣へ短く指示を出したあと、侯爵は俺たちへ視線を戻した。


「祠の確認につきましては、本来であれば明朝まで待つべきでしょう。日没前に森へ入ったとしても、調査中に暗くなる可能性がございます」


「未知の魔力異常もありますものね」


 俺が言うと、侯爵は頷いた。


「ええ。急ぐ理由が増えたからこそ、準備を削るべきではありません」


 正しい判断だと思う。


 原因を早く突き止めたいという気持ちはある。


 けれど、焦って人を危険へ送り込めば、原因を調べる前に別の問題を増やしてしまう。


 俺は地図の上に置かれた木片を見る。


 昨日までただ散らばっていた印は、今では森の中心から押し出される流れの途中に見えている。とはいえ、そう見えるようになったからといって、すべてが分かったわけではない。


「今夜は森の周囲の警戒を強めます」


 侯爵が続ける。


「集落側の避難経路も再確認させましょう。祠については、夜明けとともに調査隊を向かわせます」


 前へ進まないことも、時には一つの判断になる。


 先日見た討伐記録の赤い線もそうだった。最短距離だけを選んでいなかったからこそ、負傷者を逃がし、任務そのものを続ける余裕が残っていた。


 今は、たぶん同じなのだろう。


 ◇


 北側へ向かった騎士たちが再び戻ってきたのは、夕方が近づいた頃だった。


 爪狼二頭は森とは別方向へ追い払い、大型個体についても一度は包囲できたらしい。


 だが、そこで予想外の動きがあった。


「大型個体は途中で突然方向を変え、森へ戻りました」


 報告した騎士の言葉に、ディルヴァンが眉を寄せた。


「戻った?」


「はい。こちらから追い込んだわけではございません」


「人里まで出てきたのに?」


「その点については、我々も理由を掴めておりません」


 俺も地図へ目を落とす。


 小型の魔獣は森から離れようとしているのに、大型個体だけは一度外へ出たあと、再び戻った。


 同じ異変に反応していても、動きが違うのだとすれば、単純に「怖くて逃げた」だけでは説明しきれない。


「こちらも確認されました」


 騎士が机の上へ、小さな革袋を置いた。


 中から出てきたのは、黒ずんだ小石のようなものだった。


 表面は乾いているのに、近くへ手を寄せると妙な感覚がする。空気の中に張られていた薄い膜が、ほんのわずかに石へ引き寄せられていくようだった。


「魔石ですか?」


 アレクシスが尋ねる。


「似ておりますが、通常の魔石とは異なります。大型個体の口元に付着しておりました」


「食べたのかな」


 ディルヴァンが身を乗り出す。


「可能性はございます。ただし、どこで付着したものかは分かっておりません」


「触っても?」


 俺が聞く。


「直接はお控えくださいませ」


 騎士は革手袋越しに小石を転がした。


「周囲の魔力を、ごく弱く吸着する性質があるようです」


 俺は少し距離を置いたまま、手のひらを石へ向けた。


 魔力を流し込むつもりはない。ただ、自分の中にある魔力を意識して、その動きだけを探る。


 すると、普段なら身体の内側に収まっているはずのものが、髪の毛一本ほど細い力で石の方へ引かれようとする感覚があった。


「……吸っています」


 自分でも分かる。


「分かるの?」


 オルティアがこちらを見る。


「ほんの少しだけです。でも、私の魔力が石の方へ寄ろうとしています」


「止められる?」


 ディルヴァンが尋ねる。


「今は流していないので、問題ありません」


 俺はすぐ手を下ろした。


 試すためだけに魔力を入れるのは危険だ。未知のものを前にした時、好奇心と実験は同じではない。


「魔力を吸う石が森の中にある」


 ミレーヌが地図を見る。


「それで、魔力草が減ったのでしょうか」


「でも西側では増えていました」


 オルティアが返す。


「全部吸われているなら、増える場所があるのは変です」


 そうだ。


 俺は地図上の印を見直す。


 東側では魔力草が減り、北も少し減少している。


 その一方で、西側だけは逆に増えていた。


 魔力そのものが消えているのではなく、流れ方だけが変わっているのだとしたら。


「水路みたいですね」


 口にすると、侯爵がこちらを見た。


「どういう意味でしょう」


「もし祠が地下の魔力をいくつかの方向へ分けるための施設なら、その一部だけ流れなくなった時、別の場所へ余計な魔力が回ることはありませんか?」


 俺は地図に描かれた川を指でなぞった。


「水路でも、一方が詰まれば別の方へ多く流れます。あの石が魔力を吸っているなら、流れを止めたり狭くしたりしている可能性もあるのかなと」


 侯爵はすぐには答えず、同行していた術師へ目を向けた。


 術師は地図と石を見比べながら少し考えたあと、ゆっくり口を開く。


「理屈としてはあり得ます。ただ、地下魔力脈は水ほど単純ではございません」


「もちろんです」


「ですが、場所によって魔力濃度が偏っている理由としては、検討する価値があるかと存じます」


 断定ではない。


 それで十分だった。


 分からないものを無理やり答えに変える必要はない。可能性として残し、確かめられる人へ渡せばいい。


 ◇


 その夜、別邸では普段より早めに夕食が用意された。


 大人たちはできる限り平静を保っていたが、窓の外では騎士たちが絶えず行き来している。


 俺たちには改めて森へ近づかないよう言い渡され、それぞれの部屋へ戻ることになった。


 俺も、眠れるならその方がいいと思っていた。


 ただ、机に広げた簡略地図を見たままでは、どうにも頭が静かにならなかった。


「まだ考えていらっしゃるのですね」


 ミレーヌがカーテンを閉めながら言う。


「分かります?」


「地図を広げたままですから」


「それはそうですね」


 少し笑ってから、もう一度記録へ視線を落とす。


「大型個体だけ森へ戻ったのが気になります」


「小さい魔獣は外へ逃げているのに?」


「はい」


 ミレーヌも地図へ近づいた。


「……魔力に引かれたのでしょうか」


「かもしれません」


 魔獣にも性質の違いがある。


 魔力の濃い場所を嫌うものがいれば、逆にそれを好むものもいるだろう。


「小さいものは耐えられなくて逃げて、強いものは逆に近づく」


 ミレーヌがそう口にした瞬間、背中に薄い寒気が走った。


 それが正しければ。


「祠に近づくほど、強い魔獣が集まっている可能性がありますね」


「……はい」


 明日の調査隊は、その中心へ向かう。


 もちろん、大人たちも俺よりずっと経験がある。同じことを考えている可能性は高い。


 それでも、気づいたことを黙っている理由にはならない。


「伝えておきましょう」


 俺は立ち上がった。


「今から?」


「まだ皆さん起きていますし、気づいたことを言うだけです」


 答えを持っていなくても、違和感は渡せる。


 それをどう扱うかは、経験のある人が判断すればいい。


 ◇


 グランセル侯爵と騎士たちは、まだ会議室に残っていた。


 俺が考えたことを伝えると、ヴァレンティス家の騎士がすぐ頷いた。


「その可能性も想定しております」


「やはり」


「明日は通常の低級魔獣だけでなく、魔力の濃い場所を好む個体がいることも前提に進みます」


 それなら少し安心できる。


 そう思ったところで、侯爵が一枚の紙をこちらへ向けた。


「もう一つ、気になる記録がございます」


「何でしょう」


「大型個体が森へ戻った時間とほぼ同時刻に、西側の魔力計測値が一度だけ大きく上昇しています」


 俺は紙を見る。


 西側。


 魔力草が増えていた場所と近い。


「同じ方向ですね」


「ええ」


 侯爵は地図へ視線を戻した。


「そのため明日の調査隊は、西側からの進入を避けます。南東から入り、退路を二方向確保したうえで祠へ向かわせる予定です」


 その言葉に、少し遅れて入ってきたディルヴァンが反応した。


「退路、二つあるんだ?」


「ございます」


 騎士が答える。


 ディルヴァンは地図を覗き込み、祠までの最短経路ではなく、まず南側へ伸びる二本の道を目で追った。


「こっちと、こっち?」


「はい。通常時であれば、どちらからも南側へ抜けられます」


「なら、片方が駄目でも戻れる」


 俺は少しだけ彼を見る。


 以前なら、こういう地図を前にした時、まず目が行くのは目的地までの距離だったかもしれない。今は、祠へ向かう線より先に帰る道を見ている。


「何?」


 視線に気づいたディルヴァンが聞く。


「いえ」


「絶対何かあるだろ」


「少し変わったなと思っただけです」


「何が?」


「内緒です」


「気になる」


 横でアレクシスが少し笑った。


「たぶん褒めてるよ」


「なら普通に言えばいいだろ」


「そのまま褒めると、あなたはすぐ調子に乗るので」


「乗らないって」


 たぶん乗る。


 それでも、今はそれくらいでいい。


 人は何か一つ理解したからといって、翌日から別人になるわけではない。むしろ、こうして見る場所が少し変わるくらいの方が、本当に中へ残ったものらしく感じられた。


 ◇


 翌朝。


 空は薄い雲に覆われていた。


 調査隊は日の出から少し経った頃に別邸を出発した。


 騎士六名、術師二名、グランセル家の案内役が一名。そこへヴァレンティス家の騎士二名が加わる。


 俺たちは当然、別邸で待機だ。


「暇だ」


 出発からまだ半刻も経たないうちに、ディルヴァンが窓際で言った。


「もうですか」


「待つだけって長い」


「昨日は納得していましたよね」


「納得と暇は別だろ」


 理屈としては分からなくもない。


 アレクシスは本を開いているが、さっきから頁がほとんど進んでいない。オルティアも刺繍枠を持っているものの、同じところへ何度も針を近づけては止めている。


 ミレーヌは地図を眺め、俺も窓の外を見る回数がいつもより多い。


 全員、形だけ別のことをしているだけだった。


「少し庭を歩きませんか」


 オルティアがとうとう刺繍枠を置いた。


「別邸の敷地内であれば、問題ないと思います」


 誰も反対しなかった。


 護衛もつく。


 森へ近づかなければいい。


 庭園を抜け、果樹園の近くまで来た時だった。


 ディルヴァンの足が急に止まった。


「待って」


 声が変わった。


「何です?」


「音」


 全員が黙る。


 俺には、風で木の葉が擦れる音しか聞こえない。


 けれどディルヴァンは森の方を見たまま、耳を澄ませている。


「馬が走ってる。何頭か、こっちへ来る」


 数秒後。


 俺にも聞こえた。


 遠くから、土を強く叩く蹄の音が近づいてくる。


 それに気づいた護衛の騎士たちがすぐ俺たちの前へ出た。


「皆さま、屋敷へお戻りくださいませ」


 その声とほぼ同時に、木立の向こうから馬が飛び出してきた。


 先頭の騎士には見覚えがある。今朝、調査隊へ加わっていた人物だった。


 馬から降りるより早く、声を張り上げる。


「侯爵様へ至急ご報告を!」


「何があった」


 護衛騎士が駆け寄る。


「祠付近で大規模な魔力異常を確認しました。調査隊は現在、南東側へ退避中です!」


 胸の奥が冷えた。


「負傷者は?」


「二名おりますが、命に別状はございません!」


 そこだけはよかった。


 ただ、騎士の表情には、これで終わりだと安心できる色はまったくない。


「何が起きたんです?」


 ディルヴァンが一歩前へ出る。


「地下から魔力が噴き出しました。それに反応した魔獣が複数集まり始めています」


「複数?」


「はい。さらに、南側へ戻る退路の一つが崩落し、使用不能となりました」


 昨日確認した二本の道。


 そのうち一本が消えた。


 ディルヴァンの表情が変わる。


「もう一本は?」


「現時点では使用可能です。ただし、複数の魔獣がその方向へ移動し始めています」


 残っている退路は一本しかない。


 しかも、その一本道が物理的に塞がれていなくても、魔獣が集まれば帰還路として使えなくなる可能性がある。


「調査隊はどこに?」


 アレクシスが尋ねる。


「祠から南東へ退避しております。術師一名が魔力の影響を強く受け、移動速度が落ちています」


「応援は?」


「今、要請するところです」


 伝令の騎士が再び馬へ向かおうとした、その瞬間だった。


 地面の奥から、雷とはまるで違う低い音が響いた。


 大きな石の扉を地中で無理やり動かしたような、鈍く重い振動が足元から伝わり、果樹の葉までかすかに揺れる。


 オルティアが息を呑んだ。


「……今のは」


 誰もすぐには答えられなかった。


 俺は森を見る。


 木々の向こう、肉眼では届かないほど遠い場所から、何かがゆっくり広がってくる。


 風ではないし、目にも見えない。


 それでも、自分の中にある魔力がはっきりと反応していた。


 肌の下を流れるものがわずかにざわめき、遠くの大きな何かへ引かれそうになる。


「魔力が来ています」


 自分の声が思ったより低くなった。


 ディルヴァンがすぐ振り向く。


「分かる?」


「はい。昨日の石とは比べものになりません。こちらから探さなくても感じます」


「どこから?」


 俺は森の奥を指した。


「祠の方です」


 そう言った直後、別邸の屋根の向こうから警鐘が鳴り始めた。


 最初の一打が朝の静けさを割り、その余韻が消えきる前に二度、三度と重い音が続いて、領内へ異常を知らせる響きが広がっていく。


 伝令の騎士はすぐ馬へ飛び乗り、護衛たちは俺たちを屋敷へ戻そうと動き始めた。


 その中で、ディルヴァンだけが森の奥ではなく、調査隊が戻ってくるはずの南東側を見ていた。


「……退路が一つしか残ってない」


 声は大きくなかった。


 けれど、その視線が最初に危険の中心ではなく帰り道へ向いていることに、俺は気づいた。


 地図の上では一本の線にすぎなかった道の向こうに、今は怪我をした人間がいて、魔力の影響を受けた術師がいて、それでも帰ろうとしている。


 そして森の奥から溢れ始めた魔力は、昨日まで紙の上で追っていた異変を、いよいよ現実のものとしてこちら側へ押し出し始めていた。

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