喪失
父の葬儀は、よく晴れた日に行われた。
たくさんの人が来た。父の仕事のことを話す大人たち、ハンカチで目を押さえる親せき、見たこともない顔ぶれ。みんなが口々に、父がどんなにすぐれた人だったか、どんなに惜しい人を亡くしたかを語っていた。
アレックスは、その真ん中に座っていた。
黒い服を着て、ただじっと、父の写真を見ていた。写真の中の父は、いつものおだやかな顔で、少しだけ笑っていた。アレックスは、泣かなかった。泣けなかった、というほうが近いのかもしれない。まだ、何も実感がわかなかった。父はただ、いつものように研究室にこもっているだけで、夜になれば帰ってきて、「あの続きを話そう」と言ってくれる——そんな気さえしていた。
エマが来てくれた。ルーカスも、サムも来た。三人とも、何と声をかけていいか分からないようだった。「アレックス……」
エマが、そっと近づいてきた。けれどアレックスは、うまく顔を上げられなかった。ルーカスは、いつもの大きな声もどこかへ消えて、ただ唇をかんでうつむいていた。サムは、あのこわれたスマホのことなど、もう一言も口にしなかった。
「……来てくれて、ありがとう」
アレックスは、やっとそれだけ言った。声が、自分のものでないみたいに、遠くで響いた。
家に帰ると、玄関でテディが待っていた。
くぅん、と鼻を鳴らして、テディはアレックスの足にすり寄ってくる。父が作った、小さなロボット犬。父の手のぬくもりが、まだどこかに残っているような気がして——アレックスは、その場にしゃがみこみ、テディを抱きしめた。
そして、ようやく、涙が出た。
それからの日々のことを、アレックスはあまりよく覚えていない。
はじめは、学校を二、三日だけ休むつもりだった。けれど、その二、三日が一週間になり、一週間が一ヶ月になった。朝、ベッドから起き上がろうとしても、体が鉛のように重かった。
つらかったのは、人が嫌いになったからではない。ただ、言葉が、出てこなくなったのだ。
父がいなくなってから、アレックスは、うまく話すことができなくなっていた。何かを言おうとすると、喉の奥でつかえてしまう。胸のなかには、言葉にならない悲しみがいつも重くたまっていて、それが口をふさいでしまうみたいだった。
エマから、何度もメッセージが来た。ルーカスからも、サムからも。
『だいじょうぶ?』『いつでも待ってるよ』『無理しないでいいから』
アレックスは、その一つひとつを読んだ。みんなのやさしさは、ちゃんと伝わっていた。返事を書きたい、とも思った。けれど、いざ指を動かそうとすると、何を書いてもうまく言えない気がして、言葉が止まってしまう。やさしくされればされるほど、それにこたえられない自分が、情けなかった。
やがて、メッセージにも返せなくなった。
カーテンを閉めきった部屋で、アレックスは一日のほとんどを過ごすようになった。母が心配して、何度も声をかけてくれた。その母とさえ、最近はうまく話せない。父がいなくなった家の中は、しんと静かで、アレックスはその静けさの中に、ひとり沈んでいった。
寂しかった。
どうしようもなく、寂しかった。父ともう一度、話がしたかった。あの夜にできなかった話の続きを、聞きたかった。「この続きは、夜にしよう」——父の最後の声が、今も耳から離れない。その夜は、もう二度と来ないのに。
ある夜のことだった。
眠れないまま、アレックスは、ずっと使っていなかった父の書斎に入った。父の匂いが、まだかすかに残っている。机の上のノートパソコンを開くと、画面の光が、暗い部屋を青く照らした。
アレックスの指が、ゆっくりとキーボードの上を動きはじめる。
最初は、ただ、何かに没頭していたかった。何も考えずにすむように。けれど、コードを書きすすめるうちに、アレックスの心のなかに、ひとつの願いが、形を持ちはじめていた。
——もう一度、話がしたい。
誰かと。いや、ちがう。本当は、分かっていた。自分がもう一度話したいのは、誰なのか。
優しくて、物静かで、自分の話をいつも真剣に聞いてくれた、あの人と。
アレックスは、キーボードを打つ手を止めなかった。画面のなかで、新しいプログラムが、少しずつ、形になっていく。それが何になろうとしているのか、アレックス自身、はっきりとは意識していなかった。ただ、寂しさが、その手を動かしていた。
暗い部屋のなかで、青い光だけが、アレックスの横顔を照らしていた。




