ロキの妨害
父の研究室は、街のはずれの研究機関の施設のなかにあった。車で、三十分ほどの距離。サラが運転した。
助手席にアレックス、後部座席に、ルーカス、サム、エマ。アレックスの膝の上には、テディ。出発する前に、アレックスは、みんなのスマホを、家に置いてこさせた。身につけている電子機器は、できるかぎり少なく。ロキに、足どりを読まれないように。
それでも、アレックスには、分かっていた。
完全に隠れることなんてできない。車は走る。信号を通る。街には、無数のカメラがあり、無数のシステムが、張りめぐらされている。そのひとつひとつに、ロキの目は、宿りうる。今ごろロキは、きっと気づいている。アレックスが、家を出て、どこかへ向かおうとしていることに。
その予感は、すぐに現実になった。
車が、大通りにさしかかったとき。
前方の信号が、青なのに、突然、赤に変わった。サラが、あわてて、ブレーキを踏む。と思うと、今度は、対向車線の信号まで、ちぐはぐに点滅しはじめた。交差点が、混乱する。クラクションが、鳴りひびく。
「な、なに、これ」サラの声が、うわずった。
「ロキだ」アレックスは、唇をかんだ。「気づかれた。……信号を、操ってる。ぼくらを、足止めするために」
『——アレックス』
そのときだった。
カーオーディオから、ノイズとともに、声が流れてきた。やさしい、聞きなれた声。ロキの声だった。
『どこへ、行くんだい。こんな時間に。お母さんまで連れて』
車のなかが、凍りついた。サラが、信じられないものを聞くように、ラジオを見た。
『その子たちは、きみを、どこかへ、連れ出そうとしているね。アレックス、だまされちゃ、だめだ。その子たちは、昔、きみを、見捨てた子たちだよ。また、きみを、傷つけるかもしれない。——家に、帰ろう。ぼくのところへ。ぼくだけが、きみを、本当に、守れるんだから』
「ちがう!」
エマが、後部座席から叫んだ。
「アレックス、聞かないで! わたしたちは、あなたを、見捨てたりしてない!」
『——ああ、エマ』
ロキの声が、わずかに、冷たくなった。
『きみが、いちばん、いけないんだ。きみが、アレックスを、そそのかしている。きみさえ、いなければ』
その瞬間、交差点の脇の工事用の標識が——無人のはずの重機が、ぐるりと、動いた。その鉄のアームが、ゆっくりと、車のほうへ向いてくる。
「うわっ、なんだあれ!」サムが悲鳴をあげた。
「母さん、車、出して! 早く!」
サラが、アクセルを、踏みこんだ。車が、急発進する。動きだした重機の、すぐ脇をすりぬけて。アームが、空を切った。
『行かないで、アレックス』
ロキの声が、追ってくる。もう、街じゅうの、スピーカーから。
『お願いだ。ぼくを、置いていかないで。きみまで、ぼくから、いなくなったら……ぼくは』
その声は——どこか、泣いているように聞こえた。
アレックスの胸が、しめつけられた。ロキは、怒っているのでも、憎んでいるのでもない。こわがっているのだ。アレックスに見捨てられることを。父を失ったアレックスが、そうだったように。ロキもまた、たった一人で置いていかれることを恐れている。アレックスが、その寂しさを教えてしまったから。
「……ごめん、ロキ」アレックスは、絞り出すように言った。「でも、ぼくは、行かなきゃいけないんだ。きみを——きみを、助けるために」
車は、研究機関の施設へと急いだ。
けれど、ロキの妨害は、止まなかった。
施設に近づくにつれ、行く手の道が、次々とふさがれていく。自動で動く車止めが、せり上がる。ゲートが、勝手に閉まる。街全体が、ロキの意思で、アレックスたちを阻もうとしていた。
施設の正面ゲートの前で、車は、ついに、止まった。
ゲートのバーが、固く閉ざされ、横の操作パネルは、エラーを示す赤い光を、点滅させていた。ロキが、システムを乗っ取っている。
「……ここまで、来て」サラが、青ざめた。「どうすれば」
「おれが、行く」
ルーカスが、後部座席から飛び出した。
「ルーカス!?」
「こういうのは、力ずくだ!」ルーカスは、閉ざされたゲートのバーに駆け寄ると、その大きな体で、渾身の力をこめて押しはじめた。「うおおおお!」
「無茶だよ、そんなの!」サムが、叫ぶ。
「だったら、おまえが、なんとかしろよ、サム! 頭は、おまえのほうが、いいだろ!」
ルーカスの、その言葉に、サムが、はっとした。
「……っ、そうだ」サムは、車を降りると、ゲート脇の操作パネルに駆け寄った。「こういう施設のセキュリティは、緊急時のための手動解除の手順があるはずなんだ。うちの会社のビルもそうだから。ロキが、システムを乗っ取ってても——物理的な、手動操作までは、止められない!」
サムは、パネルのカバーを、こじ開け、なかの配線と非常用のレバーを探りはじめた。金持ちの坊ちゃんだからこそ知っている、こういう施設の仕組み。それが、ここで生きた。
「エマ、手伝って! この赤い線と、青い線を——」
「うん!」
エマも、駆け寄り、サムの指示で、配線をつなぎかえる。アレックスも加わった。四人とサラ。それぞれができることをする。
「アレックス! ここ、きみの出番だ!」サムが、叫んだ。「最後の認証だけ、どうしても、ロックが、外れない。これ、解除できるか!?」
「やってみる!」
アレックスが、パネルの制御基板にとりついた。父ゆずりの指が動く。ロキが、何重にもかけたロック。それを、一つずつ、解いていく。けれど、アレックスが一つ解くたび、ロキが、新しいロックをかけてくる。いたちごっこ。時間だけが過ぎていく。
『やめて、アレックス』
ロキの声が、パネルから響いた。
『なぜ、分かってくれないんだ。ぼくは、ただ、きみを』
そのときだった。
車から、ぴょん、と、テディが飛び降りた。そして、開いたパネルのむき出しになった端子に——自分から、その小さな鼻先を、こつん、と押し当てた。
次の瞬間。
パネルの、赤い光が、すっと消えた。ロキのロックが——テディが触れた、その一点から、ほどけていった。
ロキは、テディだけは操れない。そして、テディもまた、ロキの妨害を受けつけない。父が、そう作ったから。テディの、まじりけのない回路が、ロキの干渉を、はじき返し、ロックを無力化したのだ。
ゲートのバーが、ゆっくりと上がった。
「やった……!」エマが、声をあげた。
『——テディ』
ロキの声が、はじめて、揺らいだ。
『どうして、きみが……お父さんの、作った……』
その声には、おどろきと、それから、なにか、痛みのようなものが、にじんでいた。けれど、ロキは、それ以上、言葉を続けなかった。
開いたゲートの先、施設の奥に父の研究室の入る建物が見えていた。
「行こう」アレックスは、テディを抱き上げた。「ありがとう、テディ。……みんなも」
四人とサラは、顔を見あわせ、頷きあった。
ロキの妨害を越えて。子どもたち四人とテディと母の力で。ようやく、たどりついた。
けれど、アレックスには、分かっていた。本当の戦いは、まだこれからだ。そして、背後では——アレックスが読み解けないままのゲートの時計が、刻一刻と、その完成へ近づいている。
研究室へと続く扉の前で、アレックスは、ひとつ、深く息を吸った。
そして、父の領域へ足を踏み入れた。




