9.ありえたかもしれない未来【side ウィリアム】
セシリア・ウィンストンは、非の打ち所の無い婚約者だった。
艶のある黒髪に透き通るような碧眼は、どこか神秘的で危うささえ感じるものだった。
彼女を女性として愛する事はできなかったが、態度も立ち振る舞いも公爵夫人と呼ぶに相応しく、隣に並んで恥ずかしくない、好ましい婚約者だった。
だから、あの日──結婚式の日に駆け落ちしたと聞かされた時は、頭の中が真っ白になると同時に焼けるような胸の痛みをおぼえた。
そんなにも嫌だったのか?
駆け落ちするくらい愛する男がいたのか?
何故そこまで追い詰めた?
俺はそんなに頼りない男だったか?
今すぐ問い詰めて暴きたいが、目の前に彼女はいない。
「私が身代わりになります」
そう言ってくれたらチェルシーのいじらしさが、ひとときの安らぎになってくれた。
──いや、チェルシーはずっと俺の心のどこかで支えになってくれていた。
父が亡くなった日、これからどうしたらいいか分からずに途方に暮れてしまった。
父が亡くなっても涙一つ見せない母に弱音は吐けなかった。
葬儀が終わり、自室で一人ソファにだらしなく座っていると、やって来たのはチェルシーだった。
「お義兄様が心細いのではないかと思って……」
どこかで求めていた人ではなかったが、誰でもいいから縋りたかった。
チェルシーの朗らかさに惹かれていた。
その笑顔に癒やされていた。
セシリアはおらず、チェルシーとの時間が心を慰めてくれた。
それからは、セシリアといるよりチェルシーといる方が多くなった。
公爵家に来てはいるみたいだが、何故か会えない。
セシリアと一緒に来たというチェルシーともっぱら時間を過ごしていた。
「お姉様は忙しいみたいだから、私が相手をするように言われたの」
ウィンストン侯爵家に行ってもそうだった。
だからといって、セシリアと結婚するより、チェルシーと結婚した方がいいのでは、とは思わなかった。
政略結婚とはいえセシリアを妻にする事は決められていたし、母も彼女を気に入っていた。
優秀な彼女だからこそ、妻に相応しいと思っていた。
だが、心はチェルシーを求めていた。
その時は、結婚するまではチェルシーを想っていようと割り切るつもりだった。
ドレスはセシリアにサプライズしたいからとチェルシーに相談して作った。
流行に敏感な彼女に相談して良かったと思う。きっとセシリアも喜んでくれるはずだ。
いよいよ結婚式が迫ってきたある日。
いつものようにウィンストン侯爵家に来て、相手をしてくれたのはチェルシーだった。
だが彼女はいつものような笑顔ではなかった。
「今日は元気が無いね。どうしたんだ?」
「あ……、そろそろお姉様とご結婚なさるんだなぁ、と思ったら、少し寂しくなってしまったの」
目を伏せがちに言う彼女がいじらしくて、愛おしく感じていた。
「結婚してもここに来るよ」
「……本当ですか?」
「ああ。……チェルシーに会いに来るよ」
潤んだ彼女の瞳を見つめ、頬に触れる。
濡れた唇に吸い寄せられるように自分のものを重ねた。
一瞬だけ強張った身体が、口付けが深くなるにつれて緩んでいく。
熱く絡み合う吐息が、頭の中を沸騰させた。
唇を離して、目が合って、二人の思惑が一致する。
チェルシーの部屋に誘われ、断る理由なんか無かった。
室内に入ると絡み合うようにして口付けあい、もつれるようにしてベッドに倒れ込む。
いけない事だと頭では理解していたが、一度だけ、これが最後と言い訳をして彼女を貪った。
チェルシーも拒まなかった。むしろ「嬉しい」「もっと」と求め合い、そして一線を越えた。
終わったあとで冷静になり、「ごめん」と言うと、まだ気怠さを残した潤んだ瞳で見つめられ、「嬉しかったの」と言われ、クラクラしながら再び口付けた。
「二人だけの秘密です」
何度も何度もそう言いながら、たった一度、これで終わり、と言い聞かせながら二人で求め合った。
その後チェルシーは何も無かったかのようにしていたし、あれはもしかしたら夢だったのかもしれない。
一度だけの思い出として、愛する人と肌を合わせられた事を胸に結婚しようと思っていた。
セシリアが駆け落ちしたと知り、それが永続的なものになると、熱が冷めたように何も感じなくなっていた。
初夜も、あの日のような燃え上がるものは無かった。
それをごまかすように、優しく丁寧に抱いた。
その一夜でチェルシーは身篭ったのだという。
愛する人のはずなのに、どこか心は冷めていて、喜びも何も無く、ただ、そうか、としか思えなかった。
それでも幸せだったのだと思う。
チェルシーによく似たシェリーが生まれ、後継者になるセドリックが生まれたのだから。
だが、時折思ってしまう。
セシリアが駆け落ちしなかったら、どういう風な夫婦になれたのだろうかと。
愛し合っていただろうか。
それとも義務的な冷めた夫婦になっただろうか、と。
一度考えたら止まらず、ニセモノの家族を見ながらぼんやりとしていると、ふと視界に入ってきた少女に目を奪われた。
それはチェルシーが生んだ、始めの子ども。
セシリアと同じ黒髪で、セシリアと似たような顔付き。性格も大人しく、どちらかと言うと暗く、チェルシーというよりセシリアが生んだんじゃないかと思うくらい同じだった。
名前は確か、──そう、セリーナ。
セシリアとの子が女の子なら、つけたかった名前をつけたんだった。
だが仮にもコレは俺の血を引いた娘。
一線を越えるわけにはいかなかった。
だから、身代わりを用意した。
茶色い髪、翠の瞳。
俺と同じ公爵家令息のローランド・ウッドウィル。
もしもセシリアと俺が結婚していたら、どうなっているだろう、を再現してくれる婚約者。
シェリーと仲がいい?
素晴らしいじゃないか。
そんなところまで再現しているなんて、さすが彼を選んだかいがあったというものだ。
大丈夫だ、セリーナ。
今はシェリーを優先しているかもしれないが、彼が最終的に選ぶのはセリーナだ。
セリーナも彼を愛しているだろう?
彼もセリーナを愛している。だから婚約は解消しない。
もしも解消してしまったら、きみは後悔するだろう。
大丈夫だ。
二人は愛し合っているのだから。
妹と仲が良いのは一時的なものだから。
それに、俺の元に戻ってきてくれたのは、やっぱり俺を忘れられなかったからだろう?
例え離れ離れになっても、最終的には結ばれる二人なんだ。
だから、婚約は絶対に、解消なんてしない。
自分で書いといて何ですが
きめぇな、この男…




