6.伯母の過去
室内に招かれ、ソファに座らされると、伯母は使用人に何かを言付け自分も後に続く。
「二人はゆっくりしてて。夫人、彼女をお願いしますね」
そう言い残して、伯母は扉を閉めた。
病人を働かせるのもどうかと思ったが、今の私は動く気力すらままならない。
背中を擦ってくれる祖母の温もりを感じながら、伯母が戻って来るのを待っていた。
暫くして伯母が桶に水を入れて持って来た。
使用人のような振る舞いにぎょっとしたが、当の本人は素知らぬ顔。
これで元侯爵令嬢で、父の婚約者だったなんて信じられない。
「娼婦やってるとね、世話役がいるにはいるんだけど、自分でやったが早いって気付いたのよ。ほら、脱がせやすい服ばかりだったから」
桶に入ったタオルを絞りながら、何でもないように微笑いながら話す。
私には理解できない話だ。
私は公爵家令嬢だから、常に三人の使用人がそばにいる。
彼らは職務に忠実で、着替えの際も喋らない。
……シェリー付きの侍女は、おしゃべり好きなのかいつも賑やかな声が聞こえてくる。
「はい。これ、目に当てて冷やしなさい。泣いたら顔が腫れぼったくて熱くなるから」
「ありがとうございます……」
伯母から受け取ったタオルはひんやりとしていて、目元に当てると気持ちよかった。
「それでさ、さっき思い付いちゃったんだけど、あなた、私の養女にならない?」
一瞬、我が耳を疑った。
この方は何を言っているのだろうか。
タオルをずらして見てみるが、楽しい事を思いついたように伯母は目を輝かせている。
「来た時から思ってたんだけど、私と容姿が似てるのよね。髪色もお揃いだし。ほら、私オルコット姓を名乗ってるから一応貴族籍はあるのよ。まあ、宮廷貴族って言って、肩書だけなんだけど、これでも娼館で一番の娼婦だったから、蓄えは十分にあるのよ」
運ばれてきた紅茶に砂糖を一つ入れ、かき混ぜながら伯母は言う。
その仕草の一つ一つが洗練されていて、確かに以前は侯爵令嬢だったのだろうと思わせる。
「からかうのはやめてください」
「そう? 両親からいない者扱いされてるって言うから、じゃあいっかな、と思ったんだけど」
平気で他人の傷をえぐるのは腹が立つ。
話を聞く気にもなれない、と再びタオルを目に当てた。
「いい提案だと思うんだけどなぁ。ほら、私もうすぐ死ぬし、そしたらあなたに全財産が入るわ。それはあなたの個人財産になる。いざって時に、役に立つわよ?」
「……もうすぐ……死ぬ……? って、どういう事ですか?」
聞き捨てならない言葉に、思わず顔を上げた。
隣にいる祖母は知っていたのか、暗い表情で俯いている。
「私が病気で娼館を追い出されたのは知っていて?」
「はい。お祖母様から聞きました。病気になって……ご実家のクリフォード伯父様のところに行けなくて、だから、お母様の嫁ぎ先のここに来た、と」
「私ね、治療法が無い病にかかってしまったの。
余命一年、と言われたわ」
「一年……?」
知らなかった。祖母はそんな事言わなかったから。
「養女になれば、私が持っている全て、あなたにあげるわ。悪い話じゃないでしょう? 病人の最期の願いを聞いてほしいの」
そんな事を言われれば返答に困る。
余命短い病人を断れば、それこそ人でなしみたいじゃない。
だが、養女になると簡単には頷けない。
私は貴族だ。アークライト公爵家令嬢だ。
父も母も健在で、何不自由なく暮らしている。
ローランド・ウッドウィル公爵令息様という婚約者もいる。
今すぐにはい、分かりましたと頷ける事ではない。
「……まあ、いきなり言われても困るわよね。でも、今日の……あなたの妹と婚約者の態度を見る限り、このまま一緒にいていいとは思えないわ」
「それは……」
「先程、夫人は私が駆け落ちしたとおっしゃってましたね」
「ええ。……結婚式当日、あなたが来ないから……あなたの妹のチェルシーがそう言ったのよ」
「それ、『駆け落ちしたのかも』とかいうものではありませんでしたか?」
祖母は訝しげな表情で当日の事を思い出そうとしているのだろう。けれど、緩く被りを振って眉根を下げた。
「そこまで詳しくは覚えていないわ。あなたが来ない事に動転していたし、……その、ごめんなさいね。少なからず失望もした。その時だけはね。でも落ち着いて考えると、少なくとも私が接してきたあなたはそんな事をする人ではないと思ったの。だから、私の教育があなたを追い詰めたのではないかと自己嫌悪に陥ったわ」
二十年近く前の話だ。当日の特に当事者だった祖母は、様々な感情が渦巻いただろう。
感情が昂ぶり過ぎると舞い上がって記憶が曖昧になったりもする。
そんな時は第三者の方が、冷静に物事を見ているのではないかと思う。
「そうですか。……当時、私の身に何があったのかをお話いたします」
伯母は掛布の上に置いた両手を組み力を込めた。
表情が固くなった事から、あまり思い出したくないのかもしれない。
「これから話す事は、誰にも言わないと誓ってください」
伯母の言葉に、祖母はただならぬ雰囲気を感じ取り、小さく頷いた。
続いて伯母は、私に目を向けて瞬きもせずに見つめる。
聞きたくないと言える雰囲気も無く、ごくりと唾を呑み込み、俯くようにして頷く。
伯母は一度深呼吸をして、話し始めた。
「結婚式の当日、私は一人馬車に乗せられ、朝早くに侯爵家を出発しました。前後に護衛はいるけれど、花嫁が一人馬車に乗って実家を出る事は習わしとしてあったから、それはいいの。──その道中で、襲われたわ」
「なんですって?」
祖母の驚愕した声が響く。
襲われた……って駆け落ちではなかったの……?
「護衛も、御者も、侍女さえ、グルだった。私だけが、知らなかった。気付いた時には、見知らぬ薄汚い小屋にいて、外から話し声が聞こえた。『駆け落ちした事にして娼館に売ろう』と」
言葉にならなかった声が、鳩尾を落ちて鉛のように重くなる。
大きく息を吸わなければ、叫び出してしまいそうなくらいの恐怖が私を襲った。
「もちろん抵抗したわよ。でも、ひ弱な貴族令嬢じゃ、なあんもできないの。男たちのなすがまま。それで娼館にまんまと売られてしまいましたとさ」
暗くて重い話をわざと明るく終わらせた伯母は、おどけたように笑った。




