39.王太子妃とのお茶会
「このお菓子も美味しいのよ。ぜひお召し上がれ」
「あ、ありがとうございます……」
長らく社交界を離れていたせいか、取り繕うための笑顔がどうしても引き攣ってしまうのは仕方がないだろう。
辛うじてカップの音だけは立てないようにするのが精いっぱいだ。
「あなたが戻ってきた事はラファエル様から聞いてはいたのだけれど。ご無事で何よりでしたわ」
「あ、ありがとうございます……」
穏やかな笑みを浮かべて私の対面にいるのは、王太子妃殿下である。
目の前にいる人物が、先日の夜会の際夫の不貞を目撃し幽鬼のような風貌だったとは信じ難い。
チェルシーと同い年だが所作も洗練されていて、年齢相応の振る舞いをなされている。
「突然でごめんなさい。そう畏まらないで」
「は、はぁ……」
そうは言っても、前回の出会いを思い出しては気まずい気持ちが蘇る。
実妹の場面でグロッキーだったのだもの。夫が正に不貞する場面を見せつけられて、平気でいられるはずはない。
「どうして、ってお顔をしていらっしゃるわ。……ふふ、そうよね。一般的にはそうなるわよね」
頬に手を当て、ほぅ、とため息でも吐くように王太子妃殿下は微笑んだ。
「私はね、あの二人の事は結婚した時から知っているの。モニカとチェルシーに進められた結婚だったのだもの。二人がどういうつもりなのかもよーく知っているわ」
淡々と微笑みながら話すが、中々に壮絶だったのではないかと思う。
王太子妃殿下の話は、つまりはチェルシーがウィリアムと結婚するはめになったので、王太子殿下の結婚相手がいなくなってしまった。
チェルシーとしては未婚でいてほしかったようだが、王太子という身分がそれを許さなかった。
ラファエル殿下は結婚を固辞していたし、二人とも心に決めた相手以外は嫌だと言っていたそうだ。
この場合、王太子殿下の相手はチェルシーだ。
ラファエル殿下も気になるが、それは後に取っておこう。
仕方なく、チェルシーは王太子妃殿下を紹介した。
チェルシーの中で、王太子殿下が絶対に愛する事が無いと確信できるのが彼女だったらしい。
ウィリアムと結婚し、セリーナを出産した後から二人の逢瀬は再開された。
ウィリアムは疑う余地は無い。
逢瀬はもっぱら王宮で、チェルシーは表面上はモニカや王太子妃殿下に会いに行っていたのだから。
「ちなみに私は名を利用されただけね。王宮の訪問者リストに記載されているけれど、私は会っていないの」
つまりは王太子妃殿下に会いに来たはずなのに、という事だ。王宮の警備も穴だらけね。
「最初はね、チェルシーのご機嫌を宥める馬鹿な男だったわ。私もディーンを出産したばかりだったから」
チェルシーがウィリアムと結婚後、国王陛下から結婚を急かされて王太子夫妻が誕生した。
初夜で授かったのがディーン王子だ。
チェルシーはそれが気に食わなかったらしい。
自分の事は棚に上げて、男を責めるのだから我が身内ながら恥ずかしいと王太子妃殿下に謝罪した。
そして王太子と一線を越え、逢瀬を重ね、チェルシーは再び子を身篭った。
だが、ここであの子も少し冷静になったらしい。
当時のチェルシーは、ウィリアムとの関係は無かった。だから子は王太子のもので間違い無い。
お互い避妊しなかったのか、と思うが、不貞中は雰囲気だけを重視されるお花畑だからそこまで気が回らなかったのだろう。
責任ある立場なのに、お気楽でよろしいこと。
その後ウィリアムと仕方なく関係を持ち、それに当て付けるようにして王太子妃殿下が懐妊した。
「あの時のチェルシーの顔を思い出しては笑いが止まらなくなるわ。自分の裏切りをどこかに置き去りにして殿下を責めているのですもの」
コロコロと笑っているが、ドロドロでお腹いっぱいです。
その後仲違いをしては復縁して、を繰り返す二人を見て、モニカ以外の周囲は呆れ果てているのだそう。
「国王陛下が六十になろうかというのに王位をお譲りにならないのはそういう事情もあるの」
御年六十ともなると体力も衰え、王位を譲るため少しずつ引き継ぎを始めるのだそうだが、現状それはまだらしい。
王太子殿下の次の継承権はラファエル様だが、結婚の意思が無いため飛ばして更に下の第一子ディーン王子に王位を譲ってはどうかとの意見もあるらしい。
「ラファエル様がハルヴィアへ行かれたのは、ある魔術師を探してほしいと思ったの」
「魔術師ですか?」
「ええ。ハルヴィア王家が保護した、優秀な魔道具作りの魔術師がいるそうよ」
思わず息を呑んだ。それはまさか。
「彼ね、戦争に参加していたそうなの。川に流されて保護されたのだけれど、……よくある話、自分が誰かも分からないらしいわ」
もし王太子妃殿下の言う魔術師がアーヴァインの事なのだとしたら、自分の事も分からないのに魔道具作りはできるって彼らしいな、と思った。
「これ、その方が作った魔道具。ハルヴィアの使者からいただいたの。音声と行動を記録できるらしいわ。魔術師しか使えないのが難点だけれど、先日の夜会のアレ、記録したの。私は証拠を集めて議会で王太子殿下が王位に相応しくないと提言するつもり」
テーブルに置いたのは、小さな鏡のような物だった。王太子妃殿下が夫の不貞を未然に防ぐでも罵倒するでもなかったのは、そのためか、と腑に落ちた。
「お言葉ですが、その……不貞だけでは王位に影響は無いのでは? 英雄色を好むとも言われておりますし」
「……その魔術師はね、我が国の言葉を話すそうよ。これだけ優れた魔道具を作る魔術師が戦争に行かされた。当時の指揮は王太子殿下だったわ。それだけで殿下の無能を語れるのではなくて?」
──ああ、分かる方には分かるのか。
魔術師は貴重な存在だ。だから、前線に行くのは攻撃、守り、回復に長けた者がほとんどだ。
アーヴァインは魔道具作りと新たな魔法作りの名人だった。
何の理由があったかは知らないが、アーヴァインは不当な理由で行かされたのだ。
「チェルシーも連座ですか?」
「ええ。だって、彼を前線に行かせたのは、チェルシーのお願いだそうよ」
ある程度予想はしていたが、本当にそうとは思いたくなかった。
私が無関係と言うには偶然が重なり過ぎている。
アーヴァインは巻き込まれたのだ。
どうやらチェルシーは私の事をよく思っていないらしい。
「私の予想でしかないのだけれど、あなたが幸せになる事を妬んでいるのよ。あの二人は」
「二人?」
「モニカとチェルシー。モニカがアークライト公爵に懸想していたのはご存知かしら。国王陛下に婚約をお願いしたけれど、王妃殿下が猛反対なさったそうよ。それでモニカは婚約者となったあなたを恨んだ」
とんだとばっちりだった。
欲しいなら何もしなくてもあげたのに。
……いや、二人が異母兄妹である以上、結ばれる事は無いか。
「妻にはなれなくても、ウィリアムの愛人になるにはチェルシーの方が好都合だったのね。だから結婚前にチェルシーと結婚できるように不貞を仕組ませたの。愛人になりたい人に他の女性を抱かせるなんて、常人には理解できないけれど」
ウィリアムのどこがいいのか分からない。
世の中色んな人がいるが、人の好みはそれぞれとは言うが、全く理解できない。頭が理解する事を拒んでいるかのように。
「……私はね、セシリア様。三人をどん底に落としたいの。利用されるだけの人生と決別したい。だから協力してほしいのです」
王太子妃殿下は真っ直ぐに私を見つめる。
気持ち悪い話で胸いっぱいお腹いっぱいで胸焼け中だ。




